note丹下健三

実在感と抽象性 藤森照信─「槇文彦氏が述懐する丹下健三」後記

この度、『丹下健三』の再刷が決定しました。
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再刷決定を記念しまして、『丹下健三』執筆のベースとなった『新建築』掲載の藤森照信氏によるインタビューシリーズ「戦後モダニズム建築の軌跡」を再録します。

前編はこちら
神話化する丹下健三・マイスターとは異なる設計手法─「槇文彦氏が述懐する丹下健三」前編

後編はこちら
ミースと丹下はどこで出会ったか・丹下健三との分岐点─「槇文彦氏が述懐する丹下健三」後半


槇さんの造形は丹下研の出身者の中では独特というか,ズレているというか,谷口吉生さんと共にいっぷう変わった位置にある.
日本の戦後モダニズム建築の流れをあえて二分して,実在感を大事にする系譜と抽象性を求める系譜に分けるなら,槇さんは後者といってよい.戦前にさかのぼって世界的にいうなら,前者の祖はコルビュジェで,後者の祖はグロピウスとミースを代表とするバウハウス.

丹下研はコルビュジェ派,実在感派の中心に位置していたのに,その初期のメンバーである槇さんは,しだいにズレていって,やがて現代建築の抽象派の芯棒にまでなる.この経過について一度確かめておかねばと考えていたが,このたびのインタビューで果たすことができた,処女作の豊田講堂が一番コルビュジェ,丹下に近接していて,以後,自分らしさを求めてひたすらズレていった,と自ら認識しておられるのである.槇と谷口のズレ行きを確認して,さて,丹下を振り返ると,丹下自身の作品の中にも,抽象的,ミース的なものが含まれていたことをを認めないわけにはいかない.もっとさかのぼっていうと,コルビュジェ自身の中にも,その初期から中期にかけて,強い抽象志向が知られている.

丹下の作では,旧東京都庁舎とか駿府会館とかの鉄とガラスの扱いの中にミース的なものが発現しているし,ピースセンター本館(右手の棟)や丹下邸にも,日本の伝統に仮託しての抽象性がある.
とすると,日本の戦後モダニズムは,そのスタート時より,実在感と抽象性のふたつの極が形成する磁場の上を動いていたことになる.これを二方向に引き裂かれていた,と考えるのは間違いで,ふたつの異質な力に引っ張られることで作品の中にダイナミズムが生まれ,また建築界もダイナミックに動くことができた,のである.

話が始まる雑談の中で,槇さんは,広島のコンペの最初の案はピースの箱の裏に描かれていたんですよ,と語った.わが目で見たわけではないが,槇さんが丹下研に入ったときにはそういわれていたという.
このシリーズの最初に登場した大谷幸夫さんが,丹下先生から見せられた最初のコンペ案は,ごく小さな紙に書かれていた,と述べ,両手で小さな横長の紙型を示されたが,実はピースの箱の裏の白地の紙だったのである.

ピースからはじまったピースセンター.これが丹下神話第1号ということになろうか.
(『新建築』1999年1月号掲載)



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