誰かに手紙を書くように

僕は、よく表現をします。そして、それを人目につくところに放ります。
(カッコつけたけど、何かアウトプットしたらすぐSNSに載せるということです。)

筆を執れば、投稿する。
絵を描いたら、投稿する。
ピアノを弾いても、投稿する。

自分は、綺麗なものを綺麗だと感じることができると信じているし、そんな自分から生まれたものを世に放つことに特段、躊躇いもない。

よく人に訊かれます。
「恥ずかしくないの?」「怖くないの?」「勇気あるね」
いつも思いますが、恥ずかしいし、怖いし、勇気も必要です。
まあ、要は慣れたのです。

(ちなみに、質問箱に割とエグめのメッセージが飛んでくる事も多々あります。下手したらメンタルを持ってかれます。
想像力を働かせず、暴力的で、意地悪で、傷つける事が目的の言葉等。
正直、割と良いとこ突いてくるなぁとかも思ったりもします。
表現する事もそれを共有する事も怖くなる時もあります。
でも、その度に自分の情熱を捨てていたら、人生で何を愛せるのだろうとも思います。)


まぁ、強いていうのであれば、僕は、何もせず、何も言わない事で失うことの方が怖いのです。
何かを表現し、共有する事で得られる歓びや繋がり、すなわち人生の豊かさと言えるであろうものが。

自ら何かを生み出すということ

とはいえ、創作というものは怖いですね。本当に怖い。
人が自らの手で何かを生み出す時、生んだもの、それが自分の全てです。
自分が経験していない事、知らない事、分からない事、考えられない事は絶対に自分から生まれない。
自分のこれまでの全てが、自分の書いた、そのものなのです。

だから、怖い。自分の創作物が認められない事が、拒まれることが。
反応がなく、価値がないと烙印を押されることが。

手紙を書くように

でも、ちゃんと向き合い、丁寧に紡いだものは、間違いなく誰かに届きます。本気で、裸で、真摯に向き合って書いた文章は、本当に美しい。と、僕は思う。

それっぽく、まとめない。予防線を張らない。ありのまま、ありったけを。
そうして紡がれた何かは本当に美しいと思うのです。

一年ほど前、僕は1ヶ月連続でnoteを書き、100日連続でピアノを弾く、という謎の企画をしていました。
勿論全てInstagramに投稿し、キャッチーなタイトルや流行りの曲は沢山の反応を貰えます。
noteの題材もリクエストを頂いてましたし、弾く曲もそう。
でも、たまに本当に書きたいものを書くのです。本当に弾きたい曲を弾くのです。

すると、見事に反応が減る。笑笑
でも、絶対に、僕が愛してやまない特定の人達は、それに敏感に反応してくれるのです。

それがどれだけ弱くて歪(いびつ)でも、どれだけ不恰好でも、彼ら彼女らは間違いなく反応をくれる。
何を言わずとも、ちゃんと届いているのでしょう。

それはそうでしょう。僕は、彼ら彼女らを頭に浮かべながら紡いでいるのですから。

僕は、実はnoteを書く時、必ずと言って特定の誰かを頭に浮かべながら書きます。
誰もが喜ぶものより、世界中から拍手を貰うより、誰か1人に届く様に。

文章を書く時、ピアノを弾く時、絵を描く時。
それに、企画をする時、事業を作る時も。
(ペルソナという手法ですね)

そして、そういう考えで色んなものを書き続けて、最近ふと気づいた事があります。
それは、手紙のようにものを書くことの真価です。
その本質的な意味と意義、その価値に比べたら、刺したい人に刺さる事なんでほんのおまけでしかなかった。

そもそも論と真の価値

そもそも、物事に良いも悪いもないのです。
それを良いと感じる人、悪いと感じる人がいるだけなのです。

何かを書いても、それが僕の手元から離れた時点でそれはもう僕のものではない。

これはきっと何だってそうだと思っています。大勢が良いと思っても、それは”大半の人が良いと思うもの”でしかない。逆も然り。
周りがどうとか、大衆がそうとか、それは貴方の感性や価値観に何ら関係ない。というか、一切と言って、関係ない。

貴方が綺麗だと思うもの、貴方が美しいと感じるもの、それが綺麗で美しい。貴方が感じることが全てであり、誰もそれを奪えない。

だから、僕の書いた文章に触れて、面白いとか、優しい気持ちになるとか、そう思ってくれる人がいると、嬉しい。

そして、多分、その僕の生んだものは、その人の為に生まれたのだと思うのです。

何かを書き、インターネットの海に放たれ、どこかで、誰かの心を、揺らす。そして、僕から生まれた言葉が誰かの人生の、その人も気づかないどこかで、お守りの様に暖かく優しく支えているという事実。

例えその反応が僕から見えなくても、思ったより反応がなくても、届けたい人に届かなくても。きっとどこかで誰かの人生を良くしている、そう思える事がクリエイター冥利に尽きるのです。

さいごに

と、こんだけ書いといて何やねんという感じなのですが、このnoteで本当に伝えたい事は、皆さんへの感謝の気持ちです。いつも僕のnoteやピアノを読んだり聴いてくれたりしてる全ての人に、心からの感謝を述べたい。
何より、反応してくれる人、そして何らかの影響を受けてくれている人に。(Special Thanksって奴ですね)

noteを載せたりすると、いつも数人がメッセージをくれます。めちゃくちゃ嬉しいし、励みになります。
でも、実は僕が書き続ける理由は、ふとした時、思い出したかの様にコッソリ「あれ本当に良かったよ」「あれで実は自分も◯◯始めたんよ」とか言ってくれる人がいるからです。(反応くれる人もまじでありがとうやで)

実は読んでました〜、実は影響受けて◯◯始めました〜、とか、そういうのめちゃくちゃ嬉しいです。
そして本当に書いて良かった、という気持ちでいっぱいになります。

届けたいとか、届いて欲しいとか、そういうのじゃなくて、いつも感動も真の歓びも、自分の予期せぬところからやってくるのです。

だから僕は、書き続けるのです。手紙を書くように。
どこかで誰かに届くから。どこかで誰かを救うから。どこかで誰かを動かし、忘れられてもその人の中で生きるから。人は言葉を食べて生きるから。
誰かの栄養に、お守りに、そんな願いを込めて。

いつもnoteを読んでくれる方へ。
本当に、いつもありがとう!
貴方を包む全てが優しさで溢れますように。


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