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雨と風

僕は、障害福祉事業を行なっている、利用される方がとてもたくさんの「生きにくさ」を感じているように解釈している、実はご本人は「生きていること」がそれだけで「スペシャルな1日として、楽しく過ごしているかもしれない」ただ、周りが「大変そうだ」と気にかけているかもしれない、、、

人が育つには、色々な要素や経験に言葉かけ、そして環境が必要だ。
僕が行なってきた片山工房は、その障害のある方の「望みや」「幸せ」を常に意識してきた。でも、これにとっても、ご本人から頼まれたことではないことを本質として理解しておかなければ、本質から1ミリずれれば未来の方角が10メートル違ってくる。

では、本当に必要なものは何か、それは、「信じて待つ」ことのように思う。
ただ、待つのではなく、気持ちの台風や災害が来たら、その気持ちを持ち上げて
ズラす。ここに焦点を当てて基本としている。

これは、障害のある方に対してではなく、「障害のある前に人である」を念頭に
人の育つにも必ず役に立つと信じている。

あるTV番組で、お寺の釣鐘の制作工程を見た。
熱せられた銅を型に流し、釣鐘ができる。
出来上がった、その釣鐘の音は、まだまだ若く高く軽い音がすると言う。
その若い釣鐘をどうやって、大人の釣鐘にするのかと見ていたところ
1年間、野外に野ざらしで、雨と風に当てることによって
銅が締まり、整った重厚な音になるらしい。

そう、雨と風が胆なのだ。

そう考えると、この世の中は、社会のコンプライアンスや教育現場における
先生と生徒のやさしさ、そして親にしても甘やかしさが、
実は、人を育てる上で「たくましさ」と「心を折れない気持ち」
そして、何事にも物怖じしない「ハングリーな心」を失いかけつつあるように感じる。

全てを厳しくするのではなく、台風や災害とき有事のときの判断は理解した上で
雨と風に当たる環境の仕組みをどう作っていくかが必要になってくる
先ずは、手を出さない姿勢(何事も待つ)と相手を認める(信じる)力が
人がひと回りもふた回りも育つのではないかと感じている。

これは、持論であるが

雨と風の環境の重要性を、問いたい。

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