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【2022年新春コラム】 『鉄道記念日』と150年前の謎

あけましておめでとうございます。
2022年最初のコラムは、日本の鉄道と時間にまつわる話です。


今から150年前の明治5年9月12日。
日本初の鉄道が新橋-横浜間で開通しました。

当時は、昨年の大河ドラマでも知られる渋沢栄一が活躍した時代。
近代国家を目指して、岩倉使節団の派遣や郵便事業の開始、新聞の発行など、様々な取り組みが行われる中、渋沢翁が特に注力したのが鉄道事業で、その後も日本中で数多くの鉄道会社の立ち上げに関わっていきました。

鉄道開業から50年を経て、当時の鉄道省は10月14日を『鉄道記念日』として制定。平成に入ってから『鉄道の日』と改称されました。


ここで皆さんは、一つの疑問を抱いたのではないでしょうか。

「9月12日」に開通した鉄道の記念日が、なぜ「10月14日」に?


そうです。日付が違うのです。
今から、この謎を解き明かしていきましょう。


この謎を解くには、鉄道の初開通と同じ明治5年の11月9日に発布された『改暦ノ布告』がカギになります。

『改暦ノ布告』は、議会が出来る以前、明治政府の法令が『太政官布告』と呼ばれていた頃のもので、現在生きている法律の中では最も古いものです。

それまで日本で使われていたのは、「和暦」と呼ばれる「太陰太陽暦」
新月から次の新月まで、月の公転周期(約29.5日)を1ヶ月、地球の公転周期(約365日)を1年としていたもので、1年に13ヶ月目(閏月)のある年もありました。

先ほど書いたように、当時は近代国家を目指して西洋文化を積極的に取り入れていた時代。そこで暦においても西洋と同じ「太陽暦」(西暦)を取り入れようとなったわけです。

『改暦ノ布告』によって明治5年は12月2日で終わり。
本来なら12月3日となるはずだった翌日が明治6年1月1日となり、西暦の1873年と同時スタートすることになります。

それ以前の和暦の日付については、西暦に合わせてズレることになるので、「明治5年9月12日」と「1872年10月14日」は同じ日なのです。


ちなみに、この『改暦ノ布告』で採用されたものは、西暦以外にも存在します。

それが「定時法」

当時の日本は和暦だけでなく、時間に関しても独自の「不定時法」を採用していました。
「不定時法」とは、1時間の長さを一定にせず、昼夜それぞれ6等分して「一刻」と呼ぶルール。なので、昼と夜では一刻の長さが異なり、季節によっても異なります。

一方の「定時法」は、皆さんご存知の「1日を24等分したものが1時間」とするルール。
日本人はこのとき初めて「1時間」を知り、世界と同じ「時間・時刻」を手に入れることになります。つまり現在のような時計が使われ出したのもこの頃。

そのため、今では信じられないことですが、当時の日本を訪れた諸外国の人たちから「日本人は時間にルーズだ」と言われていたとか。
日本人の時間厳守スタイルは、150年前のこのときから始まったのかもしれません。


そうなると気になってくるのが、世界で最も時間に正確な日本の鉄道。

実は『改暦ノ布告』の半年前、明治5年5月に仮開業として品川-横浜間を運行していますが、そのとき既に、現在と同じ世界標準の時計を使用していたそうです。

さすがは日本の鉄道。
開業前から時間に対して真摯な姿勢で臨んでいたようです。


近年多発する事件や事故、テレワークによる利用者の減少など、様々な課題を抱える鉄道業界ですが、150周年という節目の今年、さらなる挑戦に期待したいところです。


今年も一年、よろしくお願いいたします。



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