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アカシアの雨 第四話「アカシア」

アカシア

 祐は「二、三日くれ」と言い、調査を引き受けてくれた。
 とりあえずはこれで連絡を待つ間に、波瑠は生徒の情報収集に徹することができる。
 授業をこなしながら、数日はそれとなく生徒たちを観察してみた。雰囲気としては好奇心に浮ついているという感じで、わかりやすい動揺は見られなかった。
 事件についてはすでにクラス担任から話はされている。近隣で傷害事件というだけでも衝撃的だが、どうやら生徒間でもすでに、掲示されたポスターのイチョウが宮下公園のものだったと噂になっていたようだった。多嶋やほかの生徒にも訊いてみたが、波瑠が確認した週末にはすでに、こういった特定が得意な生徒によって場所が判明し拡散されていた。
 ということはやはり、場所が特定されたとわかった上で、落合は襲われたとみて間違いないだろう。問題は、それほどその場所にこだわる理由と、《アカシアの雨》というメッセージをあえて付けた理由だ。

 美術教官室の自席で、ポスターを取り出して考えに耽っていると、誰かが入室してきた音がする。
 目を上げると、苑が棚の向こうから顔を出した。
「波瑠せんせ。入っていい?」
「もう入ってきてるでしょう。どうしたの?」
 そう言って腕時計を見てみると、もうすぐ十八時を回りそうな時間だった。外はもう夕闇だ。
「何か最近忙しそうだね。……ポスターのこと? それとも事件のこと?」
 苑はさらっとそう言って近寄ってくる。
 波瑠は不意打ちの質問にギョッとして、顔色が変わるのがわかった。
「やっぱり! そんな気がしてたんだー」
 そんな波瑠を見て、スカートをくるりと翻し嬉しそうに苑が笑った。背中までの黒髪が遅れて広がる。波瑠はそんな様子にこっそり天を仰いだ。

「ちょっと……どこまで噂になっているのよ。確かに私は掲示板係だからポスター掲示は調べているわ。でも、それだけよ」
 顔色を変えてしまったことにバツの悪さを感じ、咳払いをしながら答える。
 このくらいの年齢の少女特有の勘の鋭さは、全く馬鹿にならない。自分も覚えがあるからこそ、下手なことを言えば誤解を招きそうだ。
「わかってるって、別に誰かに言ったりしないから。で、それポスターだよね?」
 そう言って、波瑠の手元にあるポスターを奪い取る。
「ちょっと!」
 慌てて取り返そうとする波瑠をするりと躱して、手の届かない距離を取った苑は、ポスターをまじまじと見た。

「上倉さん、もう下校時刻でしょう! 許可なく校内に残っているのは禁止!」
 さすがに教員らしさを見せないとまずいと厳しい声を出したが、全く意に介していない。
 苑は美術コースではない。特進コースの生徒だったが、選択授業で美術を取っている数少ない女子だ。しかし、なぜか初めから波瑠にはため口を利き、注意しても直らないので最近ではあきらめている。
「これ、宮下公園のイチョウの木だけど、何で《アカシアの雨》なんだろうね?」
 そう首をかしげてこちらを見た。

「アカシアって何?」
「アカシアは、日本では別名ミモザと呼ばれていて、黄色いポンポン状の小さな花を枝いっぱいに付ける木」
 波瑠も昔、学生時代にアカシアについて調べたことがあった。日本でアカシアというと、本来のミモザと混同しているらしい。しかし波瑠も細かい違いまではよくわからない。
「へえー、じゃあ黄色いのはいっしょなんだ。でもそれだけじゃあ、弱いよねえ」
 と、スマートフォンを取り出し、『アカシア』を検索し始めた。その隙に手元のポスターは取り戻しておく。
「――『アカシアの雨がやむとき』って、歌があるの?」
「けっこう昔の恋愛の曲ね。私でもよく知らない」
――そういえば、昔のおまじないの由来で、《アカシアの雨》のフレーズは、そこから取ったともいわれていたことを思い出した。たしか、悲恋の歌だった気がする。

「アカシアの花言葉、『秘密の恋』『ひそやかな恋』だって。――ということは、この言葉は誰かが誰かに、『秘密の恋』をしていたってことだよね?」
 苑は思いついたようにそう言って、波瑠を見た。
 波瑠は一瞬何を言われたかわからず、ポスターから視線を上げて苑を見る。苑がじっと波瑠を見ていた視線と、音を立ててぶつかったような衝撃があった。
 『秘密の恋』?
 誰が、誰に?
――視線が絡んだ苑は、ふいに破顔した。
「じゃあ、帰るね」
 唐突にそう言うと、ひらりとまた身を翻してドアに向かう。教官室の出入口前に置いたカバンとコートを持つと、波瑠を振り返って手を振った。
「あまり根詰めすぎたらダメだよー」
 と、声とともに階段を下りて行く足音が次第に遠のいていく。波瑠はその様子を無言で見送った。

 きっちり二日で、祐は落合弘幸について調べてくれた。丁寧にも報告書形式にし、メールに添付して送ってくれたそれを読むと、波瑠はため息をついた。重い腰を上げて上着を引っかけ、自宅のベランダに出る。――無性に煙草が吸いたい気分だった。
 十一月の夜空は、冷たい空気をまとって澄んでいる。冴え冴えとした月明かりと、瞬く星が美しい。
 空を見上げながら、煙草に火を点けゆっくりと煙を吐き出す。
 波瑠は日常的に煙草は吸わなくなったが、祐に拾われた頃はヘビースモーカーだった。今でもこうして、たまに吸いたい気分になるため自宅には煙草が置いてある。
 メールには、メッセージがあった。
『管理人も楽じゃないな』
「管理人も楽じゃないね……」
 波瑠はそうつぶやくと、消えていく煙を目で追いながら、寒さが耐えられなくなるまでベランダで佇んで夜空を見ていた。

<第五話へ続く>

#創作大賞2024 #ミステリー小説部門


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