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人を許せるようになる方法(後編)
(前編からの続き)
心の五つの傷
人が許せなくなるとき、その人の持つ心の傷が疼き痛みを感じています。
精神研究家リズ・ブルボーの著書「五つの傷」によると、膨大な数の調査によって人の心には傷があることが分かり、その傷は「拒絶による傷」「見捨てによる傷」「侮辱による傷」「裏切りによる傷」「不正による傷」の五つの傷に分類されると伝えています。
過去の記憶に、これらの傷をえぐられるような出来事があると、人は許せないほどの怒りを覚えるのです。
これは幼い頃に両親の態度や行動によって現れた傷であり、人はみな何らかの傷を心に持っていて、傷の大きさや痛みの深さは様々です。
例えば、「お母さんが子供に冷たく接し、子供の願いを無視して聞いてくれなかった」という出来事に対して
「拒絶による傷」を持つ人は、自分は親に拒絶されたと思い、その傷を隠すために「逃避する人」になります。公の場では存在感を消して、引きこもったり一人空想の世界を遊びます。
「見捨てによる傷」を持つ人は、自分は親に見捨てられたと思い、その傷を隠すために「依存する人」になります。他人の関心を得るために、困難な状況を無意識に自ら作り出します。
「侮辱による傷」を持つ人は、自分は親に侮辱されたと思い、その傷を隠すために「自虐する人」になります。他人のために尽くそうと、無意識に自由になることを拒否したり、必要以上に忙しくしたり、〜しなければならないと自らに制約や義務を作ります。
「裏切りによる傷」を持つ人は、自分は親に裏切られたと思い、その傷を隠すために「操作する人」になります。二度と裏切られないために、すべてを見越してすべてを自分の思い通りにコントロールしようとします。
「不正による傷」を持つ人は、自分は親に不当に扱われたと思い、その傷を隠すために「頑固な人」になります。正当さを求めて完璧主義者になります。
人によっては複数の心の傷を持ち、同じ傷を持つ人には、身体に共通する特徴が現れるそうです。
心の傷が身体的特徴をつくるということは、私たちの身体が考え方の結果によりできていることを示しています。
心の傷は、仏教でいう業と同じようなもので、業を克服するために、自分が業を持つことを教えてくれるような存在を目の前に呼びます。
私たちは魂を向上させる修行をしに生まれ来たので、向上させるに相応しい人が現れます。
それは、両親であったり、夫婦であったり、子であったり、親戚や職場の人であったりします。
その人に関わると強く引きつけられたり、傷付いたりと感情をかき乱されますが、その人こそが今世に業を克服するための大切な存在なのです。
人を許せるようになるには、この心の傷を癒し、労わることが必要です。
まず自分を許す
人を許せるようになるには、先に自分を許せるようになる必要があります。
人は自分自身を責めていることに気付いていません。
怒りの感情は思考から生まれ、その思考は、自分の過去の出来事の解釈、過去の記憶の蓄積によってつくられています。
ですから、自分の過去の出来事の解釈を癒すこと、過去の記憶を癒すことが必要です。
ここからは、静かな場所でリラックスして、心を落ち着かせてから読み進んで行きましょう。
今までの人生で、若かった頃、幼かった頃の自分に謝りたい出来事はありますか?
今までの人生で、後悔が残る出来事はありますか?
ゆっくりと何十分でも何時間でも、時間をかけて思い出しましょう。
何十年も前まで、物心ついた頃まで遡って思い出します。
そして、思い起こした出来事に向き合った自分(インナーチャイルド)に対して、現在のもう一人の自分(インナーペアレント)が語りかけます。
「ありがとう。ごめんね。許してね。愛してるよ。」
この言葉は、ホ・オポノポノと言って、ネイティブハワイアンの和解と許し、秩序と関係の修復、病気からの回復と予防の言霊であり、国連やユネスコ、アメリカの教育現場でも取り上げられています。
この四つの言葉に
「こんな自分にいつも寄り添っていてくれてありがとう。あのときは、つらいことを経験させてごめんね。わからなかったんだ、許してね。難かしかったんだ、許してね。仕方がなかったんだ、許してね。これからもずっと愛してるよ。」という想いを込めて、何度も自分に語りかけます。
そうすることで、過去の出来事の記憶が癒され、過去の出来事を許すことができるようになります。
仮に人生をもう一度やり直せるとします。
それでも、自分の容姿や才能、過去に起きた全ての出来事を含めて、「自分の人生をもう一度経験してもいい」と思えたときに、本当の意味で、完全に自分自身を許すことができたと言えるでしょう。
仮に他人を許せない自分を見つけたとしても、「許せない自分を受け入れて許す」ということが大切です。
自分を許すというのは、自分の過去を癒し許していくことなのです。
次に両親を許す
自分を許すことに取り組んだら、次は他人を許す順番です。
自分以外の存在で、最も距離が近く影響を受けたのは親であり、両親との関係は対人関係に強い影響を及ぼします。
父と母いずれか又は両方との関係で、表面的にはうまく行っているようでも、心の奥底の深い部分にシコリが残っていることがあります。
両親との関係性を改善することが、許せない存在をつくる対人関係の改善につながるのです。
この両親は、会ったことがなくても、離れてしまっているとしても、自分が覚えている、または他人の話などから記憶した、自分の頭の中の両親です。
もう一度過去を遡ります。心を落ち着かせてから思い出しましょう。
小さい頃、両親に本当はしてほしかったのにやってもらえなかったことはありますか?
小さい頃、両親の言動に傷ついたと感じたことはありますか?
ゆっくりと時間をかけて思い出しましょう。
思い出すことができたら、それらを紙に書きだします。
それと同時に、そのことに対しての自分の感情を素直に紙に書きだします。
「本当は一緒にいてほしかったのに、どうして自分を置いて行ってしまったの?」
「本当は自分をかまってほしかったのに、どうして弟や妹ばかり大事にしてたの?」
「本当は話を聞いてほしかったのに、どうして侮辱するようなこと言ったの?」
「ひどいよ、あんまりだよ、つらかったよ、苦しかったよ、悲しかったよ…」
怒りの感情が溢れてきたら、それをそのまま書き出します。
心に蓋をしてこびりついていた感情を祓い、気が済むまで書き終えたら、スッキリした気持ちになれるでしょう。
その後で気持ちを落ち着かせたら、今度は両親に対して感謝したいこと、謝りたいことを紙に書き出します。
「産んでくれてありがとね。名前を付けてくれてありがとね。いつもご飯を作ってくれてありがとね。学校に通わせてくれてありがとね。沢山ほめてくれてありがとね。沢山叱ってくれてありがとね。育ててくれてありがとね…」
「反抗して殴ったりしてごめんね。言うこと聞かずひどい言葉を吐いてごめんね。心を傷つけてごめんね。迷惑ばかりかけてごめんね。期待通りの子になれなくてごめんね。許してね。愛してるよ。」
この作業をしているうちに、抵抗を感じて思うようにできない人、涙が溢れて止まらなくなる人もいるようです。
それだけ両親との関係を自分の中で解消できていなかった証であり、両親との過去の出来事の記憶を癒し許すことで、両親との関係が改善されて行きます。
いかなる両親であっても、その親のおかげで私たちは生まれることができました。
親がいなければ私たちは存在することはできません。
その事実をしっかり受け入れて向かい合うことです。
親を否定することは、無意識に自分自身を否定することにつながります。
そして、両親との過去を癒す過程の中で、その両親も自分と同じタイプの傷を持っていて、自身の言動に対して自分と同じように苦しんでいたことに気付けます。
子は親を選んで生まれて来ると言いますが、自分と同じ傷を持つ人を選んで生まれて来ます。
「自分が嫌だと思うことを他人にしない」ことが人間らしく生きる正しさだとしても、自分が嫌なことを両親に対してしていたことに気付き、それを認め罪悪感を手放し許すことが、さらに自分への許しを深めます。
そのことがわかると、他人に対してイラ立ちを覚えることを、自分も他の誰かにしていたことに気付けるようになります。
周りの人は自分を映す鏡であるという鏡の法則に気付かされるのです。
対人関係を改善するための鍵が、両親との深い部分での関係改善に隠されています。
自分を許し両親を許すことができるようになると、他人も許すことができるようになります。
心の傷を受け入れることで、他人に嫌なことをされても「あなたも心に傷を持っているんだね。その心の傷のせいで苦しんでいるんだね。私と同じだね。」と思えるようになります。
ネガティブな発言をして攻撃する人を見ても「辛いんだね。苦しいんだね。傷ついてるんだね。」と思いやることができます。
完璧ではない不完全な自分に気づけたとき、他人に対しても完璧でないことを許容できます。
それはありのままの自分を受け入れ、過去の出来事をありのまま受け入れることです。
「復讐するは我にあり。人を裁くことなかれ、しからば汝らも裁かれざらん。」
新約聖書には、人を裁くのは神のみが行うことであって、人を裁く資格のない人間が他人を裁けば、その人自身が神によって裁かれるということが伝えられています。
裁くというのは、善悪の判断をして正しいことに対する間違えをわからしめようとする行為です。
裁くことに繋がりかねない最初の行為が、他人を評価するということです。
悪事を働く人は、誰かが手を下さなくても地獄に落ちるそうです。
人を許すことができるのは、人としての最大の強さであり優しさです。
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