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お金で買えたら、苦労しない

こんにちは。桜小路いをりです。

私の中で、歌詞によく「お金」が出てくるな、と思うアーティストさんがいます。

それが、ヨルシカさんです。

いくつか例を挙げてみると、

札束で見る目が変わるなら本望だ
曇りのない新しいまなこを買おう

ヨルシカ「カトレア」

棚の心は十五円
一つだけ売れ残った
値引きのシールを貼って
閉店時間を待った
明日もきっと天気で
此処にも客が並んで
二割引きの心は誰が買うんだろうか

ヨルシカ「風を食む」

愛が知りたい。
金が足りない。
この妬みを満たすくらい
美しいものを知りたい。

ヨルシカ「盗作」

「目」はお金では買えません。
でも、もし買えたら、一生懸命に本を読んで色んな人の「視点」を得ようとしなくていい。
「歪んでいる」と感じたら、すぐに取り替えられる。

「心」はお金と引き換えに売ることはできません。
でも、もし売ることができたら、押し売りをしてでも、値下げをしてタダ同然で売り付けてでも、誰かに「自分の心」を持っていてもらえる。
誰かの中に自分の心があるということは、「愛されている」ということになるのではないか。どんな形でもいいから、愛されたい。

「愛」や「美しいもの」は、必ずしもお金では買えません。
買えるものはあったとしても、それは所詮、うわべだけ。「愛だ」と思っても、「美しい」と感じても、そこにお金が絡む限り、打算や下心など、黒い感情とは切り離せない。

でも、無償のもの、なんてこの世に本当に少ないと思います。
ましてや、見返りを求めないもの、なんて微々たるものです。

「お金」は、どうしても私欲と切り離すことはできなくて、だからこそ「人間らしさ」が溢れているものだと思います。

「お金」に惑わされて、人生を狂わせてしまうような人もいて。
「お金」がなくても、それなりに幸せな人がいて。
「お金」があるとか、ないとか、関係なくいつも笑っている人がいて。
「お金」を稼ぐことだけを必要としている人がいて。
「お金」そのもの(古い紙幣や記念硬貨など)に価値を見出す人がいて。
「お金」に困ったことはないように見えるのに、実際は切実な問題を抱えている人がいて。
「お金」が何よりも大切、と言って、ずっと貯め込んでいる人がいて。
「お金」があるに越したことはない、と思う人がいて。

すごく色んな人がいて、十人十色な価値観の在り方を作り出しているモノのひとつが、「お金」ではないでしょうか。

もちろん、「才能」や「愛」や、「自信」や「知識」が、お金で買えたらどんなに良いかと思うこともあります。
逆に、自分の「経験」や「思い出」を売ることができたら、と思うことも。

それでも、それらが「お金で買えない」からこそ、この世界はすごく面白いものだとも思っています。

お金を積めば、どんな綺麗な絵も描けて、どんな美しい文章も書けて、どんな素敵な音楽も作れるなんて、すごくつまらないのではないでしょうか。

そうやって手に入れた才能を使って創った作品に、果たして価値はあるのか。作者の想いや、魂や、心を震わせるような感動は、宿るのでしょうか。

「お金」が生む人間らしさと、「お金」が絡むからこその無情さ。

偶数みたいに綺麗さっぱり割り切れるものではないし、「お金」という文化すら特殊なものであると思うけれど、こうやって考える余地があることが、「お金」のすごさであると思います。


最後に、まだ未熟な私ではありますが、密かに大切にしていることを書いておきます。
それは、「お金に使われないこと」です。

もちろん、お金は生きていくうえで必要不可欠ではあるけれど、お金のために自分の人生を棒に振ったり、自分の作品を大きく曲げることはしたくない。そう思っています。

そんなことは、ヨルシカさんの「だから僕は音楽を辞めた」などの曲にも表れていたように思います。


なんだか、思っていることを思うまま綴る記事になってしまいましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

この記事が、みなさんの小さな気づきに繋がれば幸いです。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。 私の記事が、皆さんの心にほんのひと欠片でも残っていたら、とても嬉しいです。 皆さんのもとにも、素敵なことがたくさん舞い込んで来ますように。