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もう背負いきれない、神さまごめんなさいと祈ったこともあった。

 今日は夫の62歳の誕生日。苺のショートケーキにロウソクを立て、ささやかにお祝いしました。

 私は20代で離婚を経験していて、夫とは2度目の結婚です。私が40代、夫が50代の時でした。夫には持病があり、結婚当初は深刻な人間関係のトラブルも抱えていて、しばらくはとてもたいへんでした。

 助けようと思って結婚したのだけれど、人をひとり助けるというのはほんとうに簡単なことではないと痛感した数年間でした。「もうこれ以上は、背負いきれない、私には無理です」と神様に祈ったことも。「がんばってきたけど、限界です。この荷物は重すぎて、がんばろうと思っているけど耐えられない、神さまごめんなさい」と。
 そう祈りながらも、投げ出したくないから、つらいし苦しいし、悩むのだけれど。

「もうだめだ」と心底祈ったことは、二度か三度。不思議なもので、そのたびに思いもかけない助けがあり、「もう少しがんばろう」と思えました。おかげで今があります。

 祈れば助けがあるということではなく、「ここで助けが与えられるということは、この道はきっと間違っていない」そう信じることができたので、それが力になりました。

 あの時、もし逃げても、神さまは赦してくださったと思います。
 聖書にも、
〈神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。〉(Ⅰコリント10:13)
 とありますし。

 ただ私の場合は、「これって若い時から繰り返し遭遇している試練と似てるよね。そして私は何度も逃げてきた。今度も逃げたら、この先また同じような試練が与えられて、たぶん私が乗り越えるまで続きそうな気がする。だから、ここで覚悟して乗り越えてしまおう」と考えていたこともあり、どうにかがんばることができました。

 これからも、いろいろなことがあるでしょう。でも、今日の平和に感謝して、私のできることをしていこうと思っています。

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