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子供を産まない選択、それは当たり前の感覚です。

「子供を産まない選択」という言葉をよくききます。不思議な響きです。そこを取り上げられるということは世の中の常識からずれているというふうにきこえるからです。

少しもずれていませんよ。

子供を産まない選択、それは物事を深く考えることのできる人間ならば、当然の考えだからです。どう思考を巡らせても「作らない」という選択に帰結します。

人間をこの世に誕生させる、そのことに一度でも恐怖を覚えたことはありますか?罪深いことを今からしようとしている、もしくは罪深いことをしてしまった、そのように考えたことはありますか?

あなたが作って産み落とした人間が静かに暮らしていた他の人間を傷つけないという保証はありますか?あるなら今すぐみせてください。無理ですよね。無理なんだよ。

お前がエゴで作って産み落とした人が幸せに暮らしていた他者を殺さないという保証はあるのか?ないだろ。ふざけるのもいい加減にしろよ。そこのお前。

お前らの「保証」はこんなものだろ?

「うちの子に限ってそれはない!」「愛情を注いで育てる!」

そういって育てた人間が刃物を持って人を襲う。そんな事件を私たちは一瞬で調べていくらでも突きつけることができる。前例は山ほどだ。それなのに世間は勝手な都合のいい言葉を並べる。「子供ができることはいいことだ!素晴らしいことだ!おめでとうございます!」

一度でも顔を真っ青にしてみろ。子供を作る、産み落とすことの罪に震えてみろ。

「毒親?私たちには無縁の表現だな」って信じて疑わないそこのお前に言ってんだよ。

愛あるあなたの心に平穏を。あなたはひとりではありません。ひとりは嫌ですよね。だから優しくありたいのです。