ログは貴方の友達

ログをとることはふりかえりの機会を増やすという話をします。

ログはとるだけでも精神安定作用があります。そのことは以前の note で書いた通りです。

ログは自己のあらゆる活動の記録としてそこにあります(あらゆる活動のログをとっていればですが)。そのログを確認することは、自分の過去の行動や感じたことを客観的に把握する機会を得るということです。つまり、自己客観視する機会を、です。

人は自分で自分の言動や考え方、感じ方を自然に把握することができません。自分の顔すら鏡を通してでしかわからない。自分の発言やその仕方はボイスレコーダーなどに録音したり、メモをとったりしないとわからない。自分の時間の使い方は使い方を記録しないとわからない。自分のお金の使い方は使い方を記録しないとわからない。自分にとって今日はどんな一日だったかは日記をつけないとわからない。

ここで注意が必要なのは、ログをとらない状態でもわかっているものをログをとることで忘れないようになる、ということではないことです。そうではなくて、ログをとるという行為を通してはじめて人は自分をわかるようになるのです。もちろん、忘れてしまうことを防ぐ観点からも重要ですが、ログをとるという外部記憶化を行う際に、注意深く自分自身を見つめる機会が与えられることがより重要なのです。

注意深く自分自身を見つめる機会、それはふりかえりです。自分の言動、思考をふりかえる機会がログを見返す時はもちろん、ログをとるタイミングでも発生するのです。

ふりかえりが多ければ、自分自身への理解がより進むと同時に、自分の目標に対して(定性的であれ定量的であれ)どの程度乖離しているか、順調に進捗しているか、そもそも目標そのものが適切か、自分が本当に欲していることか、といったことが自然と見直されていきます。逆に言えば、ログをとる習慣を持たないと、自分自身が何を欲しているのか、自分自身がどこにいるのかがわからないまま生涯を終える可能性が高まるということです。

「ログをとった方がいいですよ」というお話をすると、なんでも効率重視でゆとりのない生き方だと反応される方が時折あります。気持ち、すごくよくわかります。私もそうでしたので。しかし、それは誤解です。効率を追求する側面があるとしてもそれはやらなくてはいけないことに対してだけです。例えば、「毎日ゆったりとした気分で過ごしたい」という最大の目標があったとして、その障害となるのは多数のやらなくてはいけないこと達です。これらを最小時間で攻略できればできるほど、後は自由に過ごせるわけです。ログをとることで四六時中あくせく行動しなければならなくなるということはありません(そのような生き方をするのももちろんアリですが)。

ログをとることは行為そのものがふりかえりの機会を増やして、希望の生き方を可能にする為の強力な支援になることを書きました。ぜひ、試してみてください(まずは日記からだけでも)。


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