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さとみくん(すとぷり)「ワンダラー」のこと。
こんにちは。桜小路いをりです。
最近、私の中で密かにマイブームとなっている歌い手さん。
中でも特に有名な「すとぷり」さんを初めて知ったきっかけは、さとみくんの「ワンダラー」でした。
Ayaseさんが楽曲提供していたと聞き、サムネイルのイラストにも惹かれて聴いた1曲。
この曲のお陰で開いた扉から、新たな音楽との出会いがたくさんありました。
今回は、そんな大切な1曲について、私の考察や考えたことを綴っていきます。
ちょっとだけ脇道に逸れますが、個人的に、生放送や日々の動画などを追いかけるようになって初めて「リスナーさん」だと思っています。私は単純に「楽曲が好み」「歌声に惹かれた」非リスナーですので、あらかじめご了承ください。
また、ネットで色々な方のブログなどを調べたところ、すとぷりのメンバーさんの多くは「くん付け」されていたので、私もそれに倣います。
前置きが長くなりましたが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。
まず、この曲を初めて聴いて驚いたのは、さとみくんの声の魅力でした。
耳に馴染む優しいお声で、所々溜め息が交じるような部分、少し苦しげな感じのする部分など、色々な歌声の変化があって、一気にその世界観に惹き込まれました。
以来、寝る前によく聴いています。
この曲の魅力のひとつは、「早く目覚めた朝」→「上手く寝れない夜」→「早く目覚めた朝」というように3つに分けられることだと思います。
特に、「上手く寝れない夜」を経て主人公の「早く目覚めた朝」への見方が大きく変わっているところに、Ayaseさんの歌詞の緻密さを感じました。
いつもよりも早く目覚めた朝に
意味もなく飛び出した世界は
うんざりするほど眩しすぎて
なんか笑えてくる
少しだけ歩いてみようか
「うんざりするほど眩しすぎて」という歌詞から、主人公は朝のさっぱりとした清潔感や明るさに嫌悪感を抱いているように思えます。
そして、洗い立てのような「朝」が、自分とは関係のないところで24時間ごとにやってくることに「笑えてくる」。
これは、自嘲気味な笑いではないでしょうか。
「少しだけ歩いてみようか」という言葉も、「不本意だけれど、今日も生きてやろう」というようなニュアンスに感じました。
主人公にとって、生きていることはきっと惰性的なもので、ふと飽きたらいつでもやめてしまえることなのかもしれません。
また、この後に続く歌詞からも、主人公が不安や不満、葛藤、苦しみを抱えていることが分かります。
そして、それを「吐き出すこともできない」という状況。
散々でもきっと
いつの日かきっと
信じる日々に
無理しちゃいないけれど
歩き疲れた僕らの足元にできた
水面に映った笑顔
この「水面」というのは、涙が溜まった水たまりのことだと思います。
そして、ここでの「笑顔」というのは、どこか自嘲的な、仮面のような笑みなのではないでしょうか。
いつもよりも上手く寝れない夜に
君のこと思い出してはまた
溜め息を吐いてる
思い出を彷徨ってる
辿り着けない朝日を待ってる
「いつもよりも上手く寝れない夜」というフレーズから私が感じたのは、「不眠症」のイメージでした。生理的な行動である「寝ること」を「上手く」と形容しているところに、「できないけれど、やらなければならない」というニュアンスを感じました。
「いつもよりも」ということは、いつもは「上手く寝れている」のに、「今日は上手く寝れない」。
そんな、「眠れないことが日常茶飯事」という印象を受けました。
もうちょっと愛想良くさ
ねえこっち向いて
笑って見せてほら
探り合った感情渋滞中
お決まりのルール
「もうちょっと~ほら」までの言葉は、「君」が主人公に言ったものなのではないでしょうか。
どこかお節介な「君」は、主人公にとっては鬱陶しくて、でも見返りを求めない愛情を与えてくれる人なのかもしれません。
ああしたい
やっぱこうしたい
待ってどうしたいのってさ
選べずに立ち止まってる
ここの韻の踏み方、とても好きです。
ここは、考えれば考えるほど、自分のことが分からなくなっていく主人公の気持ちが綴られた部分だと思います。
「待ってどうしたいの」という歌詞から、どこか焦らされているような印象も受けます。
いつもよりも早く目覚めた朝に
意味もなく飛び出した世界は
うんざりするほど眩しすぎて
なんか泣けてくる
もう少しだけ歩いてみようか
二度目の「早く目覚めた朝」。
私は、「上手く寝れない夜」が明けて、ぐだぐだと丸1日過ごした次の朝だと思っています。
最初の歌詞では「笑えてくる」と言っていた眩しすぎる朝に、この日は「泣けてくる」。
そして、「少しだけ」という歌詞が「もう少しだけ」に変わっています。
「もう」が付くだけで、惰性ではなく自分の意志を持って「歩いてみようか」と思っている印象になっていて、日本語の繊細さを感じます。
散々でもきっと
いつの日かきっと
信じる日々に
無理しちゃいないけれど
歩き疲れた僕らの足元にできた
水面に映った笑顔
ここの「水面に映った笑顔」は、紛れもなく自分の心の底からの笑顔だと思います。
同じ歌詞なのに、ここまで感じ方を変えさせる、さとみくんの表現力が凄いです。
どうやってもきっと
いつの日かきっと
終わりが来ると
そんなこと分かってる
それでも変わらず今も
見上げれば広がる空の下で僕ら
いつの日かまた会える日まで
私は、この歌詞を聴くたびに元気をもらっています。
「始まり」があるということは、いつか必ず「終わり」がくるということ。「終わり」の切なさ、喪失感を知ってしまったからこそ、「始める」ということに臆病だった主人公に、希望が見えた瞬間ではないでしょうか。
「空」はどこまでも繋がっているから。
あのお節介で愛情に溢れた「君」に会えるまで、歩き続けるよ。
そんな主人公の気持ちが見える終わり方です。
MVも、可愛らしい絵柄なのに切なくて、一瞬で惹きつけられました。
最初は自分の身体の傷痕をジャンパーを着て隠していた主人公が、最後には自分の傷痕に絆創膏を貼って手当てをして、それを隠さずにいる。ストーリー性のある素敵なMVで、とてもお気に入りです。
曲名の「ワンダラー」、調べたところ、「さまよう者、放浪者」という意味だそうです。
このタイトルは、「人生に迷い、さまよう」という意味なのではないでしょうか。
人生に正解はなくて、冷めた言い方をしてしまえば、生きることは「死(=目的地)に向かって旅をする」ということ。
主人公は、途中まで「旅」の楽しみを見失っていましたが、やがて「君にまた巡り会う」という「旅の理由」を見つけます。これは、生きる意味になり、「終わり(=死)があることは分かっているけれど、まだ生きていたい」という希望に変わりました。
こういう優しい切り取り方であったり、「励ます歌詞はないのに励まされる」感じの歌詞、Ayaseさんらしいなと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
この記事が、少しでもみなさんの心に残れば幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。 私の記事が、皆さんの心にほんのひと欠片でも残っていたら、とても嬉しいです。 皆さんのもとにも、素敵なことがたくさん舞い込んで来ますように。