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【恐い話】宙弧、あるいは狐松明

凡そ菌糸やリンによる発光、または天然石油からの発火、ボールライトニング現象で説明が付くとされる狐火という現象ですが、果たしてこれを目の当たりにしたことのある人はどのくらいおられますか。

山に連なる長蛇の青白い怪火。

種々の文献で斯様に表現されること数多き妖怪現象を、単に化学反応の結果と締め結ぶのはあまりにも情緒がありませんね。

現に私は、狐火を体験したことがございます。




あれはもう二十数年前になります、大学二回生の時分でした。

当時、冬の海辺に流木を寄せ集め、焚き火に芋を焚べて食べるのを好んでいました。
その日も佐久間さんと焚き火をするのに、夜更けに集まる約束をしておりました。

二十歳を超えたかどうかの私が大人の象徴と盲信していたのはラッキーストライクのソフトです。当時は320円だったでしょうか、素寒貧の貧乏学生で飯を買うより優先することもしばしばでしたが。

佐久間さんを大学の寮へと迎えに行く前に、ケースから煙草を一本取り出して、口に咥えました。

そして百円ライターで火を着けるのです。

ジジッ、シュボッ。

回転ヤスリとフリントが擦れ合って起こる火花に向かって、液状になるほど圧縮されたガスが、蛍光ピンクの細長い身体から圧力の逃げ場を求めて噴出されます。

そうして生まれた涙滴型の小さい火の玉は、頼りなく何度か瞬いて、口先の煙草に赤い脈動を与えてくれました。

ころんっ。

ライターから親指を離した途端に、私は床に何かを溢したような感覚を得ました。まるでシャツのボタンが取れたように、こぶりな固形物が自由落下したような。

床に落ちていたのは、火でした。
先程までライターの着火口に浮かんでいたもの。
摘み上げても熱くなく、果たしてレジンのように、琥珀のように、蠱惑的に折り重なる赤と橙と透明のグラデーションを封じ込めて、火の玉が固形になり転がっていました。

子どもの頃、水が凍るのなら火も凍るのではないかと夢想した方はおられませんか。

紫煙を燻らす今となっては、火は現象もしくは反応の結果であり、凍らないのは自明の理ではあるものの、そんな子どもの好奇心が具現化されたように思いましたね。

これは是非とも佐久間さんに見せようと、その火の塊をデニムのポケットに押し込み、スズキのMRワゴンに乗り込み出発しました。海月が澱み溜まって月光を吸い尽くしてしまう時間も近付いていたので。



佐久間さんを拾い、プライベートビーチと呼んでいる地元民も寄り付かないような汚い汚い浜辺に到着しました。

駐車して助手席の佐久間さんに、そういえばさっき煙草を吸っていたらころんと固まって落ちたんです、と火の塊を手渡しました。

すると、私はどれだけ触っても熱くなかった火の塊は、佐久間さんの手に触れるや否や、轟々とした火柱となって彼の身体を赤と橙の光で覆ってしまいました。

ああ、ああ、とのたうち回る佐久間さんを見て私は、彼の安否よりもこの大きな火が彼を覆ったまま固まってしまう事が厄介だと思い、まずは私というパラメータを取り除こうと運転席から脱出を図りました。

その刹那でした。

外に出るために目を離した幾瞬かのうちに、佐久間さんは火を纏ったままいなくなっておられました。

私が目にしたのは青白い炎が少しだけ渦巻いて燐と消えていくところ。

助手席には焦げ跡も匂いも火の塊も一切が残っておらず、残ったのは青白い炎を直視してしまった私の網膜に映る残像のみ。

やれやれ消えたのなら仕方がないと、早々に帰路へ着き煙草を吸って床に就きましたが、はて青白い残像は目を瞑ってもしっかりくっきりと残っておりました。

明くる日の朝にも残像はくっきりとしていました。目を閉じればそれは明滅していました。それどころか大きくなっているような気さえするじゃないですか。

長く長く執拗にこびりつくそれは、いつしか人の形になり、瞼の裏のほとんどを支配しておりました。

最早言を投げ掛ける必要もなく、その人の形とは佐久間さんであることは明白でしたので、私は首を吊ってみたのですがどうにも途中でロープが焼き切れてしまい、上手くいかなかったのです。



これを狐火と呼ばずして何と呼びましょう。

他にも似たような体験をした方はおられませんか。
是非侃侃諤諤の意見を交わし合いたいと思いますのでまずはご一報よろしくお願いいたします。

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