見出し画像

妄想感想文「保育の中の『多様性』とは インクルーシブが求められる今を考える」


季刊保育問題研究は、知る人ぞ知る(つまり多くの人は知らない)1962年創刊の雑誌です。保育について、研究者と現場保育者、時には保護者や小学校教員も交えて、ともに学び合います。

309号の特集は、
「保育の中の『多様性』とは インクルーシブが求められる今を考える 」

まだ書籍が手元にないので、またもや記事を読む前に、しかも保育ド素人の私が、タイトルだけを基に妄想で感想文を書いてみます。


最近よく耳にする多様性という言葉は、あまのじゃくな私の心をザワつかせる。ザワザワの元を辿ってみると、行き着いたのは「何となくイイコトっぽい響き」。

「多様性を認める」と私がうそぶく時、その言葉の裏に「私が一番ノーマル。変わり者のあなたも受け入れて、あ・げ・る」といった、偽善者の優越感を発掘した。自分の中に巣食う偽善者を率直に認めることは難しい。そこで私の心は、さとうきび畑のようにザワザワと言っていたのだ。

こんな時、ついやってしまいがちなのは、「私は偽善者なんかじゃない!」と否定したり、「自分の中の偽善者を撲滅しよう!」と躍起になったりすることだ。
しかし前者は自分を偽ること、後者は自分を押し殺すこと。あまりにも短絡的で、破綻は目に見えている。

そこで今、こんな取り組みを考えてみたい。

私たち一人ひとりは、夜空に輝くひとつずつの星だと仮定する。そこには優劣もないし、中心も上下も何もない。ひとつの星から見ると、別の星はどれも自分からは計り知れない存在だ。その星には自分の星とは異なるノーマルがある。つまり、自分とは異なる価値観があり、判断基準があり、感受性がある。私もそうであるのと同様に。

ここで最も大切なのは、どの星の住人にとっても、「比べるまでもなく、自分の星が一番ノーマル」ということ。

だったら、十人十色のノーマル同士と割り切って、交流できないものだろうか。

何をするかといえば、ただ、「私は今こんな気持ちですよ」「こんなふうに考えています」そんな自分のノーマルから生まれた気持ちや考えを率直に告白する。そして告白の後ろに「あなたはいかがですか?」 とそっと添えて、後は耳を澄まして待つ。

なぜならこれは異星人との交流だから。相手のことは何も決めつけられない。自分の星の文化や習慣を伝え、相手の星のことは、相手の語るに任せるしかない。任せるとは、信じること。

そうは言っても、自分と異なるノーマルを受け入れることは簡単でない。
なぜなら、それは「こんな変わり者が社会で受け入れられるなんて、私はノーマルじゃないの?受け入れてもらえないの?」という不安を呼び起こすから。

こうした不安は、「フツー」「常識」「当たり前」「ちゃんと」という言葉として口から出たがる。そんな時は、こう唱えてみよう。

「ノーマルと 言ってる本人 アブノーマル」

だって十人十色のノーマルならば、誰もがノーマルだし、同時に誰もがアブノーマルなんだもの。
そうして、「私のフツー」「私の常識」「私の当たり前」「私のちゃんと」の言語化を試みよう。そうしたら、「相手のフツー」「相手の常識」「相手の当たり前」「相手のちゃんと」を聴かせてもらう、そんな僥倖に恵まれるかもしれない。

こんな交流を試みていたら、自分の星にはありえなかったことと、相手の星にはありえなかったことが、「はじめまして」と握手できるようになるのではないだろうか。

そんなふうに保育に取り組んだなら、次の世代にはどんな大人たちが、どんな社会を作るだろう。


こうしてタイトルを元に、自分なりに考えを巡らしてみると、不思議と興味が湧いてきます。門外漢の私とはいえ、実際に書籍を手に取って、専門家の手による記事を読むのが楽しみになってきました。

バックナンバーのご注文も受け付けています。
お近くの書店または新読書社までご連絡ください。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?