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「匿名写真展」とはなんだったのか

①前書き


2023年7月19日~24日
「匿名写真展」という名の一風変わったコンセプトを打ち出した展示を主催しました。

展示閲覧の流れは以下の通り。

1.作者や解説の掲示を一切行わず、来場者には自由に展示をみてもらう
2.展示全体について または個々の作品に対して自由に感想を書いてもらう
3.感想と引き換えに作者名や作品解説を記述したリーフレットを渡す
4.作品解説を読みながらもう一度展示をみてもらう



果たして展示作品の作者名やステートメントを掲示しない写真展が持つ意味とは何だったのか。

様々な考えと工夫を凝らした匿名写真展の最終的な累計来場者数は
のべ407名にのぼり、感想回答率は70%という非常に高い数値を記録しました。

10ヵ月に及ぶ企画の発端から実現までの経緯を振り返りつつ、この展示に込めた思いを綴ろうと思います。

宜しければどうぞお付き合いください。


見えなさそうで見える不確実性を表現した「匿名写真展」のロゴ。
展示名ロゴのデザインに合わせた斜めのブラインドで全体の表記の統一感を持たせている。
出展者名の記載がある矛盾は承知の上、戦略的にはどうしても必要だった。(後述)
雑多としたアノニマス感の写真をキービジュアルにしたいと考え、イメージにぴったりな出展者の丸山さんの作品を使用させていただいた。

私たちの価値観は時に様々な色眼鏡に囚われて盲目的になってはいないでしょうか。

フォトグラファーとして、過去の経歴や立場を忘れて自由に写真を撮るならば、作品にどのようなパーソナリティを残すのか。

観る者として、誰が撮ったのかという先入観を払って写真を眺めるならば、作品から何を感じ取るのか。

この写真展では、作品に撮影者の名前を掲示しないことで、出展者と来場者 双方の視点から見える写真の在り方について問いを投げかけます。

ここではフォトグラファーにプロやアマチュアという概念は無く、作品には撮った者による付加価値も与えられません。

素のままの個の表現と解釈。これは現代のSNSを筆頭とする型に嵌った消費的写真文化に向けたアンチテーゼです。


②原点


実のところ、匿名で展示を行うという構想は3年半ほど前からありました。

プロの写真家が審査員を務める写真コンテストや展示作品の中から受賞作が決まる参加型写真イベントなど、それらで結果を残す方々は当然ながら無名のフォトグラファーたち。
かたやSNSの世界ではフォロワーや いいね などの数ばかりが持て囃され、「みんなが良いというから良いのだろう」という写真の本質から遠く離れた評価軸に踊らされる人々で溢れかえっていました。

「もはや誰が撮ったのかわからない方が素直に写真を見ることができるのではないか…」
そんな考えは、知らない人ばかりが出展する展示イベントへの参加経験を重ねて、より強く確実なものへとなっていきました。

「匿名の写真が並ぶ空間を作ってみたい。そうすれば、誰もが平等に作品に触れることができるはずだ。」

アイデアだけは簡単でした。当時なんとなくInstagramのストーリーに、こんなことやってみたいけど どう?みたいな投稿をして、ぼちぼちリアクションがあったりもして。

しかしながら、
・匿名である限りはグループ展でなければ意味を成さないこと、
・尚且つ、思わず足を止めて眺めたくなるような高いクオリティが各々に求められること、
これらの最低限の条件を満たすには当時の僕にはあまりにも力不足だったのです。
人脈はおろか、自分自身さえまともなコンテンツを用意できる確信がありませんでした。

そうこうしている内に、世界的なパンデミックが世間の話題を攫って、
とても大勢を集める展示の話を進めるなどということはできなくなっていきました。


・・・それからしばらく。

「今ならできるかもしれない。」

どこかで燻っていた気持ちがようやくまとまりはじめ、徐々に仲間を募る為の声かけを始めたのです。

2022年9月、まだまだ残暑が長引く暑い日のことでした。



③難しい条件


やることは簡単。
ただ作品を匿名にすればよいだけ。

しかし冷静に考えれば、これは心理的に非常に難しい話なのです。


本来、展示とは自己発信を行う場であるにも関わらず、
数万円の出展費と作品制作費をかけてまでして、どうしてわざわざ名前を伏せなくてはいけないのか。自身の作品の前に立って解説をすることすらできないのか。
展示をする限りは精一杯のアピールを行いたい、というのが普通の考え方です。

匿名の出展を募る上で必要だったのは
・匿名コンセプトへの賛同
・過去に展示経験がある経験者(初展示にはあまりにも酷)
・総合的な作風のバリエーション

質の高いアウトプットの担保
など。

展示の規模や会場に当たりを付けて想定した出展者数は10名弱。
想定する来場客層を考慮すれば、ポートレートなどの一つのカテゴリに偏った内容になることを避けたい。
それと同時に、匿名であるということは、プロやアマチュアといった身分も立場も関係のないフラットな関係を要求します。

主催の身として、声掛けすらも大変気を遣う大変なプロセスでした。


④匿名性の範囲と宣伝


お気付きの方も多かったかもしれませんが、匿名写真展と題していながらポスターには出展者名が表記されているという矛盾があり、実際会期中にいただいた感想の中にも「出展者がわからない方がおもしろかった」という声もありました。

しかしながら、展示を行う以上は来場者がいないと始まらないので、何等かの手段を講じて告知活動を行う必要があります。

何せ過去に実績がない初の試み。
第三者による宣伝に委ねるとしても、情報発信元の信ぴょう性をどのように担保するかを考慮する必要がありました。

●プレスリリースの発行。
●その信頼性を持たせる為の協賛の募集。
●プロのライター様による第三者目線の質の高い記事作成依頼。
様々な試みを実践しました。

それでもメディアを通じた情報発信は半分博打のようなものであり、
やはり宣伝の多くは出展者本人に依存するしかないというのが現実的な問題でした。自ら宣伝を行う以上はポスターに出展者名を掲示しない意味がない。

これは非常に悩ましい決断で、実際この方針を決める過程においては意見の衝突もあり、開催直前になって展示辞退者が出るなど、非常に苦しく辛い思いもしました。

作品解説のリーフレットに作者名を記載すべきか否か、
そもそもリーフレットを配布するべきか否か、
展示名に忠実であることとエンタメ性のバランスをとることは非常に難しいことでした。


しかし、匿名写真展において匿名であること自体は手段に過ぎず、最終的な目的ではなかったのです。

手段である限りは目的に応じて臨機応変であるべきです。
目先のことよりも、大きく俯瞰した視座に立つべきです。
そして未来に繋げるために展示を成功させて実績を残すことが重要でした。


それでは、この展示における本当の狙いはどこにあったのでしょうか。

7月22日にはピクトリコ様によるプリント体験会が実施された。
多くの来場者が好きな写真を希望の用紙に印刷し、プリントの楽しさを体感していただいた。

⑤匿名写真展の役割


「先入観なく素直に作品を楽しめた」
「見る側のイメージを創造させる展示だ」
「いかに普段から誰が撮ったのかを意識してしまっている事を思い知った」

…などなど
展示のコンセプトに魅力を感じてもらえた感想が多く寄せられました。



そう、
匿名写真展は作品を見ること以上に、
その展示を体験することに意味があったのです。


——— 私たちの価値観は時に様々な色眼鏡に囚われて盲目的になってはいないでしょうか。———

ポスターに記述されたこの一節は、決して写真のことだけを指しているのではなく、私たちが見聞き触れる全てにおいて言及しています。

誰が撮ったからすごい…
皆がやるからやる…
有名なブランドだから買う…

私たちは皆、他人に依存した判断基準で物事の本質を見誤ってはいないでしょうか。
何事においてもまずは自分なりの解釈をすることが大切なのではないでしょうか。

多くの人に自身の判断基準に疑問を投げかけ、
再考する機会を提供すること。

これが、僕が匿名写真展に与えた本当の役割でした。
作品の展示や匿名性といった要素はこの役割を担わせるための手段だったのです。



⑥展示のデザイン


情報を削ぎ落した展示は、閲覧者による自由な解釈が認められており、
さらに感想を書いてもらいやすい流れを作ることで、作品をより真剣に観察すること、そして感じとったものを言語化する機会が与えられています。

その上で作者の意図を後から示すことにより、結果的にはより一層作品への興味と理解を深めることができる。

これらを計算した上でこの度の展示閲覧の流れを設計し、
展示の順番や会場内の動線の確保にも細かく気を配りました。


また、閲覧者に より写真本体にフォーカスしてもらうために、
展示作品のサイズやパネルによる展示方法を統一し、作品のレイアウト自体も可能な限りシンプルにすることを各々に要求しました。
更に、出展者一人あたりの壁を均等に配分するのではなく、作品のレイアウトに応じて最適化した不均一な展示範囲の振り分けを行ったのも、展示全体の一体感を持たせて筋を通すために強く意識したポイントです。

展示全体の可能な限りの情報量削減と出展者に認める自由の範囲のバランスは匿名写真展の方向性に於いて非常に重要な要素となるのです。
額装や自由なレイアウトまでを含めてアートとして捉える考えもあり、個々の個性を発揮する上では本来であれば大切な要素にもなることは当然理解していた分、出展者には申し訳ない気持ちもありましたが、必要最低限のレギュレーションを課すのは必要だと考えていました。


⑦最後に

一方的な作品の発表ではなく、見る側にとっても価値ある体験となるように思いを込めた匿名写真展。
足をお運びいただいた方々にはどのように感じていただけたでしょうか。

生成AIが描き出した画像が写真コンテストで賞を取ってしまうという、業界にとってセンセーショナルな話題も、はや昔。
振り返ればオートフォーカスが普及し始めた時にはすでに事実上のAIの介入は始まりかけていたのかもしれません。
もはやAIとの共存は避けられず、いかに利用するかが問われる今、
人の手でシャッターを切る写真の価値をどこに見出せばよいのか考える方も多いと思います。

写真という最終成果物のみに焦点を当てた考えだけでは、正しく価値をはかり切れなくなってきたこの時代に、これからも写真芸術の文化が育まれるよう、微力ながらも活動を続けていきたいと考えています。


厳しい暑さの中、展示に足を運んでくださった来場の皆様。
度重なる情報の変更に迅速に対応してくださったイロリムラご担当者様。
実績がない展示であるにも関わらず協賛出展をしていただいた企業様。

難しい要求であるにも関わらず、それぞれの捉え方で匿名写真展を解釈して作品を出展してくれたメンバーの皆さん。
一緒に出展作品を創り上げてくれたモデルさん。

関わっていただいた全ての方に重ねてお礼申し上げます。
本当にありがとうございました!

またきっとどこかで。

初日に来場していただいた知り合いの方から贈られたフラワーアレジメント。
会期中、受付を元気に彩ってくれた夏の花々。
お花を贈っていただくのがこんなに嬉しかったことはありませんでした。

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