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月の使者滞在中。

タイトルの「月」は天空に浮かぶ天体ではなく、
第二成長期から始まってアラフィフになってもお付き合いしている生理のことだ。

以前、誰かが人前で生理というのを避けるために「月の使者」という隠語で語っているのを見て、とてもセンスをかんじて使わせて貰っている。

人間の身体って不思議なもので、私自身の妊娠力の有無関係なく、習慣のように「生殖」するために毎月子宮内膜が厚くなり、使われない場合は子宮内膜(主成分は血液)が剥がれて、毎月、体外に排出される。

私はもう双子以外の子どもを育てる体力や経済力に自信がないため、積極的な子づくりは望んでないし、ここ数ヶ月はリビングに敷布団を三つ敷いて、親子で雑魚寝する就寝スタイルで過ごしている。
(つまり夫婦ではなく、家族4人で寝ている。)

思い起こせば、私が子供の頃、祖父母と一緒に床の間に布団をひいて寝ていた。
部屋のまどを開けているとクーラーを点けずとも涼しくて、私や祖父母は蚊帳の中で三人、川の字になって寝ていた。

初秋の今時分は、外からコオロギの声が聞こえたりしたし、お風呂上がりの祖母は長い黒髪に椿油をたっぷりつけて櫛でとかしてから、わたしに一日の出来事を聞いてきたり子守唄を歌ってくれたりした。

祖母の子守唄で印象に残っているのは、「月の砂漠」である。
歌詞を調べてみればわかると思うのだけど、月の砂漠をラクダが月明かりを頼りに砂漠を歩いていく情景が歌われている。

私は祖母が気持ちよさそうに歌うのに合わせて、ウトウトと夢の世界に誘われるのだ。

いま思い起こせば一緒に寝ていた祖父も、祖母の歌声を静かに聞いていた気がする。

ある日、祖母は「月の砂漠」の歌詞の内容を私に説明しながら、戦争に散った兄弟たちを歌を歌いながら思い出すことがあると、寝物語として語ったこともあった。

その話ぶりに悲壮感はないが、祖母はわたしをしげしげと眺めながら

「いまこうやって生きていて、あたたかい布団の上で眠れて幸せだわ。」

と呟いたこともあった。

幼い私は深い意味をさぐることもなく、祖母の歌声と月明かりと初秋の風の心地よさに、いつのまにか夢の世界に入っていった。

現在の私は、防犯上の問題から当時のように窓を開けて寝ることはほとんど無くなったけれど。
時おり祖母のように子守唄を、双子に聞かせることがある。

彼女たちのツルツルなおでこやほっぺたを撫でながら子守唄を歌っていると、世の中は嘘みたいに平和に感じるし、しみじみと生きていることの喜びを感じ入ったりする。

正直言って、現実はまだまだ穏やかじゃないし、生きていく上でやらやくてはいけない事や決めなきゃいけないことも沢山ある。

それでも、一日の終わりを家族水入らずで過ごす多幸感というのを人生で知ることが出来て本当に良かったと思う。

こんな夜を重ねているからこそ、さまざまなことがある我々夫婦も、なんとか家族として継続していけているんだろう。

それにしても、お風呂上がりの我が子の頬に、頬擦りする幸せは何にも代え難いもの。

夜風が冷たくなり始める初秋の夜は、特別しみじみと感じ入るのである。


…あれ?いつのまにか「月の使者(生理)」の話題から、「月の砂漠」の話にすり替わっちゃった…(笑)

そろそろ私の元に通い続ける「月の使者」も、そろそろお役目を終えて、天に還っても良いのに…と、真面目に思う最近である。
(眠いので無理矢理、締めます。おやすみなさい。)


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