見出し画像

最近とこれから

コロナ。

これには正直ダメージを受けた。
精神、経済、生活、信念。
ほぼ全ての面で。

きっと、共感してくれる人もいるだろうし、そうでもないよ俺は(私は)って人もいると思う。その様に個人差のある事は、騒動が少しずつ収まってきた頃から認識し始めた。

自分はと言うと、比較的大きなダメージを負った方だと思う。まず、遡る事2020年初頭。
ここで自分のデビュー20周年と言う区切りに、色々な挑戦を計画していたのだけど、これが全て白紙となった。そしてこれに対して自分は全てを賭けて臨むつもりで住居を含む全てを一新していた所だった。文字通り、新たなスタート状態だった。あの騒動が起こり始めた頃は、SARSやMERSなど他のウィルス同様すぐに収まると鷹を括り、ウィルスが身近になっている方々を心配しつつも自分はあまりネガティヴにはなっていなかった。
舞台で大きなクラスターが起こった辺りから、その考えは大きく変わった。同時に世の中も大きく変わっていった。

その時に20周年実現に尽力してくれた仲間にもリスクを負わせたくない気持ちも有りつつ、でも悔しかった。
リスクを考えればそうせざる負えなかったけど、今思い出しても、あの時の心情には二度と戻りたくないのが本音だ。仲間と本来見れるはずだった景色が見れなくなってしまったから。
詳しくは言えないが、自分の人生のハイライトの一つになるはずだった。
でも終わりじゃないし、その仲間に対しての感謝の気持ちは今でも変わっていない。
その思いがあれば、またチャンスは来るもの。
それは自分の今までの人生の足跡が証明している。

そして時は家に籠る期間へ。
本当に辛かったし、色々な事を考えた。
「もう終わりなんだ」
そう思う夜も何度もあった。

けどやはりそんな俺を救ってくれたのは音楽だった。もちろん仲間や家族の存在は大きいけど、あの長く暗い夜をいつも寄り添ってくれたのは、今までずっと一緒に進んできた音楽だった。
特に好きだった古い曲なんかを何回もギターで弾いたり、時には歌ったりした。
その度に救われる感覚があった。
時には酒に呑まれるような日もあったけど、なんとか沈没は免れた。

そして徐々に気持ちも浮き上がって来た頃、
決心してその越した家からも思い切って引っ越した。ここも決心だった。
詳しくはまた他の機会に書くが、先を見据えての決断だった。諸刃の刃の側面もある難しい決断だったが現在の自分の認識としては、その決断は正しかったと言える。
自分は昔から考えに考え抜いたのち、結局光る閃きを得るタイプだと思う。運にも恵まれた。
そこが現在の住居だ。様々な縁や思いが重なって、何とか不時着出来た。ここにも、関係してくれた全ての人に全幅の感謝をしている。

そこから、またもや1から始めた。
元からそういう気持ちでいたので、覚悟は出来ていた。とにかく足を使い動いた。
自分がそんな事をするタイプじゃないのは重々わかっていたが、何故かやってみたい気持ちになったし、音楽が巷に一切鳴らない世の中まで想像していたから、それを阻止したいかの如く、動いた。でも結局は徒労に終わっていた。
元々が我が道を行くタイプで、現在生きてる事さえも奇跡だと自分も一部の周りも思っている様な自分なので、もう終わりかなと、その時点でも思った。しかし、2022年の初頭に入って状況は一変した。先述の仲間とはまた違う仲間が、一緒に進められるプロジェクトを提案してくれた。
普段の自分の得意な分野とは違ったが、一生懸命取り組んだ。そしてこれもまた別に詳しく話そうと思うが同時期に、ある人物と劇的な再会を果たした。全く別の案件で話に行ったにも関わらず。いつしか話は共に歩む話へと進んで行った。
その際、自分は普段どちらかと言うと相談に乗るタイプで、人に何かを相談する事は殆どしない自分だが、大きな決断をした。この人には自分の全てを曝け出そうと。その理由は、その相手が先に自分の思いを、涙ながらに語ってくれたからだ。
美しい瞬間だと思った。

そこから日々、自分の得意なことではない事も一生懸命勉強し、向上し、少しずつ信頼を得ていく日々。ステージで激しくギターを弾く自分とはまた違う自分。でも不思議と、そんな自分も誇らしく思えて来たし、何よりそんな側面も好きになれる様になった。大きな収穫。嬉しかった。自分が少しずつハイブリッドになっていく感覚。

そしてそこから幾度となくその人と会い、話をし、計画をして、今に至る。その間にも、先述の仲間や、別の仲間が自分に期待の手を差し伸べてくれた。全てに全力で臨んだ。
そしてその結果は、徐々に出つつある。

2023年に入り、色々な事がやっと少しずつ、パズルの様にあるべき場所にはまって来た。
あの辛く苦しい軟禁生活から3年。
やっと今、本来の自分を取り戻しつつある。
自分は親父と同じくバランスの良いタイプでは全くないし、近道よりも遠回りをあえて選ぶ様な、旅の道中にも意味を求めるタイプ。故に誤解されたり、周りの人間がそれを理解できず苦しめてしまう事も多々ある。それでも、音楽は正直で、見たままその人間を映してくれると信じているタイプ。世の中の一般的な成功とは全く違うが、そう言う奇奇としたカテゴリーでと言う事なら、しっかりと成功している自信がある。

また新しい道が始まっている。
それを含めて書いていたらZineが1冊出来てしまうので今回は具体的な事は何一つ書かずここまでの経緯を書いて来たが、詳しくはまた別で文章にする機会があればと思う。

ここ数年でパラダイムシフトはこの世界に確実に起きつつある。それが意味のある事なのかはたまた無意味な事なのかは、朧げにしかまだ見えていない。でも自分がそんな世界の中でまだ息をし、必死に自分のミュージシャンとしての、そしてメッセンジャーとしてのアイデンティティを追い求めている事に変わりはない。この先どうなろうとも、自分はいつか死ぬ。その一つの区切りまでの自分の役割を、十分果たそうと言う気持ちは常に心の奥底で静かに灯を揺らしている。

とここまで長々と書いた散文にお付き合い頂いた事には感謝しかない。
兎に角伝えたかったのは自分のここ数年の身上と心の動きだった。中々ここまでを自分で文章で整理する気にもなれなかった。でもふとそんな気が湧いて来たこの時を逃すまいと、ここに記しておく。

これから、ここnoteに自分の人生の断片を思いつくままに置いていこうと思う。
いつか人生の集大成として、何かの形でしっかりと遺すことも考え始めた。
自分の人生に起こった様々な奇跡たちが、良い話も悪い話も含めこの文に触れる人々にとっての何らかのギフトとなれる事を信じて。

最後に唯一具体的にあるエピソードを書いて終わりにしたいと思う。

時は2022年初頭頃。
ショーンと言う昔からの親友であるギタリストと会う機会があった。彼とは10代からの仲で、共にその当時の若い音楽シーンで切磋琢磨した仲。
SCHONと言う名前のロックバンドを一緒に組んでいた時期もある自分の青春を知る仲間。
そんな彼にも、当然当時の自分の思いを吐露した。いや、してしまったと言う方が正しいか。
そんな自分に対して彼はこう言った。

「とにかく何があっても打席に立ってさ。ボールを打って打って打ちまくる。その中の何球かは今までみたいに必ずホームランになる。」

「真司ならやれるよ」

正直、涙を流す一歩手前だった。そう言うキャラじゃない自分はそれを必死で堪えて、わかった。
と答えた。そこから自分の新しい章が始まった。
この場を借りて彼に今一度伝えたいと思った。

「ありがとう」

いつも隣にいるだけが仲間や友達ではない。
何処にいても、お互いの想いや立場を感じれる存在の事だと、この歳になって思う。
全ての人とそう言う関係になるのは中々難しいのがもどかしいが、周りの全ての人間にとって出来るだけ、いついかなる時もそうありたいと、大きな理想を掲げている。そんな自分と仲間達の物語は、まだもう少し続きそうだ。音楽の道は果てない。世の中はまだもう少しだけ、自分次第だ。

この記事が参加している募集

休日のすごし方

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?