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若手建築家の実践と将来 建築と設計のこれから

建築に求められるものが多様で複雑になった今,建築をつくる環境にも変化が起きています.そのような変化に対して,どのような将来が描けるのでしょうか.『新建築』2018年1月号では,アトリエ事務所を運営する若手建築家のみなさんにお話を伺いました.1年を締めくくる2018年12月号では,異なる組織に所属する若手建築家による座談会,アトリエ事務所の建築家による組織や働き方のマネジメントについてのエッセイ,そして新しいチーム編成やリサーチ方法で実施が進むプロジェクトの紹介します.
本記事では,特集の中から建築論壇「若手建築家の実践と将来 建築と設計のこれから」をお届けします.
ここから,若手建築家の建築をつくることに向き合う姿勢が見えてくると思います. (編)
※『新建築』2018年12月号より転載

実務から見えてきた社会と建築家の役割

左から,青柳創氏(日建設計),岩瀬功樹氏(梓設計),大石卓人氏(竹中工務店),眞田アンテオ太郎氏(隈研吾建築都市設計事務所),富岡良太氏(Arup).

──今回は,異なる分野に所属する若手建築家のみなさんにお集まりいただき,今,建築をつくることにどのように向き合うのか,お話を伺います.まず初めに,みなさんが大学でどのように建築を学ばれたのか,またそれぞれの分野に進んだ理由について,お話いただけますか?

青柳創(以下,青柳)  僕は2006年に日建設計に入社し,現在13年目になります.

大学院では東京藝術大学の六角鬼丈先生の研究室に在籍していたのですが,当時の藝大はアトリエ志向が強く,僕以外の同期はほぼ全員がアトリエ事務所に進みました.なんとなくみんなが行く方向に進みたくないなという気持ちと, 3年程度で独立し建築家としての活躍を目指すアトリエ事務所の慣習を見ていて,小心者の僕自身にはそのシナリオにリアリティが持てませんでした.

また労働環境に時代感覚の差を感じていました.これまでアトリエ事務所の建築家の方々が築かれた建築文化は素晴らしいのだけど,労働環境の面で見ると負の遺産になってしまっています.それはわれわれの世代で変えていかなければ誰も建築家を目指さなくなってしまうという危機感がありました.そのような意味で,労働環境への意識が比較的高そうな組織設計事務所を選びました.
一方,当時,学生だった僕には組織設計事務所の建築の作品性にまったく共感を覚えることはできませんでした.しかしアトリエの労働環境で働くよりは,組織に進んで作品性を変えていく方がよい建築を生み出せるのではないかと生意気なことを考え,日建設計に入社しました.


岩瀬功樹(以下,岩瀬)  私は2015年に梓設計に入社し,現在4年目です.

学部時代の演習課題では,都市計画などのスケールの大きいものが多く,当時の私もそういう課題を楽しんで大胆に設計していたのですが,2011年に東日本大震災が起こり,自分が建築に抱いていた夢やロマンが一気に崩れ去ったような感覚を覚えました.
しかし立命館大学の宗本晋作さんの研究室で震災復興の活動(『新建築』2012年9月号掲載)を行ううちに,建築が描くことができるスケールの大きなビジョンと人間の初源的な部分とが繋がっているような感覚を持つことができました.
私の卒業設計のテーマは新国立競技場を伴うオリンピックの選手村の計画だったのですが,そこでも建築のハードだけではなくソフトの「コト」部分も大事なのだと思い,取り組みました.梓設計に入社したのは,空港やスポーツ施設を得意とする企業だからこそ,大変さも含め大空間の設計に携わり,自分でデザインしてみたいという気持ちがありました.


大石卓人(以下,大石)   私は竹中工務店に2006年に入社し,現在13年目になります.

法政大学大学院で所属していた渡辺真理研究室ではどんなことでも研究し,チャレンジしてよいという自由な雰囲気がありました.同期にも特徴のある友人が多く,NOSIGNERの太刀川英輔さんは3Dが得意で有機的な形を自在に操り,CAtの大村真也さんは構築的なプロセスからデザインを積み上げ,OpenAの平岩祐季さんは人から考えていくことを実践していて,お互いに刺激を受けていました.
僕自身は,音楽イベントの内装やインスタレーションなど,実際に1/1の感触や人の反応を掴みながら制作することに興味がありました.また学生時代の5年間,槇文彦さんの事務所でアルバイトしていて,精巧な模型や美しいドローイングに常に触れていたことで,建築に対する姿勢が養われました.
竹中工務店は,設計だけではなく,ゼネコンの施工力,技術力,都市開発などの多様なチャンネルを持つプロフェッショナルが集まってものづくりをしている点が魅力的でした.「長い歴史を持つ」=「経験の蓄積と未来への視座がある」と考え,その歴史を担っていくことにやりがいを感じたのが大きかったと思います.


眞田アンテオ太郎(以下,眞田)  僕は母が日本人,父がイタリア人で,生まれてからほとんどイタリアで育ち,ミラノ工科大学で建築を学び,2012年に大学院を卒業しました.大学では日本の建築家がとても人気があり,もっと近くで見たいと思い,日本に来ました.2012年に隈研吾建築都市設計事務所に入所して,今年で5年目になります.

2017年にハーバード大学GSDに1年半留学し,今ちょうど戻ってきたところです.隈研吾さんは伝統的な素材を使いながらもオリジナリティのある建築をつくるのが面白いと思い,とても興味がありました.また,いろいろな国で仕事をしたいと思っていたので,海外のプロジェクトを手掛けられるのも魅力のひとつでした.これまでスイス,デンマーク,中国,台湾のプロジェクトを担当し,これからフィリピンとバングラデシュのプロジェクトを担当する予定です.


富岡良太(以下,富岡)  私は2010年にArupに入社し,今年で9年目になります.

京都大学の出身ですが,学部時代はそこまで設計課題が好きではなく,提出前日に作品をパッとつくって持っていき,先生からはロクに講評ももらえないような学生でした.でも製図室には友達もいるし,よくそこで過ごしていました.その時にたまたま『a+u』を見ていて,アルヴァロ・シザがエドゥアルド・ソウト・デ・モウラと設計したサーペンタイン・ギャラリー・パビリオンに感激したんです(a+u0511).調べてみると,サーペンタイン・ギャラリー・パビリオンというものが毎年あり,その構造設計を毎回担当しているのがArupというエンジニアリング会社であることを知りました.
構造力学は比較的得意だったので,これをきっかけに構造設計という仕事に興味を覚えました.構造設計を手掛ける会社の中でもArupは世界各国にオフィスがあるし,海外旅行ができそうで面白そうだなと思い,入社しました.



──働き始めてから,どのような建築と社会との関わりが見えてきましたか?

青柳  大規模開発プロジェクトを成し遂げることがいかに難しいかということを実感しました.
規模が大きくなればなるほど設計者の意識だけではどうにもならず,事業者の意識も含めてさまざまな仕組みから変えていかないとプロジェクトはよい方向に進まないと痛切に感じています.
また,組織の作品性を変えるという生意気な考えで入社したものの,組織設計事務所への仕事の大半はそもそもデザインを期待されていないのがつらいところです.事業者がデザインを必要とする場面でも,求められるのはデザインそのものではなくデザイナーのネームバリューだったりするので,設計の下働きは日建設計にお願いするが,デザインは別のデザインアーキテクトにやってもらう,となってしまうわけです.非常に悔しいことなのですが,現状に対してデザインだけで真っ向勝負を挑んでも,世間からの評価ではスターアーキテクトに太刀打ちできないのが日建設計の現状なのかな,と感じています.これは世間に対して日建設計に所属する設計者がデザイナーであることを認識させてこられなかった責任でもあると思います.

しかしデザインだけでは敵わない,というのはある意味で売り込み方の発想を変えるチャンスでもあります.そもそも昨今の環境やエネルギーの問題,都市や社会からの複雑な要求に対して,見た目のデザインだけでプロジェクトが評価されるのは難しい時代になってきていますよね.
私たちしかできないさまざまな課題を複合した提案を打ち出し,そこにそっと良質なデザインを忍び込ませれば,スターアーキテクトとも渡り合えるし,むしろ優位に立てる可能性すらあると思っています.


岩瀬  入社してから最初に担当したのが,ある大学キャンパスのマスタープランの検討という大きなプロジェクトで,そこから新校舎を実際に設計し,同時に台湾の桃園市立図書館のコンペと設計(『新建築』2017年5月号掲載)に携わり,公園のデザインやまちづくりにも関わる提案をしました.
今はスポーツ施設主体のスタジオにいますが,そこでも建築に対して,まちの防災機能や住民の健康寿命を延ばす役割など,当然のことのようにまちづくりとの関係が問われます.スポーツ施設を建てるだけではなく,それをきっかけに賑わいが広がることへの期待が大きくなっていて,ハードとソフトやコンテンツが融合した「コトのデザイン」の提案が求められることが当たり前になってきていますね.


大石   社内には大小多様なプロジェクトがありますが,青柳さんが言われたのと同じ状況はわれわれにもあって,必ずしもデザインを買われて設計を受けているわけではなく,設計施工としての品質,性能,コストコントロールなど,トータルパッケージとしてのソリューションを前提として求められます.その中でも,社会に対して訴求するような一歩踏み込んだ建築をつくるためには,当たり前ですが,基盤としてのプロジェクトを共に推進することによる信頼感,建築主の想いに応えてくれるという安心感の醸成が重要だと感じています.


眞田  私は世界のいろいろな国でプロジェクトを担当してきました.
プロジェクトのタイプによって異なる部分もありますが,常に隈さんに求められているのは,今までと違う発想やデザインの力による問題解決で,そこに社会が求める建築家の役割を感じています.また隈さんはメディアで紹介されることが多いので,たとえ小さなプロジェクトでも担当スタッフのアイデアを世界に発信することができ,そのインパクトの大きさを感じています.


富岡  私が入社した2010年はリーマンショック直後で,国内のプロジェクトはほとんどなく,主に海外プロジェクトを行っていました.
初めて担当したのは山本理顕さんのチューリッヒ空港に隣接する複合施設ザ・サークルで,その次は隈事務所のV&A dundeeでした.世界中で設計したかったし,有名な建築家と仕事もしてみたかった希望がいきなり叶って1年目は浮かれていたのですが,2,3年目になると日本のプロジェクトが戻ってきました.海外のプロジェクトは基本設計までで終わることが多かったのですが,いざ日本のプロジェクトの実施設計をひとりで担当してみると,求められる図面や検討の詳細度は当然基本設計よりも高いし,確認申請のプロセスも初めてだし,勝手が違っていました.そのギャップに大変な思いをしたのが3年目くらいでした.でもそれを乗り越えて,施工まで現場を見て,実際に建物ができるのを経験したことで,建築の見え方ががらっと変わりました.
最近では,SANAAの日立市庁舎荘銀タクト鶴岡(鶴岡市文化会館)(『新建築』2018年1月号掲載)などの国内の公共プロジェクトを担当したのですが,実際に世の中に建築ができるということが大きなインパクトを持つのだと,より強く感じるようになりました.




組織の変化と個人の実践

──建築に求められる役割の変化や社会の働き方改革により,それぞれの組織の変化はありましたか? またご自身の将来を見据えて,自ら実践していることをお教えください.

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若手建築家の実践と将来 建築と設計のこれから

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株式会社 新建築社は、1925(大正14)年の創業・『新建築』創刊以来、月刊誌を中心とした建築関連の雑誌・専門書を発行しています。建築を様々な角度から取り上げ、新しい建築を求め誌面をつくっています。 https://shinkenchiku.online/
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