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自分の本心を守る何層ものバリア

私のSNSの垢の数は、普通の人より多いと思う。

私のアカウントは、Twitterが7個、noteが2つ、Instagramが1つである。合計10個のアカウント、ひとつとして意味無いアカウントはなく、私はそれら全てきちんと使い分けている。

「え、こんだけ?少ないじゃんw」と言ってくる人は置いといて。普通の人ならSNSだけで10個もアカウントは無いと思う。

普通の人の平均を考えるなら、せいぜいTwitterが1~2個、Instagramが1つの計2~3つだろう。内訳を考えるなら、Twitterがリアルな友達と繋がってる垢と趣味などが合う人と繋がってる垢の2つ。それとインスタが1つ。そんな感じだろう。たとえそれより増えるとしても、せいぜいTwitterアカウントが趣味の数によって1つ増える程度だ。

まあこれが(私の考える)普通の人の平均なのだが、世の中には私のようにやたらSNSアカウントが多い人がわりといる。もちろん、そのたくさんのSNS垢を丁寧に、器用に使い分けている人の数だ。捨て垢だけやたら持ってる人は数えてない。

私は、たくさんのSNSアカウントを使い分けている人は、人によって見せる自分を分けている人ではないかと考えている。

これを読んでる方は、人と話す時自分の発言にブレーキをかけたことは無いだろうか。「あ、これは言っちゃダメ!」「あ、これは他の人に話そう」「こう思ったけどここで言うのは私のキャラじゃないな」みたいな。

おそらくこの質問に「ない」「あまりない」と答えた人はSNSアカウントがそこまで多くない人だと思う。

SNSアカウントが多い人は「たくさんある!」と答えた人である。さらに「ブレーキをかけたのはいいけど、だれかに話したくて言いたくてどこかに吐き出したくてたまらない時がある」と付け加えてたなら完璧だ。

(ちなみに「たくさんあるけど、別にブレーキをかけた言葉はその後だれにも言うことはないし言いたいとも思わないよ。」という人はSNSアカウントが少ない部類である。)

私の例え話をしよう。

私は中学生の頃、いわゆるアニメオタクだった。小学校の友達にアニメを見ている人が多く、学校帰り道にはずっとアニメの話をしていた。そして中学校に入学したわたしは、小学校と同じノリで中学のクラスメイトにもアニメの話をしていた。だが小学校と中学校は違ったのである。クラスメイトにアニメに詳しい人が誰もいなかった。

次第に私はオタクと言われるようになり、クラスメイト(特に男子)がどんどん離れていくのを感じた。私が中学生だった時、まだ世間はオタクに人権がない時代だった。周りの人が離れていくのをみて、私は「あ、アニメの話は同じ趣味を持つ人じゃないとやっちゃいけないんだ。普通の趣味を持つ人には隠すべきなんだ。」と気づいた。

SNSアカウントを沢山持っている人はおそらくこういう経験を何度もしている人であると思う。または、こういうふうに「言っちゃいけないんだ」と察したことが何度かある人であると思う。

こういう人は自分というのをいくつか持っている。それか場所によって自分をわけられる人だ。

これはあくまで私の予想なのだが、割とSNSアカウントが多い人は、自分というの存在や自分の意見というのを、何層も何層もフィルターやバリアを張って生きている人が多いのではないかなと思う。

普通だったら、ひとつのアカウントで呟きたいことを全部呟けばいいのに、それをあえて、ひとつひとつ分けて呟くということはそれだけの自分を受け入れてもらえる自信が無いという行動の裏付けだ。

私はTwitterアカウントを7つ持っているが、それぞれ性格や呟く内容、どの程度踏み込んだ内容、どの程度リアルな情報を入れてもいいか分けている。それは自分という存在を守るために、否定されないために、またネットで特定されないために必要な作業だと私は思っている。

多分SNSアカウントを沢山持ってない人からすれば「えなにそれ気持ち悪!!そこまでしなくて良くない!?めんどくさくないの?」と聞かれると思うが、私からしたら特にめんどくさくはない。むしろその方が生きやすいのである。おそらくSNSアカウントを多く持っている人はみんなそうではないだろうか。


わたしは、1番中心の本心の私に近づくまでには何層も何層も何層も何層もバリアがある。初対面の私、少し話せるようになった私、表面の引かれない部分なら話しても問題ないと判断した私、引かれなさそうな趣味なら話していいと判断した私、などなど……。

友達と仲良くなる時は、私の心の中の、ひとつひとつのバリアの監視員が「この人なら大丈夫です!」と言わないと、私は自分のことを話せない。カラオケで誰と来るかによって、歌う曲を使い分ける人がいるがそれとも少し似ている。

私はそんな感じで自分という存在をおくの、おくのほうへしまい込んでるのだ。自分という存在を恥ずかしくないと全員に全て見せても問題ないと言いきれる人が羨ましいと思う。


椎名ゆず。

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