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IMAKIRIエッセイ ~いまどきのキリスト者の静かな日常

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IMAKIRI〈いまどきのキリスト者〉である私の暮らしをのんびり発信しています。日々の出来事や思うこと、猫との生活、料理やガーデニングなど。ときには聖書の話も。空はいつも美しく、… もっと読む
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2020年3月の記事一覧

人間の法では計りきれない、悲しいまでの罪と罰 ~シーラッハ『刑罰』

 フェルディナント・フォン・シーラッハの短篇小説集『刑罰』を読んだ。  とてもよかった。おどろおどろしい表紙とは裏腹に、切ない物語が多かったように私には思える。  著者はドイツの弁護士でもある。約20年、刑事事件の弁護に取り組んだのちに、小説を発表した。  デビュー作の短篇集『犯罪』(日本では2011年に刊行)で高評価を獲得し、権威ある賞も受けたベストセラー作家だというのに、私は最近まで知らなかった。不覚です。 『刑罰』は、日本では昨年6月に出た著者の最新刊。その経歴をいか

プロテスタントの教会が、3月29日から主日礼拝をクローズド(参列者なし)でライブ配信 ~ありがたいです

 プロテスタントの改革派の教派「日本キリスト教会」に属する、埼玉県の浦和教会が、3月29日から4月26日まで、対面での集会をすべて中止する決定をしました。そのかわりに、毎週日曜の主日礼拝は、参列者なしのクローズドの形で、午前10時30分から30分ほど映像をライブ配信してくれます。  牧師の説教が聞けたり、一緒に祈ったりできるのではないでしょうか。  コロナ拡大防止のため、首都圏の外出自粛要請を受けての英断。このライブ配信は、とても尊い試みだと思います。  私もぜひ自宅でライ

がんばりすぎないお昼ごはん*ミニトマトとなすとベーコンのパスタ

 見切り品で安かったミニトマトとなすを思わず買ってしまったので、お昼のパスタに使いました。  冷凍してあったベーコンをサイコロ状に切り、スライスしたにんにくと一緒にオリーブ油でじっくり炒めます。ベーコンの脂が出てきたら、輪切りのナスを投入。火が通ったら、パスタのゆで汁を多めに加え、コンソメで味つけします。そこへミニトマト(縦半分に切りました)とゆで上がったパスタを入れ、塩とオリーブ油を加えて全体に混ぜ合わせたら出来上がり。  食べる前に黒胡椒をたっぷり挽いてかけました。

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ある日の庭*チューリップが咲きました

世界のみんなで「主の祈り」を ~教皇フランシスコが呼びかけ

 バチカンのフランシスコ教皇が、本日3月25日の正午(日本時間で午後8時)に、みんなでいっせいに「主の祈り」をささげましょうと、世界じゅうのクリスチャンに呼びかけています。  この呼びかけは、数日前からキリスト教関連のメディアで伝えられていて、私も心にとめていました。コロナが世界的に拡大している現在の状況で、教皇さまがこのような呼びかけをしてくださることに感謝です。  プロテスタント(改革派)の私も、時間を合わせ、心を合わせてお祈りする予定です。  キリスト新聞「Kiri

見分ける知恵を願う

 最近、私にとっての祈りについて、いくつかnoteで記事を書いた。キリスト教ではいま受難節(レント)の期間なので、イエスさまの十字架について自分の考えを深めたい、という気持ちもあった。  こちら↓の記事の最後のほうで、「ある意味での采配を天にゆだねて~」という表現を用いた。  今日はそれについて、すこし書きたい。 「ある意味での」という部分を端的に言うと、下記の姿勢につきると思う。  エリザベス・キューブラー・ロスとデーヴィッド・ケスラーの共著『ライフ・レッスン』で、「

傷ついた葦を折ることなく

 聖書のなかで、いちばん好きなフレーズは? と聞かれたら、タイトルにあげた一節を答える。旧約聖書のイザヤ書にある42章3節だ。  この聖句は、まだノンクリスチャンだったころ、パスカルの『パンセ』について書かれた本(書名は忘れてしまった……)で知った。  パスカルといえば、「人間は考える葦である」という言葉がよく知られている。  その言葉は『パンセ』のなかで述べられたもので、なぜパスカルが人間を葦にたとえたかというと、上記のイザヤ書の「傷ついた葦」に由来する、という内容が、そ

「祈り」の結果にはこだわらない

 クリスチャンということもあり、私は日々いろいろなことを神さまに祈りながら生きている。祈りは暮らしの一部といっていい。でも、その祈りが「叶ったかどうか」ということは、ほとんど意識していない。  キリスト教の世界でときおり耳にする、「自分の祈りが聞かれない」という悩みも、私の場合は抱いたことがない。  私にとって祈りは、いつもそばにいてくれるイエスさまとの親しい会話みたいなものだ。同時に、そのイエスさまを通して天の神さまに届ける言葉(思い)でもある。  だから最後は決まって「

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ヨコハマ散歩*大島桜が満開でした

「神さま、なぜ?」と、祈っていい

 イエス・キリストは十字架の上で、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫びました。日本でもわりと知られているエピソードだと思います。新約聖書の福音書、マルコ15:34とマタイ27:46にあるセリフです。(新共同訳)  この部分について、キリスト教のなかでもさまざまな解釈が語られていますし、信じ方は人それぞれだと思います。  私自身は昨年、カトリックの片柳弘史神父の講演で聞いた話が、とてもしっくりくるものでした。  片柳神父は、「神に見捨てられる苦しみ

いま借りている本、と猫。大好きなヘッセの詩集と小説2冊、シーラッハの短篇集『刑罰』、最果タヒ詩集。長いタイトルの『十頁だけ~』は遠藤周作による手紙の書き方の本(面白そう)。横浜の図書館は現在、コロナ拡大防止のため館内での閲覧はできませんが、予約した本の受け取りと返却はできます。

ラーメンも、うどんやそばも似合う。飽きのこない〝めおと〟の器 ~長崎県の陶磁器メーカー「白山陶器」の浅めん丼・深めん丼

 家でラーメンを食べるとき、器をどうしたらいいかというのが、長年の課題でした。  内側に四角い渦巻きの雷文(らいもん)や龍の絵がついている、いわゆるラーメンどんぶりは、用途が限定される上、しまうのに場所をとります。大きい器は汎用性があるほうが、収納的にも効率がいいので、何かほかにいいのがないかなあ、と思っていました。  雑誌『北海道ウォーカー』や『横浜ウォーカー』の仕事では、ラーメン店やそば処を取材する機会がたびたびありました。味はもちろん、器にも興味を持って見聞を広げるこ

「祈る」という言葉

 キリスト教の洗礼を受けてから、「祈る」という言葉について慎重に取り扱うようになった。  ノンクリスチャンだったころは、仕事のメールや挨拶状で、最後に「ご活躍をお祈りします」などと、わりと気軽に書いていた。けれども受洗後は、そう書くことにやや抵抗を感じるというか、「私、ほんとうにその人のために祈るのかな」と、ちょっと悩むようになった。  それでも、クリスチャン同士で交わすハガキや、親しい人への便りでは、「主の恵みが豊かにそそがれますようお祈りします」などと書いていた。  

がんばりすぎないお昼ごはん*ちんげん菜ばなとベーコンのパスタ

 夫が「ちんげん菜ばな」という野菜を買ってきたので、ベーコンと合わせてパスタをつくりました。  ネットで調べると、ちんげん菜ばなは、チンゲン菜を「とう立ち」させた(花茎をのばすまで育てた)野菜とのこと。見た目はふつうの菜の花みたい。花茎や葉がやわらかいのが特徴で、菜の花と同じく、春限定の季節野菜だそうです。  パスタをゆでながら、フライパンにオリーブ油をひいてベーコンを炒め、適当に切ったちんげん菜ばなも入れて火を通します。ゆでたパスタを投入し、塩とオリーブ油をからめ、ゆで