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「接客」で景色は変えられるのか、を考える


Rockets and blue lights (close at hand) to warn steamboats of shoal water
Turner, J. M. W. (Joseph Mallord William), 1775-1851

画像引用元:wellcome collection


『ターナー以前に、ロンドンに霧はなかった』

Oscar Fingal O'Flahertie Wills Wilde(1854-1900)

これは詩人・作家のオスカー・ワイルドが
ウィリアム・ターナーの風景画を評価したときの言葉だとされている。

もちろん実際に、『ロンドンに霧はなかった』なんてことはない。
この言葉の意味するところは
『芸術として描き表されるまで、
人々は霧を情緒としてとらえてなかった』
ということだろう

ひとつの比喩とはいえ
これって、本当にすごいことだ。

今でこそ

“霧の街、ロンドン”

なんて呼ばれるが、当時は
誰もそんな風にとらえておらず
「なんかモヤってるなぁ...」くらいのもの
だったのかもしれない。

ターナーの筆跡が、
人々の意識を変えたのだ。

僕は、こんな風に
世界の視え方を変えてしまうような
アートがすきだ。


光の標本  | 藤野真司



では、一方で観光業はどうだろうか。

ぼくは
接客という表現行為は
同じことができるんじゃないかと
思っている。

僕たちサービスマンは
旅行者と旅先で出会い
その土地の魅力を
プレゼンテーションする存在。

伝える内容次第で、
旅行者の目に映る景色は
変えられるのではないか...?


大それたことを考えてみる。


___見えていないもの


例えば、旅行者は雨を嫌う。

たしかに、
何ヶ月も前から計画していたような
旅の当日が雨だと、途端に
げんなりしてしまう方が大半だと思う。

もちろん、
晴れの日の方が行動の選択肢は広がるので
その気持ちはよくわかるし
実際に自分も
旅先で雨が降ると一瞬、
「うわー..損した」
みたいな気持ちになってしまう。

だけど、
雨の日には雨の日にしかない
過ごし方が、
時間の流れ方がある。

その尊さを
感じてもらうには
どうしたらいいんだろう。

___雨とアイヌ文化


僕が働く宿の目の前には
ポロト湖という湖が広がっている。

ポロト、とはアイヌ語で
ポロ(大きい)ト(湖)という意味だ。

白老には古くより
アイヌ民族のコタン(※アイヌ語で集落の意味)があったことから
文化伝承の土地として
多くの事を受け継いできた。

とあるアイヌの方とお話ししている際、
”ワッカウシカムィ”
という水の神様について
教えてくれた。

アイヌ文化の中で最も特徴的なものは
全てのものに宿る神、”カムィ”
の存在だろう。

火や水、木々や動物..
自分達を取り巻くすべてのものに
精神性が宿るという考え方だ。

その中でも
ワッカウシカムィとは、
”水”を司る女性の神様で
とても位の高い存在として扱われてきた。

雨という自然現象もまた、

『ワッカウシカムイがもたらす恵み』


だと捉えられてきたそうだ。

これだけでも興味深いのだが何より、
「雨の降ったあとには魚が獲れる」
ということをアイヌ民族の人々は知っていたようだ。

(※空気中で発生した雨は、
「窒素」と「酸素」を含んでおり
それらが河の水に入ることで魚が活発化するそうだ。
そうした効果を科学的根拠でなく、
「経験」に基づいて知っていたのだと思うと、凄い。)

雨はアイヌ民族にとって
神様からの喜ばしい贈り物だったのかもしれない。

彼らは雨に対し
きっと僕たち現代人とは
全く違ったまなざしを送っていたのだろう。

その話を聞いたあと
僕は雨を見る時
これまでと違う情緒に感じるようになった。


ロビーの暖炉スペースから見えるポロト湖

湖面を打つ雨つぶ、そして広がる波紋。

霧がかった森。

不安なようで、安堵するような
明るいグレーの空


雨のポロト湖は、本当に美しい。

僕たちサービスマンは
ここを訪れたゲストに対して
この土地のこんな側面を
接客の中でできる限り、伝えていくべきだと思う。

(決して押しつけになってはいけないが...)


冬も美しい



思いがけず触れたとき、
たちまちに世界の視え方を変容させてしまう。

旅とアートには、そんな力があると思う



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