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人からもらった言葉なんて

人生変えられてたまるかよ

誰かの話を聞いただけで
簡単に変わってしまう人生なら、
すぐに見つかる自分らしさなら、
そんなもの要らないわ、と常々思っている。

私は幼い頃から、他人の思想や言葉に強い興味があった。たくさん本を読んで、たくさんテレビや映画を見て、たくさん演劇やミュージカルを見て育った。

多くの物語や人の言葉に出会ったつもりだけど
その人の言葉って、あくまでその人のためのものでしかなかった。
その人の実体験を通して得た経験や感情を、どんなに上手く紡いだって、やっぱりその人のものだから。

想像力だけでは補えないものがこの世にはたくさんあるね。
自分自身が当事者になって初めて理解できる、喜びも悲しみも、楽しみも苦しみもある。
実体験の向こう側には、どれだけ鍛え上げられた想像力でも連れて行ってはくれない。

想像力だけで分かった気になるのは嫌だし、分かった気になられるのも嫌だ。

自己啓発本は売れ続ける(私も読むの好き!)し
YouTubeやInstagramには多くのフォロワーを抱えるインフルエンサーたちは頻繁に己の経験を語る。
勝手に語ればいいと思う。

人には人の、価値観と乳酸菌。
影響力がある人や成功者あるいは自分の推しが、どれだけ名言詰め込み自伝を語っても、どれだけ美しい下剋上物語を語っても、それはそれを経験したその人にしか得られないものであることには変わらない。
丸ごと丸呑みコピーアンドペーストはできない。

私には私の人生があって、あんたにはあんたの人生があって、どうしたって私やあんたにしかできない経験も感情の揺れもある。
全部簡単に信じたって、羨望の先にある憧れの人間と同じ道は辿れないよ。
持って生まれたものも違う、環境も違う。
簡単に変わらないよあんたってやつも、人生も。
人には私を変えられない、人のことは変えることができない、変わるならまず自分から。

共感してほしいだけなのに

誰かに何かを言われた時、自分と同じ考えを持っている人を、優先的に受け入れてしまいがち。
「やっぱり私の考え方って正解だよね!」と安堵する。
「さすがあんたは分かってるねぇ!」と信頼する。
誰かに何かを相談する時、解決策を求めているというよりは「ただ共感してほしいだけ」「あなたは間違ってないよと言って欲しいだけ」のこともしばしばある、てか十中八九そう、あるある。
いつも答えは己の中にある、あるある。

PS 私は誰かに何かを相談された時「それは解決策を求めていますか?それとも共感を求めていますか?」と最初に聞きがち。ロマンスなさすぎ。デリカシーもなさすぎ。

つまりは、他人の一言に人生を突き動かされたり、ハッとさせられる時って、その片鱗はいつも自分が持っているものだということだよ。
自分の体験を通して「こうじゃないか」みたいな仮説がふんわりとあって、それをうまく言語化してくれる人の言葉に出会うと「それだ!!!」と思うし、自分の好きな人や憧れの人が自分と似たような思想を発信すると「共感できる...」と嬉しくなる。
最初からあなたは分かっている!私は分かっている!

お笑いにおいても結局共感が命

ちょっと話をズラしてブレイクタイム🫖
私お笑いを見るのが好きなんですけれども、所謂「あるあるネタ」っていつもウケる。
「年代別の懐かしいワード」や「職業病」「地方ネタ」みたいにそれが比較的少数にしか理解できないものであればあるほど、ど真ん中にブッ刺さって笑いが止まらない。

漫才の中に時事ネタやスキャンダルネタが放り込まれた時にちょっと嬉しくなっちゃうのも、「分かる」「知ってる」からだと思う。
自分が何に笑うのかを冷静に分析した結果、やっぱりキーワードは「共感」だったわ!

なんだろうね、あの、他人に対して自分が共感できることや、自分が他人から共感されることの快楽は。麻薬かな。

答えはいつも己の中に

私の経験は私にしかできない宝物で、その中にちゃんと自分なりの思想や答えを見出すことができる。

誰かに共感したり、誰かに共感されることで得る安心感は、きっと自信につながる。
自分のことを信じることができれば、他人のことも信じることができる。
自分のことを信じることができれば、自分のことを愛せる。

人の数だけ答えがあるのに、昨今では
SNSの発達でいろんな人の人生を覗き見して
何から真似ればいいのか、
自分は何者なのか、どこに向かっていくのか、
分からなくなる、見つからなくなる。

全部の言葉を受け入れようとしなくていい、
全部を知ろうとしなくていい、聞かなくていい。
己の中に眠る答えに、気付くタイミングが
死ぬまでのどこかしらで来ると思う。
「そんなの私の中にはないよ!」って言い分は聞きません、あんたの中にもあります。

これを読む人が何歳なのかは知らないけれど、少なくとも私の言葉を届けられるということは、今日もどうにか生きて、インターネットが使える環境にいて、誰かの言葉を読むエネルギーがあるということ。すごいこと。
その歳まで生きて、楽しいことも苦しいことも乗り越えたかもしれないし(えらい)、楽しいことしかなかったかもしれないし(そう思えるのは天才)、苦しいことしかなかったかもしれない(今日まで生き抜いたの天才)。
ということはそういった経験を通して得た、自分なりの幸せの形や、辿り着きたい未来や、さまざまな問題や悩みに対する答えが存在しているよ。コレって自動生成されるものだから!

無いことと気付いていないことは
イコールでは結べませーん🙅‍♀️

人からもらった言葉なんて、所詮その人のものだけど、
あなたに向けられた愛はあなたが与えた愛だし、あなたに向けられた言葉はあなたが与えた言葉なのだと思う。

人からもらった言葉なんて、所詮その人のものだけど、
嬉しくなったりハッとさせられたりするのなら
それは元々あなたの胸の奥底に蠢いていたあなた自身の気付きや発見が芽を出したのだと思う。

人からもらった言葉を鵜呑みにして、自分の人生変えてたまるか。
誰かに人生変えてもらおうと縋りついていると、その誰かがどうにかなった時、一緒にどうにかなっちまいます。

自分以外の人間は、みーんな他人だから。
人って変わるから。
変われるし、変わってしまうから。

変わらないもので、変えたいね、
世界を。自分を。

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