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「夢中」でありたい。いつも。
こんにちは。桜小路いをりです。
今、noteのマイページの説明欄に書く、新しい文章を練っています。
投稿を始めてからほとんど変えていなかったな、と気づいたので、6月になったら変えようかなと思います。
どんな文章がいいかな、と「この言葉を入れたい」というワードを探していたとき。
ふと、「夢中」という言葉を入れたい、と思いました。
夢中。
我を忘れるほど物事に熱中すること。
ひとつのことに心を奪われること。
「夢中」という言葉には、取るに足らないけれど印象的な記憶があります。
それは、小学校5年生のときの運動会で、ソーラン節を披露したとき。
ソーラン節を踊るときに着る法被の背中に、好きな漢字を書くことができました。
確か、私たちの代から、「2文字の熟語でもいい」というふうになった気がします。それまでは、1文字だけ、という決まりがあったような。
私は、自分の名前の漢字から1文字取って書きました。それまでの先輩たちが「自分の名前の字から取る」ということが多かったので、私のように、それに倣う子が多かった記憶があります。
その法被を実際に着て、リハーサルをするとき。
なんとなく「隣のクラスの子たちはどんな字を書いているんだろう」と、準備のときにちらちらと見ていたら、ひとり、背中に「夢中」と書いている女の子がいました。
その子とは、以前に同じクラスになったこともあって、でも、ソーラン節をやった5年生のときは、もう疎遠になっていました。
学年の女子の中でいちばん背が高くて、バレエを習っていて、成績も良くて、おっとりした優しい雰囲気の子でした。
背中に書かれた「夢中」。
その凛とした字の雰囲気に、視線が釘付けになったことを覚えています。
そして、「ああ、素敵だな」と思ったことも。
「夢中」という言葉そのものの美しさにも。
「夢中」という言葉を選んだ彼女のセンスにも。
その年の、私たちの学年がソーラン節に懸ける想いは特に凄まじくて、運動が苦手な私は、周りについていくのに精一杯で。
私個人としては、「夢中」というより「がむしゃら」という感じでした。
でも、彼女にとっては、まさしく「夢中」になって、その作品の一部になるような演目だったのかな、と。
今になって、そんなことも思っています。
「夢中」。
まさしく、夢の中にいるような。
時間の経過すら曖昧になって、そのことにしか目が向かなくて、心を捕らえられたように没頭する。
そんな時間を、そんなふうになれるものを、これからもひとつひとつ掬い上げて、大切にしていきたいです。
そして、いつも、何かに夢中でいられたら。
それは、すごく素敵なことなんじゃないかなと思います。
6月になったらアカウントページの文章を変えようと思っていますので、ぜひお楽しみにお待ちください。
今回お借りした見出し画像は、シロツメクサの写真です。シロツメクサって、子供の頃に夢中になるものの代表なんじゃないかな、と思うのは私だけでしょうか。夢中で四つ葉のクローバーを探したり、冠やブレスレットを作ったり。そんなときの気持ちに想いを馳せながら、選ばせていただきました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。 私の記事が、皆さんの心にほんのひと欠片でも残っていたら、とても嬉しいです。 皆さんのもとにも、素敵なことがたくさん舞い込んで来ますように。