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「知ること」と「知らないこと」の違いが身に沁みている。

どうも、株式会社シンコー営業推進部の岩谷です。

僕のざっくばらんな自己紹介はこちらから。

さて、今回の記事は前回の記事に少し関連して、「知ること」にフォーカスを当てたいと思います。
どちらも見ていただけたら嬉しいなと思います。

どうして企業の note でこんな記事を作ることにしたのか?
弊社とどんな関係があるのか?
そもそも「知ること」に何の意味があるのか?

などなど、いろんな意見がありそうですが、今回は先に結論を書いておきます。

「知ること」=「楽しいこと」

では、今回の記事も楽しんで作っていきます。

1. 好奇心が生み出すパワー

失礼な問いかけになるかもしれませんが、「あなたは好奇心旺盛ですか?」

この問いかけに即座に「YES」と答えられる人はすごいと僕は感じます。

主観的な意見になってしまいますが、人は子どもの頃の方が好奇心旺盛で、歳を重ねる毎に好奇心が失われていくと感じています。
これは、自分自身のこれまでを振り返ってみるとよく分かると思います。

子どもの頃は、目に見えるもの、触れるもの、全てが新しくて、全てが鮮やかで、全てが楽しく、おもしろく感じていたはずです。

なぜなのか?
そう、「知ること」に対する興味が半端じゃないからです。

よく子どもが親に対して、「何で?」と連呼している場面に遭遇します。
これに対する親の対応の多くは、最初は丁寧に答えているにもかかわらず、あまりに続くと「うるさい」と一喝してしまいます。

この親の対応も自分がある程度の年齢になると理解できます。
なぜなら自分は「知っている」から。
あるいは「知らない」からです。
そして往々にして、「知らない」ことについての興味が無いのです。

知っていることをあえて説明することは、なかなか難しいところがあります。
ものすごく簡単な説明で済むものから、説明している間に自分なりに考えていると、『実は知らないんじゃないか?』と思えてくることもあります。

知らないことについては、「自分で調べてみてごらん。」が一番多い逃げ道なのかなと思います。
これはそれ自体を批判しているのではなく、自身はその物事について知ることに興味が無く、知る必要も無いと感じているため、そこに貴重な時間を使いたくないと考えるためだと感じます。

では、改めてもう一度問いかけます。

「あなたは好奇心旺盛ですか?」

どうでしょう?

僕自身の個人的なこの質問に対する答えは、『まあまあある方じゃないかな』です。
おそらく、と言っては失礼かもしれませんが、大多数の人が僕と同じ答えではないかと想像しています。
その理由は先に述べた通り、大人になればなるほど興味の対象が人それぞれ異なり、かつその興味に対する度合い(興味深さ)も人それぞれ異なるからです。

全く好奇心が無い人はいないと思います。
ただ、「何に」、「どれくらい」、好奇心があるのかは自分にしか分かりません。
そして、「いつ」好奇心が生まれるのかも自分にしか分かりません。

子どもの例に戻ると、これが割と分かりやすく表面化され、

真新しいモノ(コト)にはじめて触れる時、深くまで掘り下げたい

という欲求が高まり、「何で?」の連呼に至るのでしょう。

この時の子どもの眼の輝きたるや、相当なもの。
マンガやアニメにも負けず劣らずの『キラキラ』が、現実に見えているんじゃないかと錯覚するぐらいです。

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そして、そんな自分自身の内側から発せられる欲求に、素直に、忠実に、行動に移せる子どもが羨ましくも思える。
「そんな歳になってしまったなぁ。」
と、いつしか思うようになってしまった自分をどこか悲しくも感じます。

しかし、いま、僕はまさに、その子どもたちのような、

「知的好奇心」が生み出すパワー

を求めているのです。

2. 時間がくれたもの

なぜ、「好奇心」を求めているのか?
なぜ、それによるパワーを求めているのか?

それは、

"いまを楽しくするため"

誤解されたくないのでちゃんと書き示しておきますが、
「いまが楽しくない訳ではありません。」

かと言って、
「いまが楽しい訳でもありません。」

現在の世界の状況は、簡単に言っても、非常事態です。
この記事を書いているまさにこの瞬間は、新型コロナウイルス感染症拡大に伴う、3回目の緊急事態宣言がようやく解除されたばかりで、その影響を受けている弊社の業績も好調だとは言い難いところがあります。

仕事だけにとどまらず、不要不急の外出自粛が呼びかけられていたため、僕の毎日は、およそ超一流のアスリートが行うルーチンのような、ほとんど決められた流れの日々が過ぎ去っていきます。

しかし、こうした状況は奇しくも、僕に「時間」を作ってくれました。

その「時間」が無ければ、この note をはじめようとも思わなかったでしょう。
「時間」的余裕が生まれた時、『何かしなければ』という気持ちと、以前から『こんなことをしてみたいな』と考えていたことを、同時に実現できると思いました。

先にも書いたとおり、

興味を持った時点でその興味の熱が冷めないうちに動き出す

子どものように、純粋なまま、興味の赴くままに考えたり、調べたり、実践してみたりする。

ただ、おそらくこれが、一番難しい

なぜか?
答えは簡単。

「面倒くさい」

それも、異常なほどに、面倒くさい!!
(僕だけかもしれないけれども)
そう思ってしまうのはなぜなのか?

興味を持つ瞬間は日常生活の中でいくつも訪れるのですが、あなたはその時何をしていますか?

仕事中だったり、家事の途中だったり、勉強中だったり、友達と遊んでいる時だったり、休みの日に寝転んでゆっくりテレビを見ている時だったりしませんか?

何かに興味を持つときや、閃いたりする時って、別の何かをしている瞬間が多い気がします。

『ほんとうはこうした方が仕事がもっと早く終わるんじゃないか?』
と思っても、まだ他にやるべきことがあって、それができる頃にはどうでもよくなっている。

とか、

『読書中に難しい漢字が出てきて何て読むんだろう?』
と思っても、そもそも読めないから調べようもないし、続きも気になるし、前後の文脈からなんとなく雰囲気で読んでしまって、間違って覚えてしまう。

とか、

『これもしたい』、『あれもしたい』と興味が湧いてしまう時ほど、すぐに手を付けれられないその状況が興味の熱を奪ってしまうことは多々あります。

これを解決してくれるのが、「時間」ではないかと僕は思います。

半強制的に「自由な時間」が生まれたらあなたは何をしますか?

「友達と遊びたい!!」
いいですね。

「旅行に行きたい!!」
いいですね。

でも、いまの現状ではそれがとても難しい。

「巣ごもり需要」なんていう言葉も生まれ、余り過ぎた時間をどう使おうかと悩む人も多いと思います。

僕自身も「時間」が余りはじめた当初は何もすることもないし、できないし、どうしたらいいんだろう?
と思いました。

仕事量は減り、毎日がルーチン化され、特別楽しいことがあるわけでもなく、時間だけが余る。
文章化すると、より地獄感が出てきます。

ならばやはり、時間を使って楽しいことをするしかない
そして、それを「仕事の一部」にしてしまえ!!
と考えました。

『それって楽しいの?』
『結局、仕事だろう?』
『仕事になったら楽しくないのでは?』

と、みなさんは思いますか?

それは違います。
仕事だからこそ、楽しくしたいのです。

例えばテレビ番組を作っている人。
この人たちは、番組のカテゴリーに限らず「視聴者に楽しんでもらおう」という気持ちで番組を作っているはずです。

それが「視聴率」という数字で表されるため、視聴率を上げるために、世間ではどんなものが流行っているのか調べたり、どの世代に向けてどんなコーナーを作るのかを考えたり、それを放送する時間帯はいつが良いのか傾向を見てみたりして、工夫しているはずです。

もう一つ例を。

例えば商品開発をしている人。
この人たちは、いままで世の中に無かった商品を生み出す、あるいは既存の商品の改良を行うことで、「消費者(購入者)に楽しんでもらおう」と考えているはずです。

どうすれば喜んでもらえるのか?
どんな商品が必要とされているのか?
その商品を作るためにはどんな技術が必要なのか?
このようなことを考えながら、日々試行錯誤しているはずです。

でも、この二つの例えに書いた、

「視聴者に楽しんでもらう」
「消費者に楽しんでもらう」

というのは、「建前」だと僕は思っています。
つまり、言い換えれば「結果論」です。

この人たちの「本音」は、

「自分が楽しむこと」

だと思っています。
(間違っていたらすいません)

[僕が勝手に想像する一連の流れ]
① 自分が楽しいと思える番組や商品を作る。

② そのために何が必要なのか考える。

③ そのために分からないことを調べる。

④ そのために必要な技術を学ぶ。

⑤ そのために「時間」を使う。

⑥ そして、それ自体を自分が一番楽しむ

⑦ その結果としての番組や商品を、視聴者や消費者が楽しんでいる。

と、想像します。

この流れが大筋で正しいと仮定して、自分の仕事に置き換えた時、仕事をする上で僕が一番重要視するのは、⑥です。
①は仕事をするスタートラインなので、誰もが変わらないものです。
⑦は結果でしかないので、⑦に重きを置く必要はありません。
(このことに関しては、冒頭に紹介した前回の記事にも関係しています)

そして、②、③、④が仕事の中にある「好奇心」になります。

つまり、⑥のためには、②、③、④といった「好奇心」が絶対に必要です。
そして、「好奇心」が生み出したパワーを使うために、⑤が必要なのです。

3. 「桜木 建二」の言葉

ここで少し話は変わりますが、みなさんは「ドラゴン桜」というドラマを観たことがありますか?

2021年4月25日から実に16年ぶりの第2シリーズが放送されており、ドラマの概要を簡単に説明すると、

阿部寛さんが演じる「桜木建二」という弁護士が、偏差値の低い高校から東京大学合格者を出す。という内容で、そこにいろいろな人間関係や、学校や社会の仕組みが絡んでいき、東大を目指す生徒たちが成長していきます。

紹介したいのは、第2シリーズの第3話で「桜木」が多くの生徒たちに向けて話す言葉です。

以下、第3話からの抜粋です。

ーー 桜木
お前らが何でバカなのか教えてやろうか?
それはなぁ、お前らが"モノ"を知らねぇってことだ。
教科書に載っている知識のことじゃねぇ。
世の中の実態と仕組みを知らねぇってことがバカなんだよ!
〜(中略)〜
どんなに努力しても、どんなに力を振り絞っても、「本質を見抜く力」が無ければ権力者と同じ立場にすら立てねぇんだよ!!

ーー 生徒3名
それが何だってんだよ?
そんなの国のせいだろ?
俺たちに関係ねぇし。

ーー 桜木
だからお前らはバカだってんだよ。
誰かのせい、国のせい、時代のせい。
他人を叩き批判して、文句を言って何が変わる?
ルールを作ってる奴らはなぁ、この状況が「オイシイ」からこういう仕組みにしてんだ!
〜(中略)〜
なぜ社会はこうなってんのか?
誰がどんな意図でこの仕組みを作ったのか?
本質を見抜き、自分なりの答えを出す力をつけろ!
〜(中略)〜
そのためには勉強するしかねぇんだ。
勉強ってのはな、この国で許された唯一の平等なんだ!

こう生徒たちに説きます。

勉強をしない、つまり「本質を知ろうとしないことが一番の問題」だと言うのです。

4. 「知ること」の本質を考える

このドラマの主人公はもちろん、「桜木」なのですが、物語の重要な要素を占めるのは、東大受験をする「生徒たち」です。
「生徒たち」が直面する不安や悩みに、「桜木」は東大受験を通して「生徒たち」自身が自ら困難な局面を乗り越えていけるように後押しします。

そして紹介した「桜木」の言葉も、間違いなく「生徒たち」に向けられた言葉です。

でも、この言葉はそのまま、自分たちのような社会人にも当てはまります。
むしろ、大人にこそ響くべき言葉だと僕は感じます。

大人になったから、社会に出たから、といって世の中の実態と仕組みの全てを知っているわけではありません。
むしろ知らないことの方が多いのです。

例えばあなたは自分の会社のこと全てを知っていますか?
(ちなみに僕は自分の会社のことを全ては知りません)

例えばあなたは日本の法律全てを知っていますか?
(ちなみに僕は法律は数えるほどしか覚えていません)

「知らない」から、誰かのせいにしたり、会社のせいにしたり、時代のせいにしたりする。
「知ろう」とすれば「知れる」のに、「知ろう」としない。

「知ろうとしない理由」を自分には関係ない。
と言えてしまう。

それでも生きていくことはできるから。

これが問題なのです。

新型コロナウイルスもそうですが、「未知」のものが目の前に現れた時に、僕たちは恐怖します。
それは「知らない」ということが、直接命に関わるからです。

「知らない」ことが、よほど自身に関係していない限り、ほとんどの人が興味を抱かないのは普通のことだと考えられます。

しかし、よくよく考えてみてください。

自分が勤める会社のことを「知らない」というのは問題なのでは?
会社がどういう仕組みになっているのか「知らない」のは怖くないですか?
会社がどういう方向に向かっているのか「知らない」ままで不安はないですか?
会社の規則やルールを「知らない」まま仕事ができますか?

こうして考えると、

「知らない」ということが自身に及ぼす影響は計り知れない

のです。

仕事だけではなく、日常生活においても同じことが言えます。

いま、一番身近にある新型コロナウイルス感染症を例に見てみましょう。

最初は目に見えない新しいウイルスにどう対処すべきなのか、誰も「知らない」状態でした。

そこから、〈アルコール除菌が有効〉という情報が出されます。
その結果、アルコール商材が品薄になったりもしました。
しかし、それでも感染症は拡大していきました。
それは、なぜなのか?

〈日本は手を洗う習慣が海外より身に付いているから大丈夫〉という情報も目にしたことがありました。
確かに、家に帰ったらまず手を洗いなさいと、幼い頃から言われ続けていたように思います。
しかし、それでも感染症は拡大していきました。
それは、なぜなのか?

こうした事実に対して、「なぜ?」という興味を持つことは、「知ること」の大切さ、そして面白さを実感できる場面でもあります。

この記事を読んでいただいているあなたは、この「なぜなのか?」に答えることができますか?

答えることができるのならば、ドラマの中で「桜木」が言うところの、「本質を見抜く力」が身に付いているはずです。

それとは逆に、答えがうまく出せないのならば、そうした疑問に自分なりの答えを出してみようとすることが大切なのです。

他人から教えてもらうばかりではなく、自ら調べ、考え、試し、そこから答えを得る。
それを繰り返すことにより、「本質を見抜く力」を身につけていく。

5. 「知ること」=「楽しいこと」

これまで書いてきたように、「知らないこと」を「知ること」は、「本質を見抜く」こと。
すごく単純に表すと、

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こういうことです。

ではなぜ、冒頭に今回の結論として、

「知ること」=「楽しいこと」

と記したのか。

突然ですが、好きなスポーツは何ですか?
野球ですか?
サッカーですか?
ボクシングですか?
もう延々と千差万別の答えが出てきそうな質問ですが、なぜそのスポーツが好きなのですか?

どうやってそのスポーツを知ったのですか?
そのスポーツのどこに興味を持ったのですか?

こうした質問に対して、自分の好きなことならば、その好きな理由(答え)もどんどん言えるはずです。

実際にスポーツをやっているとか、見るだけとかに関係なく、そのスポーツについての造詣が深いほど、楽しさが増すはずです。

これは、音楽や本などについても同じことが言えます。

さらには、好きな食べ物、好きな色、好きな人、好きな動物、などなど普段は意識していなくとも、改めてなぜ好きなのか?を「知ること」でそれらをより好きになれます。

逆に嫌いなこと(もの)についてはどうでしょう?
なぜ嫌いなのか?
これも、なぜ?を深く「知ること」でそのこと(もの)から自分を守る術を身に付けることができます。

「好き」や「嫌い」は理由がハッキリしています。
だからこそ、そこに生まれる「好奇心」を自然と持つことができます。

では、多くの大人たちが多くの時間を使う「仕事」ではどうでしょうか?
この記事で書いてきたことを総合すると、

自分の仕事に関して、「なぜ?」という「好奇心」を積極的に持ち、「本質を見抜く」ことは、結果として「仕事を楽しむ」ということにつながる。

僕が、仕事だからこそ楽しくしたい理由はここにあります。
そのために、いま「知ること」の楽しみを実感しているし、実践しています。

自分には、
興味が無い。
関係無い。
と吐き捨てることは、簡単です。

ただし、それ以上の先は決して見えてこない。

楽しむためには知らないことを知ること。
いま、「知ること」と「知らないこと」の違いが身に沁みている。


最後にもう一つ言葉を紹介したいと思います。
誰がくれた言葉なのかは忘れてしまったのですが、僕の中に深く残っている、とても大切な言葉です。

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