第21回 労災保険請求における代理人の役割 -劣化する法曹への不安-

1.はじめに
 先日、知り合いからの紹介により、ご子息が自殺されたというご両親の話を聞くこととなった。ネットで知った過労死問題に詳しい弁護士の話を聞いたものの、他の専門家の話も聞きたいとのことであった。深い悲しみを乗り越えられない中で、労災申請をするか否かを迷っておられ、少しでも判断に資する情報を得たいということのようであった。この種の事件について、労災と認められるか否かに係る数多くの判断をしてきたものの、労災申請をすべきか否かについての相談を受けることは初めてであり、ご両親の苦悩を目の当たりにして、改めてかつての仕事の重みを感じた。
 近年、労災保険に係る各種請求事件においては、請求人が代理人を選任してこられることが多くなっている。代理人としては、弁護士や社会保険労務士といった専門家であることが多いが、労働組合や運動団体の方、親族といったケースも少なくない。今回は、労災保険の再審査請求事件を扱う中で感じた代理人の問題点について、感想めいた話をしたいと思う。

2.労働法に係る知識の希薄さ
 労災保険に係る請求事件において、代理人を付ける理由は、必要な証拠を収集するなどの方法によって事実を探求し、請求が認められるように導くことにあるといえよう。この点は、刑事及び民事事件と同じであり、弁護士であれば、当該事件の要件となる事実及び法の枠組みを理解して、論点を整理するとともに、請求が認められるべき論理を提示することは難しいものではなかろう。労災認定事件に限れば、ほぼ論点は因果関係の存否に限られており、その他の民事事件に比べると複雑な問題に直面することも多くはない。
 ところが、再審査請求事件の審理に出席する若い弁護士の中には、その資質を疑わしめるような主張や答弁書を提示してくる者が少なからずいた。労働法の位置づけは、司法試験においては選択科目に過ぎず、弁護士資格を得るために必須な知識でないことは了知しているものの、事件を引き受ける以上、基礎的な知識を身に付けておくべきことは言うまでもない。再審査請求での審理を法廷デビューするまでの練習と位置付けている場合があるのかもしれないが、請求人が同席している場における答弁には、聞くに堪えないケースもあった。特に気になるのは、労働時間の概念への不理解、労使間の契約関係の過度な重視、結論には影響しない手続きの瑕疵や会社側の過失の過度な強調など、労基法関連の知識のみならず、労働法の性格や労災請求に関連する要件事実などについての認識不足である。請求人がいる前で代理人に恥をかかせるようなことは控えていたものの、当該答弁がむしろ請求人に不利になることを述べているようなケースでは、思わず主張の趣旨を聞き返すこともあった。この点、社会保険労務士の場合は、抑えるべき論点や必要となる証拠への理解には欠ける場合はあるものの、労働法に係る知識についてはおおむね問題がないように感じられた。少なくとも、社会保険労務士の場合には、全く無意味なことを延々と論述、主張するがごときケースはなかったように記憶する。

3.代理人に不満を持つ理由
 労災事件は多様化しており、以前にも述べたように法の専門家であっても知識が欠けることは致し方ない。特に、給付基礎日額の算定に係る不服や障害等級の変更を求める請求などにおいては、法と医学に関わる細かな知識を必要とする場合があり、教科書等において労働法の学習をした程度では説得的な論述を行うことは難しいものであろう。
 もっとも、労災保険の請求は、請求主義ではなく、職権探知主義とされていることから、代理人が作成する答弁書や審理における主張が大きな意味を持つわけではない。したがって、請求理由書や答弁書、さらには審理の際の申述においての代理人弁護士等への私の不満は、審理の進行や事案の判断において困ったからというものではなく、法科大学院を含めた法学教育に携わってきた者として情けないという気持ちであるに過ぎない。

4.どこに問題があるのか
 おそらく、法科大学院以降の弁護士について、力不足を感じておられる有識者は多いものと思われる。問題が知識不足にあるのであれば、経験を積み重ねる中で習得し得るものであり、程度の差はあっても、いかなる時代にも共通した課題であったといえよう。しかし、私が感じた不安は、知識不足や答弁に係る不慣れといったものではなく、要点をまとめきれない、勝手なストーリーを作ろうとする、自分が知っている無関係な知識を披露しようとするなど、法律家の素養として容認できない問題を抱えていると感じた点にある。審理に際しては、希薄な知識しかないにもかかわらず、請求人を前にして何かを言わなければならず、また、怖い顔をした委員や参与を前にして緊張したといったことがあるのかもしれないが、請求理由書等においても、同じ内容の繰り返しや論拠のない主張を行うなど幼稚さが目立つことがあり、基本的な素養もしくは訓練に問題があると感じたのである。

5.司法試験の問題点
 法曹教育の在り方について意見を述べる立場にあるわけではなく、遠吠えに過ぎないことを前提に勝手なことを述べさせてもらえば、知識偏重と要件事実教育の負の側面が出ているように感じられる。現在の司法試験も、以前と同様、短答と論述から成るものの、論文試験についても採点の客観性を保つ目的で正解が用意されている点において大きく異なっている。司法試験受験生は、大学受験の時と同じように、正解を教えてくれる受験教科書に頼り、ひたすら正解を覚えようとする。法科大学院は、こうした知識偏重の弊害を是正する目的で設立されたものの、その多くが淘汰されていく中で、生き残りのためには合格率を上げるしかなく、もはやそのほとんどが受験予備校化している。論述式であっても、正解が用意される試験であれば必然的に設問はパターン化していく。事例を中心に設定された設問について、該当する法の要件を当てはめて正解にたどり着くことは、訓練というよりは知識に依存するところが大きくなり、論理的な思考や論述能力への評価は相対的に小さくなる。

6.労災請求時における主張の意味
 ある傷病または死亡が、業務上の事由であるといえるか否かという問題に限定して言えば、業務と事故、及び事故と傷病(死亡)との因果関係について、相当性があることを証明すれば足りるものであり、当該事故ないしは傷病の種類に適用される認定基準があれば、その当てはめをしていくだけの作業となり、要件事実教育で事足りるようにも見える。しかし、現実には、認定基準にそのまま適合するような事実関係にあるケースは稀であり、代理人として請求を認めさせるためには、証拠等で顕わになっている事実の背景を掘り起こし、当該事実とされていることについて、判断する側(監督官、審査委員等)に疑念を抱かせることが重要となる。その際、現実性を欠く空論や精神論を展開しても意味はなく、また、何らの根拠も示さず「原処分庁もしくは審査会で調べろ」といった主張をされても、対応することなどはできない。
 
7.おわりに
 審査会において、委員としてご一緒させていただいた著名な医学部教授の先生方に、高い成功率を誇る話題の外科医の話をしたところ、皆さん揃って「成功率が高いのは、難しい手術は他の医師にやらせているからだ」と話されていた。各専門分野において著名な弁護士は、手間をかけることなく勝てる申立てしかやらなくなり、一方、何でも引き受ける若年弁護士は、著しく能力が欠けるという状態になっているように思われてならない。
 冒頭で話した被災者のご両親は、労災請求を行うか否か検討すると言われたまま、今のところ連絡は来ていない。弁護士から請求が認められる可能性は低いと言われたことと、そもそもそのような行動を起こすことに何の意味があるのかについて確信できないとのことであった。私は、時間外労働時間が明らかになっているだけで月平均70時間程度あり、コロナ禍での対応の忙しさがあったことも考慮すれば、労災と認められる可能性は十分にあると感じたが、お勧めすることはしなかった。ご子息が亡くなった理由を知ることで何らかの慰めになるとは思われず、また、すでに少し気持ちが回復する傾向にあると感じられたご夫妻の状況から、すべてを忘れて残りの人生を歩まれる道を選ばれることの方が良いのではないかと感じたからである。代理人になるということは、極めて重い役割を担うことであることを、法の専門家は再認識すべきであろう。

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職場の実態を知り尽くした筆者による労務問題に携わる専門家向けのマガジンである。新法の解釈やトラブルの解決策など、実務に役立つ情報を提供するとともに、人材育成や危機管理についても斬新な提案を行っていく。

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