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宗教2世って ②

裏の顔と表の顔

子供の頃の自分は劣等感の塊でした。
勉強もダメ。
スポーツもダメ。
何をやっても人と比べると全然ダメな子だったと思います。
唯一人から褒められる事と言えば、絵が上手だ言われた事。
当時スクールカースト的な位置づけで言えば、上位はスポーツ万能な子。
そして次に明るくひょうきんな笑いの取れる子。(当時は漫才ブーム真っ盛り)
下位は、運動神経の悪い子。ガリ勉な子。太った子。おとなしい子。眼鏡かけた子。不潔な子。
子供なりに考えてクラス内での自分の立ち位置を確立するために、努めて明るく、バカっぽく、笑いを取りに行くキャラクターを演じていました。
そのキャラに加えて当時流行っていた漫画やアニメの絵やクラスメートの似顔絵を描いて、クラスのみんなを喜ばせ、小学生の時は、面白くて絵の上手な子というポジションをキープしながら日常を過ごしていました。
劣等感の塊を他人に悟られないように作り上げたキャラクターの鎧を纏っても、心の奥底に潜む他人との違い。
「でも、僕のうちは創価学会」
「他の家とは違う。普通ではない家族」
家に帰れば、父と母に「今日、学校でこんな事があったんだよ。」「〇〇君の家で遊んだんだよ。」と学校の延長線で明るいキャラクターのまま家族の会話をしていたけど、「どうして、うちは創価学会員なのか?」「何故、みんなの家と違うのか?」それを聞く事は、両親を悲しませる事になるのではないかと苦悶し続けていました。
疑問に持つ事すら、何か罰が当たるのではないか、家族を不幸にしてしまうのではないか。と思うようになっていました。

決定的になったあの日

小学6年生のある日、日本の歴史上の人物について授業がありました。
歴史上の人物で知っている人物を挙げなさいとの先生の問いかけに、みんなが、競うように挙手をして人物の名前を言います。
生徒「ハイ!聖徳太子!」 先生「うん。お札の人だね。」
生徒「ハイ!徳川家康!」 先生「そうだね。江戸幕府を開いた人だね。」
生徒「ハイ!ビートたけし!」 先生「おいおい。ビートたけしはどうかな。(笑)」
生徒「ハイハイ!先生!じゃあ明石家さんまは?」 先生「ブラックデビルは歴史上の人物ではありません!(笑)」
生徒「え~先生、じゃあ中森明菜は~?」 先生「先生のお嫁さんになって欲しいな~(笑)」
クラス中大盛り上がり。
私「ハイ!池田大作!」 先生「…それ、全然違うね。」「〇✕先生からも新聞読んでくれと本を渡されて参っているんだよな。」
今までの先生の笑顔は一瞬にして消え、能面のような冷たい表情で返されました。私を冷たく一瞥して先生は歴史上の人物の話題に戻っていきました。
他の生徒たちは、このやり取りにはお構いなしで、更に他の芸能人やアニメのキャラクターを挙げて先生の返しに盛り上がっていました。

完全にしくじった。

クラス中の盛り上がりをよそに、私は固まった笑顔のまま着席し、盛り上がっている生徒と先生の声はただの騒音にしか聞こえませんでした。
何で池田大作って言ってしまったんだろう。
冷静に考えてウケるはずがない。
これで、せっかく作り上げてきたキャラクターの鎧はまったく無力になってしまった。
固まった笑顔は戻る事なく、授業終了のチャイムが鳴るのを、茫然しながら自分のしくじりが頭の中を巡りつつ待つしかありませんでした。

かつて、同じ学会員の子から学校では、学会のの事は言わないほうが良い。と言われた意味がやっと身をもってわかりました。

当時はっきりわかった事は、やっぱり創価学会は世間から嫌われている。
何故かわからないけど、やっぱり皆と違うんだ。
うちは普通ではないんだ。

改めてそう自覚した小学6年生のあの日でした。


※創価学会を批判、中傷するつもりは全くなく私の人生を振り返った時に「宗教2世」というワードに対しての私なりの純粋な思いを綴っております。


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