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第28回 社会福祉職が専門家といえるための条件 -看護職との比較にみる課題-


1.思慮すべき医療関係者の立場
 コロナ禍において、医療関係者の献身さと仕事への責任感が感じられたことは、未曾有の災害の中にあって唯一光明が見えた点であるといえよう。連日、相当数の民間医療機関が非協力的であるとの報道がなされているが、「やりたくてもできない」事情が生じることも理解すべきである。大震災が起こった時、率先してボランティアに向かった人もいるが、ほとんどの人はそうした気持ちがあっても、仕事や家族のために家で推移を見守るしかなかった。民間人である医療関係者にボランティア以上の職業的使命感を期待するのであれば、相応の条件とビジョンを示すべきであるが、一貫性のない国及び地方自治体の対応を見ていると、関わるほど不利益な結果がもたらされることは明らかである。被災地への災害派遣などとは異なり、家族や従業員も巻き込んでしまうかもしれない状況に飛び込むよう求めることは、いかに人命を守るという使命感に期待したい気持ちがあるとしても無理な注文である。

2.社会福祉職の専門性への無関心
 逆に言えば、そうした状況であるにもかかわらず、懸命に努力しておられる医療関係者の方がおられることは、本当に素晴らしいことであると思う。報道を見る限り、医療関係者の献身的な努力は世界中で続いているようであり、そうした職業を選択した人には、国籍や人種に関係なく共通した認識があるのではないかと思うと少し心が温かくなる。もちろん、仕事なのだから当たり前だとの意見もあるかもしれないが、いつ終息するか分からない中で努力し続けることは、心身両面に想像を超える苦痛を与えるものだと思う。かつて、一緒に仕事をした医学部教授は、1週間くらい家に帰らないことは普通にあったと言っておられたが、知能のみならず、気力・体力もすごい方がおられるものだと感心したことを思い出す。
 今回は、医師は別格として、職業における専門資格というものがいかなる意味を持つのかについて、特に社会福祉職について考えてみる。長年にわたって、社会福祉事業の経営者や従事者とお付き合いをしてきたが、医療従事者と比較すると、専門資格に対する認識は高くない。社会福祉事業の経営者は、一定の社会福祉職に就くには資格が必要とされているため、それを取得するよう求めるか、もしくは資格取得者を採用するという意味において意識を持つものの、当該資格がいかなる意味を持ち、またどのように発展・成長させるべきものかといったことに関心を向けることはほとんどない。

3.浸透しつつある社会福祉職
 日本ほど、職業に関連する多様な資格制度がある国はほかにないものと思われる。厚労省が発表している「賃金構造基本統計調査」には医師や弁護士など132職種の職業や資格が列挙されているが、医療や福祉の分野においても資格を要する専門職が増加してきた。職業に関連する国家資格は、業務独占、名称独占、設置義務資格、及び技能検定の4種類であるが、医療関係職種についていえば、その多くが業務独占と名称独占の両方の性格を有する(看護師、准看護師、助産師は業務独占のみ)ものとされており、職業資格としてはかなり厳格なものとなっている。一方、社会福祉関係職についてみると、社会福祉士、介護福祉士、保育士など、ほぼすべてが名称独占資格であり、当該資格を有していない場合にはその名称を用いてはならないとされるものの、業務自体に従事することを禁止されているわけではない。もっとも、近年、施設設置・運営の人材要件に係る指導が厳格化され、福祉関係職においても有資格者でなければ業務に従事し得ない状況が作られつつあり、事実上業務独占に近づきつつある。社会福祉関連の資格に係る認知が進んできたことと、外国人を含め多様な人材を集める前提として、質の標準化が必要になったことが背景にあるものと思われる。介護保険制度が創設され、介護福祉士という専門職ができた時期、要介護者への介護は家族の方がうまくできるのではないかといった揶揄もあったが、時間経過とともに、当該職業の意義に係る認識は徐々に浸透してきているものと感じられる。

4.看護師と介護福祉士とのイメージの差
 もっとも、医療従事者との比較において、社会福祉従事者の資格に係る信頼度は必ずしも高いとは言えない。例えば、介護福祉士について看護師と比較してみると、以下のような理由から職種のイメージに差を生じさせているように思われる。第1に、資格取得の難しさである。看護師資格を取得するためには、3年以上の養成所もしくは大学を卒業し、国家試験に合格しなければならないが、介護福祉士の資格は、福祉系の高校や養成校の卒業、もしくは一定の実務経験において受験資格を得られ、国家試験自体も比較的簡単な筆記試験等によるものとされている。第2に、仕事自体の難易度である。看護師の場合、一定の医療行為を行うという任務の性質上、人体の機能等に関する知識を求められるが、介護福祉士には、整形外科や呼吸に係る基礎的な知識は必要とされるものの、技術を学ぶだけであり原理を知ることまでは求められない。第3に、仕事の目標の違いである。看護師は、一般的には患者を治療し、回復させるという目標を持つが、介護福祉士の場合は、日常生活の支援を目的とすることが多く、QOLを向上させるという目標はあるものの、その達成度を見極めることは客観的な指標もないことから難しいこととなりやすい。

5.アイデンティティを模索し続けてきた看護師
 もちろん、歴史も違うし、組織の広がりも異なることから、医療従事者と福祉従事者を比較することに意味があるとは思わない。しかし、例えば看護師についていえば、その歴史の中で自らのアイデンティティを確立するために、様々な葛藤と苦悩を経験したことが知られており、必ずしも当初より尊重される職業であったとはいえず、社会福祉職が模範とすべき点があるとの思いがある。例えば、30年程前のことであるが、北海道の脳外科病院にお勤めであった著名な看護師の話が忘れられない。とかく医師の補助に過ぎないと考えられていた看護師の立場に対して、看護によって人は蘇生するとの意思の元、自動車事故等で脳に損傷を受けた多くの患者について、4名ないし5名ほどの看護師で入浴補助をするなどの機能回復及び蘇生術を施したところ、医師を驚かすほどの回復を実現させたというのである。この話はNHKでも報道されたことがあるとのことであるが、類似する看護師の逸話については、看護協会での講演の際や友人である神戸大学病院の看護婦長であった方などからも聞いたことがある。

6.介護福祉士に求められる専門性は高い
 介護福祉士を含め、社会福祉の専門資格が社会の中でどのような役割を期待されるかは、おそらくこれからの歴史に委ねられるものであろう。しかし、現状で見る限りにおいて、医療従事者に匹敵するような資格への信頼が得られるかは疑問である。その理由は、上記イメージのような資格取得が相対的に容易であることや仕事に要する知識や技能が低いという点にあるわけではない。社会福祉専門職の中にも、社会福祉士や精神保健福祉士など、試験の難しさだけをみれば、看護師資格と遜色のないものがあり、また、そもそも試験が難しければステイタスが高いと考えるのは昭和的な発想である。試験の難易度は、社会の需要と供給によって決まるものであり、大学の現状を見れば一目瞭然である。さらに、仕事の困難さについても、介護の仕事が一般の看護師が担っている仕事との比較において容易であるというのは、大きな誤解である。かつて7年間にわたって、神戸市内のいくつかの地域で介護職の仕事について現場の従事者による研究発表会をコーディネイトするという経験をしたが、介護職の人たちが緻密に要介護者を観察し、適時に対応するとともに、家族関係などにも配慮しておられることに驚いた。専門性という点に注目する限り、介護職には、要介護者の心身機能のみならず、QOLや家族との関係性など、多角的な能力が要求されるものであり、決して看護師に求められる要求に劣るものではない。

7.目標を設定しにくい社会福祉職
 唯一違う点があるとすれば、介護職は目標が定めにくいという点であろう。治療して社会復帰を目指すという看護の目標は、分かりやすく、また希望に繋がりやすい。おおむね入所者の要介護度が3以上となっている特別養護老人ホームにおいて、心身機能の回復を目指すとの目標は、理解を得られにくいものと思われる。もっとも、よく考えてみると、看護においてもターミナルケアといった重要な仕事があるように、常に回復ばかりが目標となっているわけではなく、高齢者介護においても、自宅では心身機能が著しく低下していた方が、施設入所後、目に見えて心身機能が回復するということは多い。つまり、専門職の仕事の目標とは多分にイメージに引きずられるものであり、現実には状況に応じて様々な目標を持って仕事をするものである。問題は、当該目標の定式化とそのための訓練がなされているか否かにあろう。看護師の場合には、当該資格を得た後も、さらに従事し得る業務を広げるための資格制度があるほか、最新情報を得るための学習機会も多い。一方、福祉職において、経営者が専門職のスキルアップに係る意識は低く、また、人員不足も相まって、専門性を高めるといった機会は少ない。

8.今、目指すべき社会福祉職のステイタスづくり
 仕事が楽しいと感じる瞬間とは、自分自身の成長を感じたときであると思われる。そこには、達成目標があり、そして達成したという実感を得る指標が必要となる。コロナ禍の影響により、社会福祉職の人員難は一時的に緩和されるかもしれないが、何もしないままでは、そうした状況も間もなく終焉する。看護職が脚光を浴びている現在、社会福祉職の環境に問題はないか、足元を見極めるチャンスであるように思われる。人員不足を埋めることに奔走するだけではなく、生涯の仕事にしたいと思えるステイタスづくりに目を向けるべきである。コロナ禍により亡くなる高齢者が多い今、生きている時間をどう過ごすべきなのか、多くの高齢者を看てきた専門家ならではの視点には、大きな意味があるように思われる。

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