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読書と主観

さて、昨日は「運」について考えていきました。

自分は運がいいのか、
運って何だろう。

人それぞれとらえ方はあります。

そして、それは自由でもあります。

全部正解。

どう考えたっていい。

でもその思考のきっかけをくれたり、
その思考の理由や根拠になるものをくれるのもまた読書によるものだったりします。



「自分の考え」なんてあるのか。


自分の「考え」なんてよく言うけれど、
結構人の受け売りだったりする。

自分の「考え」はあると思っているけれど、
誰かの「考え」の集合体だったりする。

自分で「こうだ!」と思っているものは、
誰かの「こうだ!」の上に成り立っていると思うんですよね。

そして、それって結構普通だと思うし、
そういう意味ではみんな、「自分の考え」なんてないのかもしれない。

けれど、それもまたそれでいいと思います。

いろんな情報の中で自分で「決めたこと」が、
自分の「考え」なわけなので。

でもせっかくなら、
多くの「考え」に触れて、
たくさんの「根拠」のもとに、
「自分の考え」を導き出したいとも思います。

そうやっていろんな「考え」に触れることで、
余計迷ったり、時にブレてしまったり、
そういうこともあるんだけれど。

そうやって試行錯誤しながら磨き上げていったモノが、
その先に残ったモノが、
「自分」なのではないかと思うのです。



同じ体験をしても生まれる「違い」


同じ本を読んでも、
同じ映画を観ても、
同じドラマを観ても、
同じスポーツを観ても、
感想が違うことがある。
まったく観ているところが違うこともある。

そういう「人それぞれ」ってすごく面白いと思います。

そうやって「人それぞれ」の集合体が社会になっていて、
そのなかで会社とか学校とか組織とか、一つのものをつくっていく。

「自分」にしか興味がなかったり、
「自分」のことしか知らなかったりしたら、
より良いものを作れないどころか、
一人では到底到達できない感情を知る由もないわけです。

だから、人のことをもっと知りたい。

「自分」以外の人がどう考えているのか、
何を観て、どう思うのか、
そういうことをもっと知りたい。

きっとこうだろうという主観じゃなくて、
内面的にどう考えているのかまで知りたい。

そんな時に、内面も言語化してくれる読書は最適です。

わざわざその時、どう思っていたか、どう考えていたか、
教えてくれるわけだから。

もちろん読み手は読み手の主観で読んでいくわけだけれども、
そうやって読み進めていくことで、
「自分以外の人の考え」に触れることができて、
心の「他者」のページに新たらしい文字が刻み込まれていくわけです。

どこまで行っても主観だから、
ある意味では一生他者の考えなんて理解できないかもしれないけれど、
ずっと理解しようという姿勢は忘れずにいたいな。

そんな想いで、今日も読書をしていこうと思うわけです。


ここまで読んでいただいてありがとうございます!

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