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『時間』という概念。~果たして時間は全生物に平等なのか~

こんにちは。@shinchiです。
今日は『時間』についての考察を投稿したいと思います。
医療者(学生ですが)として人の死について考えること、考えなければならないことがあるので、今回はこの考察について共有させていただきます。

 「人にとって同じく与えられるものは何ですか?」
 この質問は一回は聞いたこと、聞かれたことがあるのではないでしょうか?よく用いられる答えは『時間』です。

 確かに地球は約24時間で自転を繰り返しています。つまり地球上に存在しているものの『時間』は地球の自転によって決定されているので平等でしょう。
しかしこれは物理的考え方ですよね?果たして全生物、全人類にとって『時間』は平等なのでしょうか?

僕は物理的な平等にはもちろん賛成です。

しかし、人に与えられる『時間』は平等ではないと思います。
 例えば、現在世界最高齢の方は日本の福岡市に在住の118歳の女性です。この方は年数として118年×365.25日=43,099.5日。時間として1,034,388時間息しています。一方で幼い時に失くなってしまう方も少なくないです。(世界規模で考えると特に。)1か月で亡くなってしまったお子さんがいるとします。年数として1か月×30日=30日。時間として720時間。
 この二人の中には差が膨大にありすぎます。皆さんはこの一瞬の一時間を同じだと言い切れますか?僕には不可能です。お子さんの一時間はおばあさんの約1437時間分に相当するんです。人に与えられる『時間』は平等ではないんではないでしょうか?

 このように物理的な『時間』は同じですが視点をずらしてみると平等でないように感じませんか?だから、『時間』を考えるうえで大切なのは地球規模の基準ではなく、自分の寿命という限られた『時間』ではないでしょうか?自分の限りある寿命の中の数時間を使ってやるべきことって何でしょうか?このことを考えないで今を楽しむのももちろん大事でしょう。こんなことばかり気にしてたら何もできませんからね。(このように考えられるのは健康であることが大前提ですが)しかし、『時間』を考えるときの視点としておもしろいと思いませんか?

 人における幸せはそれぞれ違うでしょう。その幸せに少しでも近づけるように『時間』という概念を少し考えてみると面白いかもしれませんよ。『時間』には限りがある。このことはすごく重要で覚えておきたいことだと思います。

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