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わらべうた研修に参加して&東田直樹さんの著作と『共生』について

先日6/15は、黒川淑恵先生のわらべうた・コーラス研修会(主催:全国わらべうたの会)に参加してきました。

感想と、今回の学びから起因して、『共生』への思いで再確認したことを書きます。
後半は主に、著:東田直樹『跳びはねる思考』イースト・プレスについて。愛と希望を語っています。




6/15 わらべうた・コーラス研修会の感想


練習する時間ではなく、認識していく時間!
自分の頭で考えるための〝知〟の材料、私たち自身が思考するための言葉を、丁寧に伝えてくださる先生だと感じました。

わらべうたは子どものもの、そう考えると、どういう遊びになる? と、先生が柔らかくのみこみやすい言葉で(それでいてズバリと)投げかけてくださるので、悩みや困難が気づきへと変わっていく……。


子どものもの、子どもそのもの…

なかでも印象的だったのは、以下の言葉です。

ⅰ わらべうたは子どものものだ
ⅱ そして、わらべうたとは〝子ども〟そのものだ

いずれも、「そういう考え方をしてみたらどうかな?」という優しい投げかけなのですが、

なんと核心に切り込む言葉か……! とワクワクしながら聞きました。😭✨

確かに、この二点を基軸にして考えていくと、大人がつまずきやすい箇所とその理由が、ひとつずつ可視化されてくるように思います。


(ⅰ)


例えば、『ひとつの歌にバリエーションを求めること(大人の創作をアレンジとして加えること)』は、なぜ推奨されないか?
それは、ⅰ「わらべうたは子どものものだ」に照らしあわせてみることで、順序立てが見えてきます。

元来、子ども発信の遊びうたであるわらべうたは、大人の作った遊びうたとは、成り立ちが違う。

ある種の「大人の都合」と切り離されたままの状態が保たれ、健やかな育ちとは何か、先人たちの(過去の子どもたちの)知恵を、長らく伝えてきている。

が、前提を理解しないまま、ただ「子どもの注意をひける」から生活進行にやくだつと考えたり(大人の思惑的な使用)、成り立ちを忘れて改変していくことは、どうか。

伝承を壊す恐れがあるのももちろんとして、元のわらべうたの精神と相反するのではないか? 

💡!!


この考え方の順序だてによって、もやもやが明確になった方も多いのではないでしょうか。分かっているはず、でも、ああして多くの人を前に伝わる言葉で伝えること(実践的な遊びと歌をしながらメッセージを添えること)は、なかなか簡単にできることではない……。先生を尊敬します。


また、「本当に熱中して遊んでいるときの歌声は美しい」と、仰っていたこと、確かに……!と思いました。
(いや、私が理解できているか、なかなか自信はありませんが💦)

真剣な熱をつくりだせる遊びとは、必ず、誠の子どもらしさと子どもの主体がある、という気づきですよね。

遊びの難易度と返ってくる喜びが完全につりあったとき、力みや不自然さが削ぎ落とされていき(〝フロー体験〟状態に入るということか?)、それでおのずと歌が美しくなる……。

私も、その美しさを目指すこと、を、ひとつの指針として活動したいです!
そこがさらに、大人がわらべうたの精神を尊ぶことに繋がっているといいのかもしれない?🤔 そう思いました。


ひとつの歌にバリエーションをつける(よかれと思ってアレンジを加える)ことの裏に、子どものものを、大人のものとして奪う……ような働きがないか、注意深く見ることも大事と思います。

「よかれと思って」に、大人の無自覚な欲を潜ませないよう、自分も気をつけなければ、と。
日々、姿勢を正すために、必要な緊張感をいただいた思いです……!



(ⅱ)

そして、 ⅱ「わらべうたとは〝子ども〟そのものだ」

子どもは意味を求めて遊んではいませんし、「なぜ遊ぶことが大切なのか?」大人たちにもその正解は分かりません。(遊びを科学しようと、必死で研究してる大人はたくさんいますけどね!)

わらべうたは子どもそのものだ、という言葉には、存外に多くの概念が詰め込まれていると思います。


──人になぜ子ども時代があるのか? なぜ、完璧な状態では生まれてこず、集団のなかで獲得していくという性(サガ)を人間はもっているのか?

これは、私もずっと興味深く考えてきたことです。


わらべうた、とは、どんな歌でしょうか?

……無垢で、素朴であり、目に見える自然環境すべてへ呼びかけようとする歌。

……一見してナンセンスな言葉の羅列であっても、夢中で何度でもくりかえす歌。

……方言、地域の色、母語というものをまるまる飲みこんでいる、まるで大きな生命であるかのような歌。


わらべうたには、人を求め、人の中で楽しみながら育とうとする──幼年時代の全てが詰まっていますよね。

集団のなかで『自己の肯定』を確立するよう、〝しかけ〟が元からあって、昔からずっと守られてきた。



つまりは、子どもの人間としての芽生えの全てが、わらべうたのなかに元から構造として組み込まれている、ということではないでしょうか?


我々は、現代社会用にアップデートした子育てをしていくために、知識の体系化を常にしていく必要はありますが、

時に立ち止まり、違和感をもち、「わらべうたってこれでいいのか?!」悩むことをおそれてはいけないと思います。いつでも原点回帰して考えることができる、それはひとつ必須の能力かもしれません。


わらべうたは子どもそのものである。し、これからも、そうであってほしい。

これは、我々がどこに帰るべきか、精神の〝帰るべき家〟を示すような言葉にもなっている気がします。つくづく深いですね……!






また、今回、私がすごく感激したところには、

「集団のなかで楽しみながら育つという権利は、全ての子にある」

という言葉……。先生のなかに、〝子どもの権利を守ろう〟という強い思いを、感じられたところにあります。


そうなんですよね!! 😭✨

例え言葉やルーツが違っても、能力にアンバランスさがあったとしても、遊び環境になんらかの調整が必要であったとしても……。どんな子どもにも、遊ぶ権利がある。

ひとり遊びも、集団遊びも。さまざまな体験をして、いろんな人の姿を知って。
遊びから自分の自分らしい生き方を獲得していく権利が、誰にだってある。

そこは大事な人権のひとつなんだ! と、再確認することができました。






東田直樹さんのこと



今回の講習内容をふりかえりながら、自分の思うところを少し書きたいのですが……。


私が愛してやまない作家のひとりに、東田直樹さんがいます。

1992年生まれ。重度の自閉症でありながら、パソコンおよび文字盤ポインティングによりコミュニケーションが可能。著書『自閉症の僕が跳びはねる理由』が現在30か国以上で翻訳され、世界的ベストセラーに。


私がいちばん好きな著作は、『跳びはねる思考・会話のできない自閉症の僕が考えていること』イースト・プレス、です。


 ──僕は、二十二歳の自閉症者です。人と会話することができません。
 僕の口から出る言葉は、奇声や雄叫び、意味のないひとりごとです。
 普段しているこだわり行動や跳びはねる姿からは、僕がこんな文章を書くとは、誰にも想像できないでしょう。──(本文より)

会話ができないもどかしさ、意に沿わない行動をする身体を抱え、だからこそ、一語一語を大切に発してきた重度自閉症の作家・東田直樹。
小学生の頃から絵本やエッセイなど、多くの作品を執筆してきた彼が「ひとりの22歳の人間」として書いた、鋭く、清冽な、驚異のエッセイ。

『跳びはねる思考』出版元イースト・プレスによる本紹介


インターネットサイト「cakes」でのエッセイ連載が書籍化。22歳の鋭い視点で、日常を描いています。

4つのインタビュー ①「壊れたロボット」のような体と向き合いながら。②音楽が、僕に言葉を運んでくれる。③自分が望むように、学びたかった。④海外で初めての講演を終えて。も収録。

東田直樹・公式情報サイト 本紹介より


『共生』というテーマ


私が、折に触れてよく思い出すのは、東田さんがインタビュー『③自分が望むように、学びたかった。』の中で、自身の小学校生活のことを語ったところです。
以下、引用します。


 東田さんは小学校入学時から普通学級に在籍していましたが、小学六年生の時に養護学校(現:特別支援学校)へ転向。中学三年生までの四年間は、養護学校に通われました。
 その後、普通高校への進学を希望された東田さんは、通信制のアットマーク国際高等学校に進学。三年後の二〇一一年の春、卒業されました。

『跳びはねる思考』p124より


──高校生活で、特に印象的だったことはありますか。

東田 高校一年生の時に行った、石川県でのスクーリングです。小学六年生と中学の三年間は養護学校に通っていたので、障害のない同級生に接することが久しぶりでした。僕には、普通のみんながすごく大人びて見えて、自分だけ時が止まったような四年間を過ごしていたことにショックを受けました。僕はパニックになったり逃げ出したりしましたが、同じクラスの同級生たちが自然体で受け入れてくれたので、僕ももう一度この社会で居場所を探すことを決心しました。おわり。

『跳びはねる思考』p126より



──どうして、六年生の時に養護学校に転校されたのでしょうか。

東田 確かに普通クラスではさまざまなことを体験することができ、僕にとって充実した日々だったと思います。けれども、学年が上がるにつれて、みんなとの差は努力だけでは埋まらないことに気づきました。僕にはみんながまぶし過ぎたのです。それで逃げるように、養護学校に転校しました。
 クラスの友達は急な転校に驚いていました。みんなが引き止めてくれた時は嬉しかったです。「共生」ということを考える時、僕はこの小学校時代を思い出します。おわり。

『跳びはねる思考』p129より


(東田さんの言葉をなるべく削りたくなかったので、選別しつつも長めに、インタビューの一部を引用させていただきました。)

(「おわり。」と最後につくのは、東田さんはコミュニケーションに文字盤を用いる際、ひと区切りがつくところで必ず「おわり」を入力するからです。)



なんとまっすぐで濁りのない言葉選びでしょうか!
本っっ当に、私は、東田さんの文章が大好きです。


──苦しかった、嬉しかった、そのどちらともが本当の気持ちであるということ。

そして、あの時代が始まりだったのだと、時を経ても思い出す、ということ。

感情が入り乱れていた当時を、ありのまま表現する言葉と、

成長した自分がいて、今だからこそ振り返られる、あの時から「共生」の可能性はずっと繋がっていたのだという気づき。

もう、泣けます。( ;  ; )
私も長らく病んだり居場所を探したりしてきたので、おこがましいことですが、とても共感してしまう……。


人といっしょに育ったということ。
人のなかで育ったということ。

その実感が力になってくれるから、やがて「自分で選んだ道を行こう」という決心ができる。

好きな場所で生きていけるようになるのは、人としての基盤を、足元の地域コミュニティとの関わりでしっかりと築いたからこそ……なんですよね。


遊びがつくる、共生の可能性について


──現在、子どもと関わる分野で「わらべうた」が注目されている理由のひとつに、『共生』という大きなテーマがあると思います。

社会性の動物である人間には、人との関わりのなかから、潜在していた能力(ヒト本来のもつ生きる力)が引き出されていく面があります。

他者とどういう関わりをもったかが、自分で自分を確立しているという感覚(いわゆる自己肯定感)を持てるかどうかに深く影響します。


わらべうたにはさまざまな可能性がある、と、私も最近さまざまなエピソードを見聞きして感じました。

例えば、体に触れられることが苦手なお子さんでも、大人が人形を「よしよし」と撫でたり、歌いながら揺らしたりすると、
人形を見ながら、まるで自分自身も撫でて揺らされているかのように、歌と動きを味わえる……。
人形を介してのわらべうたでも、ふれあいの心地よさと優しい歌声を楽しむことはできる、といいます。


また、門くぐり遊びでは、門の交代ができないお子さんも〝門をくぐること〟さえ楽しめれば、そして他の子どもも十分満足できるのであれば、わらべうた遊びとして成立します。


それから学童のグループともなると、子ども同士の関係にもよりますが、自分たちで話し合って上手にルール調整をしたり、新たな遊び方を考えだします。


例えば、鬼ごっこで鬼になることができない子に「いっしょに鬼やろうか!」と歩みでてくれる子がいたり。
大繩跳びであれば、縄の回し方や速度を変えるなど、何か良い方法を編みだしたり……。

その際、子ども側の意識も、我慢や譲歩といったものではなく、「どうしたら皆が楽しいかなぁ?」を真剣に追及する心持ちです。(大人が決めるのでなく、子どもたちで話し合って決められるようであれば、そうなるはずと思います。)



こうして考えてみると、ますます明確に見えてきます。
わらべうたの良いところは、〝子どものもの〟であるところ。本当にそうですね。

そこにはもちろん、大人が示す態度や、大人が模倣をうながしたり励ましたりする声かけも必要ですが……。
結果、子どもの心についた自信はすべて子ども自身のもの、〝自分自身でつかみとったもの〟という認識になっていて然るべきです。

「私ってすごい!」と思える体験へと、周りが導いてあげられる。
(そして、導いてもらったことに、本人は気づいていなくていい。)

だからこそ、たっぷりと遊びこむ経験が必要でしょう。

遊びのなかでは、生じる感情の喜怒哀楽の全てが真実であるが、何度でもやり直しがききます。
それが自分の人間としての器を形成していく。遊びの意義をまたも深く感じました。


なんだか嬉しい! 胸のなかがきらきらしてきました。✨
遊びに希望をもつ感覚を、あらためて言語化できる機会になり、とても幸せに思います。

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