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隣人

 アパートの錆びた鉄階段をカンカンと、ゆっくり降りる音、足早に駆け上がる音が響いている。隣人が引っ越すようだ。

 下に停まっている軽トラの荷台に、友人だろうか、歳の近そうな男性と2人で家財やダンボール箱を次々と運び込んでいる。朝から隣でガタガタとなにやら音がしていたわけがわかった。荷物はおおかた運び終えたのだろうか、荷台は満杯になりつつある。
 その様子を見下ろしながらタバコを吸い終えた私はそそくさと窓を閉め、窓際を離れそのまま炬燵に足を突っ込んだ。起きてからつけっぱなしのテレビに目をやると、最近テレビでよく見るようになった若手芸人が、女性リポーターと浅草の仲見世商店街をリポートしている。長らく訪れていないが、私にとっては子供の頃からの見慣れた町だったので、見ていても特に面白さを感じることもない。私の方がもっとディープなところを紹介できるはずだ。
 ひねくれた空っぽの頭で番組を見ていると腹が減ってきて、昼食を作ろうか、それとも近くの中華料理屋へ食べに行こうかと考えていると、炬燵から出るのを促すかのようにドアをノックする音が聞こえてきた。

 素早く立ち上がって玄関へ向かいドアを開けると、引越し作業で暑かったのだろうか、青いジーンズに長袖のTシャツ一枚の隣人が立っている。
 どうもとお互い交わすと、
 「今日で引っ越しますんで。すいません、朝からバタバタしちゃって。ご迷惑おかけしました。」
 隣人は淡々と、しかしなんとも感じよく、私の目を見てそう詫びた。
 いえいえとんでもない、なんもしてませんでしたから。自然とそんな一言が口をついて出ていた。本当に何もしていないのだからそう伝えるより他にない。
 互いにこれ以上言うこともなく、一瞬の間が空いた。隣人は「では、ありがとうございました。」と頭を下げると、サッと私に背を向けて自室を通り過ぎ、突き当たりを左に曲がり階段を降りて行った。

 去っていく背中になにか最後に声をかけたかったのだが、悲しいかな、頭に浮かんだ言葉の中に相応しいものが見当たらず、むにゃむにゃと口籠ってしまった。
 こちらこそありがとうございました。お世話になりました。行ってらっしゃい。どれもしっくりこない。わずか数秒のためらいの間に隣人は遠ざかり、消えた。
 私は隣人の姿が見えなくなっても、カンカンと降りていく音が止むまでその場に突っ立っていた。

 ふと、最後の最後にようやく会話ができたという事実に対し、妙な満足感を覚えている自分に気づいた。隣人の声をまともに聞いたのは2年ぶりである。2年前、このアパートに引っ越してきた時挨拶にいったきり、隣人と話したことは一度もなかった。
 数秒の放心の後、外気に触れたついでに下にある郵便受けを見に行こうと思いたった。これでまた炬燵に戻ろうものなら、いよいよ夕方まで出られなくなってしまう。
 サンダルを突っ掛け、上下スウェットのまま寒さに顔をしかめてドアを閉めた。半ば駆け足で廊下を渡り、錆び付いた階段を降りる。郵便受けを見るが特に何も来ておらず、廃品回収業者のチラシが押し込まれたように入っているだけだった。

 隣の郵便受けにはカッキリとした丁寧な字で「吉岡」と書かれたプレートが入ったままになっている。そういえば吉岡という苗字だった。自分と同じく岡がつくことだけは漠然と覚えていたが、実際に隣人の名前など知らなくてもなんら困ることはなく、記憶になくても仕方のないことである。
 アパートの前の細い道路を見ると、隣人とその友人が、運転中ぐらつかないよう隙間無く荷物を載せ直している。こちらには気付く様子もなく、私は彼らの作業を一瞥すると、足音をたてないよう静かに階段を登り自室へと戻った。

 ———いや、一度だけあった。
 隣人と話したことが一度だけあったことを唐突に思い出した。

 あれはちょうど1年くらい前だろうか。私宛の郵便が、配達員の手違いで隣人のポストに投函されていたらしく、隣人が直接届けに来てくれたことがあった。
 その時夕食中だった私は、やや遅い時間のノックに訝り、ゆっくりとドアを開けた。と、そこに立っているのが隣人であると気づき、思わぬ来客に面食らった。これほど正面で顔を突き合わせるのはなにせ1年ぶりで、一瞬誰だかわからなかったのである。強盗や宗教の類では無いとわかり、安堵と共にドアを大きく開きつつ、今晩は、と発したのはほぼ同時であった。
 「これ、岡田さん宛のやつだったみたいで。うちに入ってたもんで、封切っちゃって。すいません。」
 隣人は持っていた薄灰色の封筒を両手で差し出しながら、こちらの目を見て詫びた。
 すぐ宛名見て気づいたんで、中見てないんで。申し訳なさそうな笑みを薄く浮かべ、頭を軽く前へ動かしながら隣人はそう付け加えた。
 わざわざどうもとこちらもペコペコしながら受け取ると、一瞬の間をおいて、じゃあどうも失礼します、と薄着の隣人は踵を返し、寒そうに腕をさすりながら戻っていった。部屋へ入る瞬間、一瞬こちらへ頭を軽く下げたようにみえた。
 ちなみに郵便物というのは、その1週間ほど前に会員となったレンタカー会社から送られてきた会員カードと利用約款で、もしも隣人が悪意を持って中身を見たとしても恐らく大した悪用のしようがないものだった。

 封筒は、ベロの部分から破かず、端を2mm程ハサミで切って丁寧に開封されていた。

 軽トラのドアがバタンバタンと閉まり、エンジンがかかる音がした。手を振るわけでもないのだが、見送りがてら窓を開け、なんとなく手持ち無沙汰でタバコに火をつけた。乾燥した肌に、突き刺すような凍てつく風が吹きつける。
 荷台の端と端で結ばれた数本のロープで上手いこと固定された家財たち。彼のここでの生活が小さくまとめられている。

 このせまいアパートには割合大きな、実家から持って来たかのようなタンス。脚を折り畳んだ座卓。彼の見た目———浅黒い肌。服装に頓着がなさそうで、帰宅時によく見かけていた作業着姿でなくともどこか労働者っぽさを感じさせる、よれたジーンズをいつも履いていた短髪で痩身の40前後の男———からはやや意外に思えるベージュの革張りソファーやらと、壁の向こう側にあった生活が垣間見える。使い込まれてところどころひび割れているそのソファーの横に、これまた使い込まれていそうな掃除機が見えた。かつては白かったのであろうか、全体的に薄く黄ばんだ時代遅れな旧式の掃除機だ、さぞやかましい音をたててゴミを吸うのだろう。やかましい音を———

 ここでまた私はハッとした。あの掃除機の音を知らないことに。

 高級マンションならいざしらず、なんてことのない木造アパートだ。今朝も引越しの作業の音が鈍く聞こえていたくらいなのだから、壁一枚隔てた隣人の掃除機の音なんて聞こえないわけがない。
 関わり合いはなくとも大体の生活パターンはわかるものだ。彼は平日の毎朝7時頃に家を出ていた。土日をどう過ごしていたかまでは知らないが、少なくとも出社していく音は聞こえなかった。
 逆に私は仕事柄土日に出勤し、毎週平日のどこかしらで不定期に休んでいる。彼もまたその気配を感じ取っていたことだろう。

 ———彼は私が確実に留守にしている間に掃除機をかけてくれていたのではないか?

  もちろん、いくらでも可能性は考えられる。私が自分の思っている以上に、周囲の騒音に疎いのかもしれない。年季の入った見た目のわりに消音性能が高いのかもしれないし、実は壊れているとかで使っていなかったのかもしれない。なにより、そもそも土日しか時間がないからそこで掃除をしているだけで、私への気遣いなんてつもりは毛頭無いのかもしれない。
 いくらでも考えられるのだが、あの掃除機を見ていると、不思議と自分の気づきは確信的なものになっていった。

 自分は最後に彼を良き隣人だったと思いたいのだろうか?もしそうだとすれば、そうすることが自分にとってなんの意味を持つというのだろうか。

 運転席の吉岡さんが笑っているのが見えた。助手席の友人と談笑でもしているのだろうか。その横顔は、これから始まる生活が吉岡さんにとって決して暗いものではないということを物語っていた。
 軽トラは荷物を気遣うようにゆっくりと走り出し、ほどなくして右にウィンカーを点滅させた。路地に差し掛かると一時停止し、ゆっくりと曲がって見えなくなった。
 隣に住んでいただけで素性は何一つ知らない、赤の他人のこれからの生活を案ずるのは妙なもので、一人で勝手に照れ臭くなっていた。そして、これまでの吉岡さんの生活が今更気になったりして、仕事や暮らしぶりがわからずじまいだったことを、どこか寂しいようにも思えた。
 同時に、希薄な人間関係のようでいて、良くも悪くもなんの関わり合いもないことこそが都会では「良い隣人」なのかもしれないと感じた。互いに何も知らないまま、私たちは隣人ではなくなった。これが都会の良好な近所付き合いってことなのだろう。

 そう、何も知らない。しかし、吉岡さんは間違いなく優しい人だったと言える。
 どうぞお元気で。
 
 窓を閉めて再びテレビに目をやると、仲見世通り周辺は撮り終えたようで、私が知っている頃の街並みは影も形も無い、かつての墨田区業平橋周辺に場所を移している。
 太陽はすでに高く登っているが、薄く雲で隠れ、鈍く紫煙を照らしている。道行く人の吐く息は白く、街路樹は枝を広げるだけの寒々しい姿になった、2月の初めことである。

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