「創作作品」という名の「ボトルメール」を。
こんにちは。桜小路いをりです。
先日、幻冬舎ルネッサンス「童話コンテスト」を受賞した『春を呼ぶ少女』がリリースされました。
大賞受賞のご連絡をいただいたのが一昨年の末、それから去年いっぱい加筆・修正作業をしていた作品だったので、無事に配信されてほっとしています。
今日の記事は、その安堵と共に、今の想いを少し。
私は、以前から「自分の文章を投稿したり、世に出したりすることは、『ボトルメール』を流すことに似ているな」とよく思っていました。
その想いを、ここ数日、より強くしています。
広い世界に言葉を流すとき、いつか、どこかで、誰かがこの言葉を拾ってくれたらいいな、と思って。
この言葉に救われる誰かがいたらいいな、と静かに祈って。
その言葉が、最終的にどこに流れ着くかは分からない。
誰かが受け取って、また流されて、違う人のもとに行くかもしれない。
私の言葉にすごく感動してくださる人が見つけてくれるかもしれないし、見つけても素通りしてしまう人だって、いるかもしれない。
でも、流れ着いた先で誰かの心を灯せるように真心を込めて創るのが「ボトルメール」であり、それが「創作作品」だと思います。
どんな便箋に、どんなペンでどんな言葉を綴って、どんな瓶に入れるのか。
そのひとつひとつを吟味して、創って。
「ボトルメール」を流したら、私の役目は終わり。
それが遠くに流れていくのを眺めがら、「私の言葉を必要としている誰かに届きますように」と願うだけ。
悲しさや寂しさはなくて、心に残るのは、不思議な温かさ。
そう考えると、自分の創作作品がいちばん最初に灯してくれるのは、他でもない作者自身なのかもしれません。
自分の作品を「電子書籍」として配信しているからには、恐らく私の肩書きはもう「作家」になるので、「創作は究極の自己救済」なんて言わないけれど。
いちばん最初にその作品に心を灯してもらえるのは、作者の特権なんじゃないかな、なんて。
そんなことを思ったりもしています。
「ボトルメール」って、なんだか妙に憧れるのは私だけでしょうか。
ささやかな奇跡を願ってどこまでも広い海にそっと流して、その姿が波に揉まれて見えなくなるまでじっと見守って。
それが、もしかしたら、どこの誰かも分からない見知らぬ人の手に渡るかもしれない。
想像するだけで、胸がキュンとなるようなロマンを感じます。
これからも、いま抱きしめているこの気持ちを、忘れずにいられたらいいな。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。 私の記事が、皆さんの心にほんのひと欠片でも残っていたら、とても嬉しいです。 皆さんのもとにも、素敵なことがたくさん舞い込んで来ますように。