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「推しが尊い」だけで終わらせたくない。

こんにちは。桜小路いをりです。

皆さんは「推しが尊い」という表現を使いますか?

第一声としてつい出てしまう「尊い」という表現ですが、私は意図的に使わないように気をつけています。

その理由は、いたって単純な「モノカキ魂」。(こんな私ですが、あえてモノカキと言わせてください……)

「推しが尊い」と感じた瞬間こそ、語彙力を総動員して推しを描写せよ! と勝手に自分に課しています。

と言っても、そんなに仰々しいものではありません。

例えば、「今の表情すごく艶っぽいし、あの流し目とか伏し目の感じすごくドキドキする」とか。

「この満面の笑みが人懐っこい子犬って感じで、めちゃくちゃ愛くるしいんだよね」とか。

時には、それが創作(の名を借りた妄想)の種につながることもあります。


「尊い」と思ったら、語彙力がなくなるんじゃなくて、5割増しくらいになれたらいいな、なんて考えたり。

できれば、YouTubeのコメント欄で気の利いたことを書けたらいいな、と思ったり。

推しを見ていると、「『尊い』だけじゃ足りない!」って思うこと、ありませんか?

私は、noteで推しのことを書いていることもあり、「私の言葉が足りないせいで、上手く魅力が伝わらない」ことが極力ないように心がけています。

もちろん、全部を語り尽くせるわけではないかもしれませんが、私の記事を読んでくださった方が「あ、このアーティストさんにはこんな魅力があったんだな」と再発見してくださればとても嬉しいです。

さらに、私の推しアーティストさんをあまり知らなかった方に、「この曲を聴いてみたい」と思っていただけたなら、望外の幸せです。

自分の作品の幅を広げるという意味でも、あわよくば「推しを布教したい」という意味でも、描写力であったり言葉のレパートリーを増やすことは大切にしています。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

いつか、私の創作のことも記事にしてみたいな、と密かに構想を練っているところですので、楽しみにお待ちいただけると嬉しいです。


今回お借りした画像は、キーボードやペンの写真です。言葉を紡ぐときに使う道具たちが集まった風景が切り取られているのが印象的で、選ばせていただきました。私は、創作活動に使う道具たちに対して、「相棒」を越えて「戦友」のような感じがしています。今、この文章を打っているこのパソコンも、気づけばすっかり戦友の一人です。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。 私の記事が、皆さんの心にほんのひと欠片でも残っていたら、とても嬉しいです。 皆さんのもとにも、素敵なことがたくさん舞い込んで来ますように。