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アカシアの雨 第一話「掲示板」

 私立高校の美術臨時講師・波瑠はある日、掲示板に許可されていないポスターが貼られていることを知る。そこでいたずらと思われるポスターについて調べることになった。
 学校では昔、掲示板を使った恋愛のおまじないが流行った。《アカシアの雨》と書き掲示板に貼るというもので、今回のいたずらはそれを踏襲したように思えたが……。

掲示板

波瑠はるせんせー、イチョウってアカシアなの?」
 秋も深まってきた十一月中旬。窓から見える晴天の空は、空気が冷たく澄んでいて筋状の雲が美しい。そんな昼休みの美術教官室でいつもたむろしている上倉苑かみくら そのが、なぞなぞのような問いかけをしてきた。

 窓から外を見ていた水城みずしろ波瑠は、言われている意味がわからず、一瞬宙を見て振り向き、率直に返事をする。
「ごめん、質問の意味がわからない」

 担当のカリキュラムである油絵の授業が午後からで、のんびり出勤してきた波瑠が机に着くと、いくらもたたないうちに苑が上って来たのだった。
 美術教官室は私立北八王子高等学校の中央館特別棟の最上階にある。中央館には体育館や音楽室、美術室などが固まっており、臨時講師である波瑠もほとんどこの中央館で過ごしている。

 生徒はもうすぐ昼休みが終わる時間なので、タイミングを見計らっていたのかもしれない。苑はポケットからスマートフォンを取り出して画像を見せてきた。
「波瑠せんせーが重役出勤してきたから知らないと思うけど、朝からこれで持ち切りだったんだよ」
 そう言って波瑠に見せた画像は、エントランス前の中庭にある外掲示板に貼られていたポスターだった。数枚アップされた画像の写真は、雰囲気から大きなイチョウの木であることがわかるが、下に小さくキャプションが付いており、《アカシアの雨》と書かれている。
 掲示板に貼られているのを見た波瑠は、眉をひそめた。
「……私、これ許可してないわ」
 苑はスマートフォンを操作して、画像がどこに掲載されたかも見せてきた。
「やっぱりね、多分見てないと思ったんだ。これ、学校のSNSに誰かが投稿したんだけど、めちゃ早い時間にアップされたんだよ」
 SNSのタイムラインを見ると、朝の五時半になっていた。その時間帯はまだ校門が開いていない。わざわざ早朝にポスターを貼り、気が付いて欲しくてSNSに上げたということらしい。

「ほら、聞いといてよかったでしょ?」
 得意そうに言う苑を尻目に、波瑠は教官室を飛び出した。

 
 噂の掲示板前は、昼休みがもうすぐ終わるというのに生徒が何人も立ち止まっていた。手にスマートフォンを持ち、写真を撮ったり操作したりしているのはSNSに上げているらしい。授業中に預ける以外は持ち込みが許可されているから仕方がないが。

 生徒の一人が波瑠に気が付き、隣の少女に声を掛けた。振り向いた子は、美術コース二年生、多嶋由利たじま ゆりだった。
「水城先生、これ」
「さっき別の生徒から聞いた。いたずらみたいね」
「やっぱり先生じゃなかったんですね。もう結構噂になっちゃってますよ」
 波瑠は顔をしかめてうなずく。

 この学校の外掲示板は、鍵付きで管理されている。それ自体は特に珍しいものではないだろう。
 掲示板は二つあり、それぞれアールヌーボー調の凝った意匠が施されている。高さは大人の男性より高いくらい。全面はガラス張りの扉で、それぞれ真鍮製の鍵で管理されていた。鍵は向かって右の掲示板がヤマユリの柄、左がイチョウの柄だ。この二つは校章のマークに使われている。先代の理事長が趣味で作ったらしい。しかし変わっているのはこれだけではない。

 この掲示板は、代々管理する《掲示板係》を指名で決めている。
 先代から指名される人物は、教師でも生徒でも構わない。鍵を管理し、掲示物の許可を出す。先代は指名した人物を公表する。任期は決まっていないが、ほとんどは三年で交代している。生徒の場合は生徒会のメンバーが多いし、教師は間の期間を取り持つことが多い。

 波瑠は一年前《掲示板係》を任命された。先代は産休で休職した教師だった。掲示物の管理は面倒臭いらしく、近年は生徒も嫌がるとの話だった。
 十年ほど前にこの学校を卒業した波瑠も、その制度は知っていた。しかしその頃は、継承される鍵の特別感も相まって、ある意味ステータスで生徒の憧れだった覚えがある。《掲示板係》に選ばれる者は周囲も一目置いていた人物だったからだ。
 それが今は、単なる管理業務になっている。波瑠は当時を知っているため少し寂しさを感じたものだ。

 しかめっ面で掲示板を見ていた時、後ろから年配男性の声がした。
「水城先生」
 波瑠は思わず首をすくめた。
藤波ふじなみ副校長。こんにちは」
 無理やり笑顔を作り振り返って返事をすると、スーツのスリーピースを着こなす初老の男性がにっこり笑って立っていた。藤波は副校長でもあり北八王子高校で長く教師をしていた。波瑠の学生時代も知っているため、頭が上がらない人物の一人だ。

「思った以上に騒ぎになってしまいましたね。とりあえずポスターを外していただけますか?」
「はい! もちろんですー」
 柔らかい笑顔だが、あとで呼び出しは必須だろう。波瑠はげっそりした心持ちで、鍵を取り出して左の掲示板を開ける。思わず学生時代を思い出してため息をつきそうになるのをぐっとこらえた。

 その時、昼休み終了のチャイムが鳴り響いた。
「ほら皆さんも。授業が始まりますから戻りなさい」
 藤波に促されて、生徒が散り散りに去っていく。
 周囲に生徒がいなくなったのを確認すると、藤波が言った。
「鍵はずっと持っていましたか?」
「はい。学校に置き忘れたりもしていません」

 ガラス扉を開けてポスターを見る。全体が黄色に色づいたイチョウの樹木はどこか見覚えがあるが、どこだったかは思い出せない。下からあおりで映している。キャプションは黒い文字で《アカシアの雨》と入っていた。
 ポスターの表面は艶があり、オフセット印刷のようだ。少なくとも家庭用プリンターで印刷したものではないらしい。いたずらにしても手が込んでいる。
 波瑠は慎重にポスターを外し、もう一度施錠する。

「先生が鍵を持っていたとすれば、スペアを使ったということでしょうか」
 藤波が首をかしげる。波瑠は鍵を手にぶら下げて見せた。
「まあ、この鍵もけっこう長く継承されてるみたいですが、どこかの段階で誰かがスペアを作っていても不思議はないですね。トップの意匠以外は簡単な真鍮の鍵なので」
「それはそうですが……」
 藤波がそこで言いよどんだ気配がした。
「――《アカシアの雨》とは懐かしいですね」
 その一言で、藤波が伝統的な掲示板のおまじないを理解していることがわかった。波瑠は唇だけの笑みの形を作る。

 藤波は古参の教師だけはある。余計なことは言わないが、憂慮しているのだろう。しかも今回は『左の掲示板』だ。
「このポスターはどうしましょうか?」
 念のため波瑠が藤波に問いかけると、藤波は肩をすくめた。
「掲示板係は水城先生ですから、先生に管理をお任せしますよ」
 そう言われるだろうとは思った。正直面倒ではあるが仕方がない。いたずらとはいえ波瑠にとっては完全にとばっちりだ。

 そうこうしている間に本鈴のチャイムが鳴った。
 午後から担当している授業が始まる波瑠は、慌てて中央棟に戻ろうと踵をかえすと、藤波は去りがてら、
「授業が終わったら副校長室に来るようお願いしますね」
 そう念を押すのも忘れなかった。波瑠は今度こそため息を吐いた。

 午後は美術コース二年生の授業で、デザイン・油絵・日本画と分かれている。波瑠の担当する油絵は、油彩用の部屋がある。中央にフルーツと壺と立方体を配置した静物を囲んで、イーゼルを広げた生徒たちの後ろに立つ。二学期も後半に入っており、課題をこなす段階だ。

 他の美術教室にもいえることだが、通常の教室と違って空間が広く取られているため、エアコンが効きづらく寒い。また、油絵は基本的に汚れることが前提なので、制服や体操着の上に作業着を着ている。防寒がしづらいため、マフラーをしていたり作業着の中にセーターを着たり、それぞれで対策をしている。かくいう波瑠も、セーターの上に作業着を着こんでいるが、ホッカイロを内側に貼っている。
 こういう風景は、美術教科特有だなと改めて波瑠は眺めた。

 波瑠はこの高校の美術コース卒業生だ。北八王子高校はコース制を取っているのが特徴で、他にも音楽コース、特進コースなど偏差値や将来の希望によって受験時に選択する。
 波瑠が美術を選んだのは、たまたま美術が得意だったことと、勉強をあまりしなくていいと思っていたからだった。しかし、大学は総合大学の芸術学部美術学科を選び、何となく教職を取ったことが、今役立っている。美術系ではない仕事に就きつつ趣味で油絵を描いていたが、前任の益田梨花ますだ りかの目に留まったらしい。

 益田は一つ上の先輩で、在学中にはずいぶんと世話になっていた。コース制を取っていることで三年間クラス替えなく過ごすため、クラス内だけではなく上下の繋がりも強かった。益田は人当たりもよく朗らかながら芯がしっかりしていて、上下問わず人が集まるタイプだった。

「波瑠ちゃんはさ、人をよく観察しているから、案外先生向いてると思うよ」
 学校の臨時講師に誘われた時に、益田はそう言った。教職を取っただけで先生などなる気はなかった波瑠は、一度断っていたが、話だけでもとランチに誘われた。

 食後のコーヒーを飲んでいた時に切り出されて、波瑠は顔をしかめる。
「……よく観察してるって、褒めてる文脈ですか?」
「褒めてるよ。集団の中にいても周りに気を配ってるっていうか。一見取っ付きにくそうに見えて面倒見もいいし」
「そんなこと、初めて言われました」

 波瑠は学生時代から友達が多いほうではないと自覚している。大人数でわいわい盛り上がるノリは苦手で、できるだけ避けていた。とはいえ、美術系の人間というのは、いわゆる『陽キャ』『パリピ』などという人種は少ない。高校時代はその点、ずいぶん友人関係が楽だった。

「合同授業とかあったじゃない? 作品の紹介パネル作ったり発表したり。リーダーじゃなかったけれど、最後には場を上手くまとめてて、後輩の子もすごく懐いていたの覚えてるよ」
「そんなこともありましたね」
「後任を探そうと思ったときに考えたんだけど、もちろん教職を持っているとか、実績があるかも大事だけれど、人をよく見られるかが大切だよなって思って。波瑠ちゃんが浮かんだんだよね」
 そう言うと益田はにっこり笑った。
「先生、やってみない?」

 結局、言いくるめられてしまった形ではあったが、やってみたら教職にそれほど違和感がなかった。
 しかし、《掲示板係》まで引き継ぐことになったのは、完全にしてやられた。こういう風に抜け目なく人を誘導しつつ、でも憎めないのが益田らしい。

 ――それにしても、《アカシアの雨》とは。
 波瑠の在学中の十年前、《アカシアの雨》は、恋愛成就のおまじないに使う言葉だった。

 内容はこの学校特有の七不思議みたいなものだ。
 相手に関係する写真に《アカシアの雨》と書き、掲示板に貼る。

 波瑠自身は全く興味がなかったが、クラスの男子宛のおまじないが貼られているのを見たことがある。写真は彼が描いたデッサンで、後輩の女の子が行ったおまじないだった。たしか、結局付き合ったのだったか。
 どうして目立つように貼るようになったかは不明だが、いわゆるチェーンメールが流行った時代だったため、何かと混在したのかもしれない。大体が、わざわざ目立たせて貼るということは公開ラブレターのようなもので、恥ずかしさなどを考えたらいけないのだ。

 貼り方にもルールがあり、左右ある掲示板の恋愛に関するものは『必ず右側の掲示板に貼ること』。
 この学校のシンボルであるヤマユリとイチョウの花言葉は、ヤマユリが「飾らない愛」「純潔」、イチョウが「長寿」「鎮魂」。それにあやかって、右側に恋の成就を願ったおまじないを貼るようになったのだろう。左側だと恋の成就には似つかわしくない言葉だから。

 そんな学校特有の微笑ましいおまじないも、いつしか忘れ去られてしまった。前任者の益田は、担当していた数年で右側にそんな掲示がないことを、少し残念そうに話していたのだ。私たちの学生時代では、結構楽しそうだと思ったのに、と。

 波瑠は、掲示板に貼られた紙を思い出す。あのポスターは回収した後、教官室の鍵のかかる自席の引き出しにしまったが、ちゃんと調べてみなくては。すでにSNSに拡散しているというのも厄介だ。こちらも後で覗いてみよう。

 そう思考していたため、いつしか休憩時間になった生徒に、名前を呼ばれたのに気が付くのが遅れた。
「水城先生、聞いてます?」
「ごめんなさい。何?」
「だからー、ポスターどうなったんですか?」
 好奇心むき出しで、先ほど掲示板の前にいた多嶋が訊いてきた。

「私が回収して保管することになったよ。でも、もう学校SNSに投稿されているみたいだから、意味ないと思うけど」
 肩をすくめながら波瑠は答える。
「――そういえば、あのポスターを最初に投稿したアカウント、誰か知らない?」
 そう訊いてみると、多嶋は近くの子と顔を見合わせて首をかしげた。
「私は知らないです。アカウントは多分女子だと思うんですけど、早朝に投稿されていて、初めに気が付いたのは朝早く部活している子たちだったみたいで。私は、別クラスの友達から教えてもらって見たから」
「別クラスって?」
「陸上部の子と選択学科の現国が一緒で、よくやり取りしてて。私は普通に学校来る途中にLINEで教えてもらいました。その子も知らないアカウントみたいでしたけど……」

 波瑠は眉をひそめた。生徒たちの交友関係と情報のまわり方は、網の目のようでなかなかたどるのは難しいかもしれない。でも、思わぬところで繋がる可能性も捨てきれない。

「誰か、投稿した子がわかったら教えてほしいの。私が投稿者を探してるって広めてもいいから。あと、あのイチョウの木がどこのものか、わかる人がいたら教えてって伝えてくれる?」
 そう言うと、多嶋と周りの子たちは頷いた。これで、多少は《掲示板係》の波瑠に情報が集まりやすくなるだろう。副校長に任された手前、できる限り情報を集めておいたほうがいい。

――それにしても、あの《左側に貼られた紙》は、何を意味するのだろうか。

<第二話に続く>

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