一緒に牛丼食おうか苦情マン
先日牛丼屋でお昼ご飯を食べたときのこと。
昼時だったので客も多く、席もほどほどに埋まり、奥のテーブルでは4、5人の高校生ぐらいの男子たちが楽しそうにおしゃべりをしていました。カウンター席に座って注文終えて待っていた時、その奥の男子グループのテーブルの方から
カンッ カンカンッ カンッ
と音がしていることに気付きました。話が盛り上がって誰かがテーブルを叩いてるのかなと思ったけど、特に気にせずにいると、ずっとその音が鳴り止まないのです。
一定なような不規則なような間隔でずっと
カンッカンッ カンッ カンッ ・・・
なかなか耳につく音でイラッとしたけど、まあ自分も若いときは店でギャーギャー騒いだり迷惑かけたことなんてあったし、我慢するかと思い、無視することに。
しかし、いつまでたってもその音が聞こえてくるので、さすがに「ええ加減にせーよ」の気持ちをこめて、初めて窓際のその席の方をちゃんと向いて見てみました。
すると、
男子たちはそんな音を出しているような素振りはなく、アレっ?と思った時にまた聞こえてきたその音は、
窓の外で店の旗の先っぽが風に吹かれて窓に当たっていた音でした。
疑ってごめん!
彼らに少し申し訳ない気持ちになりました。「どうせあいつらが音出してるんだろう」という思い込みで勝手にイラついてたけど、
不思議なのはあれだけ気になっていた音が、その瞬間から全く気にならなくなったのです。
人が意図的に発していたと思い込んでいた音、誰のせいでもなかった自然の音。音量も音質も何も変わってないのに、認識一つで劇的に変わりました。
何かここに気付きがあるような気がして思い出したのですが、この違いを伝えたい人がいます。
最近知り合いの投稿で、小さい子供のぐずる声で近隣から苦情入るけどどうしようもなくて追いつめられてるというものを見たんですが、苦情入れた人に僕が思ったのは、そんなこと言ったところでまだ意思の疎通もできない小さい子供がぐずるのをどうしろと。
ただこれは苦情言われた立場からはなかなか言えない言葉だろうとも思います。
小さい子の泣声は人間が子育てという自然の行為を行っている上で自然に発生する音。自然に怒ってどうするの?夏の暑い日に太陽に向かって暑すぎるぞボケ!ってマジギレするんですか?
僕はそういう認識なので、こどもの泣声が聞こえてきてもうるさいと思ったことは一度も無いし、たまに電車でぐずる子供に困って居心地悪そうなお母さんを見ると安心してください!という念を送りたくなります。
そこに苦情をいう人は「静かにさせられるはずなのに怠っている。(意図的)」という認識なんでしょう。
言って泣き止めば苦労しないし、迷惑かけようなんて誰も思ってない。
その苦情で誰一人として得しないし、状況は変わらない。
だから我慢しろという話ではなくて、「自然の音」と認識できれば気にならなくなりますよと。
あの牛丼屋で同じ体験して気付かせたい。
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