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心配しない生き方
何か大事なことがあると、プレッシャーに感じたり、すぐに心配してしまう、心配性なわたしです。
神様を信じているのに、なぜ心配になるのか。
神様を信じたら、ぜーんぶ神様がしてくださるのではなく、自分の責任ですべきことは自分がしなければなりません。人間は、ロボットではなく自由意思があり、ひとつひとつ自分で選択して生きていきます。自由意思は神様が人間にくださった祝福です。しかし、その結果も引き受けなければなりません。自由意思とそれに伴う責任です。この意味は、行なったとおりに受けるということです。
だから、神様にはできても、自分の実力が足りなくてできないのではないか、と心配になるのです。
この状況から抜け出すヒントとして、以前このような御言葉が伝えられました。
あなたの心を観察しなさい。研究しなさい。主管し、治めなさい。
鄭明析牧師の御言葉
心配する心の動きをよく観察してみると、過去こうだったからとか、自分に対するよくない認識が居座っていて、ネガティブな自動思考が引き起こされていたのでした。
神様を信じているのに心配するのは不信仰だ、というのではなく、心の作用からくるものだったのですね。ちなみに、神様を信じるというのは、神様を信頼するという意味です。
心と考えをよく治めなければなりません。
これはわたしの考察ですが、持って生まれた性格や長い時間かけて形成された考え方、思考の癖はなかなか変えることが難しいものです。他でもない自分自身を見て感じてきたことです。
心配性だけでなく、怒りっぽいとか、自分の性格に関する悩みは誰しもあるのではないでしょうか。
だから、人生早いうちから、神様の御言葉を聞いて、よい考えに触れて、学んで生きていくことはとても大事です。
イエスは、また人々に語ってこう言われた、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」。
ヨハネによる福音書 8:12
神様、イエス様の御言葉は命の光だとおっしゃいました。わたしも続けて学んでいきます。
今日もお読みいただき、ありがとうございました♡