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自己開示を無意識に避けている「らしい」

「いつも何してるの?」この問いに皆さんはどう答えますか?


僕は自炊、掃除、バイト、勉強のどれかを答える傾向にあります。本当は趣味を聞きたいのではないか?と疑い始めている今日この頃です。


自炊、掃除、バイト、勉強と答える人の印象はなんでしょうか?


答えは「まじめな人」です。


図らずも「まじめな人」の答えを用意しています。嘘をついているわけではありません。当然スマホしている時間もたっぷり存在します。しかし、当たり障りのない回答をしてしまいます。その上、相手に話させることが得意です。


まじめで当たり障りのない回答をする
     ×
相手に話させるのが得意


何が起こるか予想できますか?


あれ、普段あなたって何してるの?わからない・・・自分の話をする人は「いつも何してるの?」なんて聞く必要がないですよね。

自己開示を無意識に避けている



意図的に自己開示を避けているわけではありません。そうなってしまうのです。


なぜ、自己開示を避けるのだろうか?


人と違うことがバレるのを恐れているためです。


人と違うことが小さいことからのコンプレックスです。


人に合わせるのが好きではないですが、できる。流行りを取り入れ、話を合わせる。楽しそうに振る舞い、空気を乱さないようにすることができる。小学校の時に培ったスキルです。


人と違うことに対する不安を常に感じていたため、人の顔色や場の空気を理解することに必死でした。年月を重ね適応することができ、違いを隠すことに大成功しました。


八方美人タイプもいると思うのですが、僕は空気と同化するカメレオンタイプでした。


カメレオン役の割にずっと気を張っていました。誰が何を話しているか、何を思っているのかをずっと気にしていました。再三になりますが、好きでやっていたのではなく生き残るためにやるしかないと本能で悟っている感じでした。


大学生にもなると、コミュニティーに縛られることもなくなり、必要以上に「合わせることは」なくなりました。カメレオン卒業です。


しかし、違いを隠すという行為は残っています。当たり障りのない話をするのも、相手に話させるのも、違いを隠す行為なのです。


結局、不安、恐怖心が自分を突き動かすのか。そんな自分を変えたと思いコーチングを受けることにしました。


2022年はコーチングを通し、違いを恐れる自分と向き合いました。


違いがバレると、価値のない自分を曝け出すことになる。価値がない自分を見せることは、生きている価値がないと言われているのと同じ感覚がします。


存在価値を否定するほどの痛みとともにいることで、気づいたことがあります。


本当は違ってもいい、弱くったていい、ただ生きているだけいいと言ってほしい自分がいることに気づきました。


大事な人たちにかけてほしい言葉です。しかし、それ以上に自分が自分を赦す、認めてほしいという強い願いを感じました。


ずっと、受け入れることができなかった、自分を受け入れる、赦すことがの尊さに気づくことができました。あるがままただあっていいことに触れることがどれほど解放されるか。


違う自分もあっていいと心の底から思えるようになり、少しずつ自己開示ができるようになりました。クセで相手に話させていることもあります。全て曝け出しているわけでもありません。それでも徐々に自分が自分であっていい範囲を広げています。


最後に


あれ、普段あなたって何してるの?と聞かれるたら


自分の本当の願いを聞きたい人を支援していると言えるようになりたい。実際にその道を体現しようとしています。


読んでいただき、本当にありがとうございました😊 今日も良い一日でありますように♪