見出し画像

エロじじいにはめられて初めてタイに行った時の話 ③

無事タイ・バンコクのドンムアン空港に到着。
飛行機を降りると、独特のムワっとする熱気と、香辛料と排ガスの混ざったような匂いが私たちを迎えてくれました。

空港まで出迎えてくれたのは、現地採用の日本人スタッフのSさん。
彼は、日本人ですが、タイ語の読み書きが堪能で、私よりもいくつか
年上の男性です。
タイでの移動には、通訳を兼ねて滞在中は朝から晩までずっと付き添ってくれました。

ホテルでチェックインを済ませ、バンコクのオフィスに到着。
高層ビルの36階。日本の事務所とは全然雰囲気も違い、都会的なオフィスでは、数人の日本人スタッフとタイ人スタッフが歓迎してくれました。

今回の出張の目的は、出荷・納品された製品の不具合の是正です。
早速、工場での製造体制や、今回の事について、現地のサプライヤーはどういう見解なのかSさんと打合せをしました。
まずは、明日、工場の視察と先方の担当マネージャーと今後の取組について、協議するようにしました。

Sさんとの打合せの最中、大人ABは、今夜の夕食はどこに行くか。そのあと何をするか、そんな事で盛り上がってました。

その夜、バンコクの大人の街の洗礼を受けます。

まずは、夕食。
オフィスは、シーロムというエリアにあった為、徒歩でスリウォン通りにある「孫文(ソンブーン)」という中華料理とタイ料理と海鮮の混ぜ合わさったような店で、腹ごしらえ。
(今でも人気店で何店舗かタイ国内でも展開されているようですが、有名店です。)
ここのプーパッポンカリー(タイ風蟹カレー卵とじ)とカオパット(焼き飯)の組合せは抜群に美味しいです。
当時、約25年程前の話しですが、あまりの美味しさに、その後、タイに住むようになっても度々訪れました。

そのあとは、大人達のお待ちかね、バンコクの色街とでも言うべきか、おねーさん達がいる通りに繰り出します。
ソンブーンを出て暖かい夜風を受けながらトゥクトゥク(3輪バイクみたいな乗り物)で次の場所へ向かいます。
世界的にも有名ですが、パッポンという通りが見えてきます。(ソンブーンからパッポンまでは、一瞬で到着します。ただ乗りたかったってだけです。)
この通りは、欧米人の観光客が多くゴーゴーバーのお店がひしめいています。店を覗くとどの店も番号札を付けた、ほぼ裸のおねーさん達がステージでポールにつかまり踊りながら、私達に手招きをして一杯飲んでけと言わんばかりに、入店を促します。
大人Aも「よお~!来たで~!」と常連なのかカッコつけているのか店に入って行き。「ビアシン!(シンハービール)」とビールの小瓶を注文して、ステージで踊っている3人の女の子を席に呼び寄せます。
客層は圧倒的に欧米人ばかりで日本人はほぼ私達だけ、とくに若い日本人は私だけだったので、大人ABをよそに、呼ばれた3人の女の子だけではなく、他の女の子まで私に群がってきました。

おおー!人生始まって以来のモテキ!

大人Aはおもしろくなかったのか、「しんのすけ、次いくで~」とビールを飲みほして、パッポン通りを出ます。
向かうは、タニヤという通りです。
パッポンと違いこちらは、日本語の看板がたくさんありクラブ街です。
客層もほぼ日本人で、日本人のおっさんとタイ人の可愛い女の子のカップルもいたるところに見られます。
数あるお店の一軒に入ると、そこは、パッポンとは打って変わって、ゴージャスな内装の所謂、高級クラブです。

そっかー。おっさん達の目当てはここかー。

少し年配のおねーさんに促され、席につくと、大人Aは「自分らあそこに行って女の子選んでこい。」と言われ私と大人Bは個室に連れていかれました。
そこには、ひな壇があって番号札をつけた20人程の女の子がニコニコしながら私達二人を見ています。
立場上私は一番下なので、「大人Bさんお先に選んで下さい。」と先に指名させて、席に戻しました。
さて私。「アナタ、ダレニスル?」と先ほどのおねーさんに言われたので、「この中で一番日本語の上手な人でお願いします。」とお願いすると、「ニホンゴ イチバンジョウズ ワカクナイ イイデスカ?」
「いいですよ。」と返すと、ひな壇に向かって何やらタイ語で一人のやる気ななそうにしていた女性に向かって話しだします。
ひな壇の子達はその女性に一斉に視線を向けます。
その女性は、びっくりして、「えっ?私?」って顔をして指名されたにも関わらず、何やら文句を言ってる感じでした。
ひな壇の女の子達も何やらざわめいています。
なんかマズイ事したかなぁと思いつつ一緒に席につきました。

彼女の名前はレイさん。
レイさんは、私よりも年上の小柄で綺麗な女性でした。
ハスキー声のレイさんは、「ワタシ ワカクナイデショ カワイイヒト タクサン イル ドウシテ ワタシ イイデスカ?」
私は「タイ語全くわからないし、タイ初めてだから色々聞きたいし。」
レイさん「アナタ、タイ ハジメテネ。イツ ニホンカエル? ホテル ドコデスカ?」
色々と話すうちにわかってきたのは、レイさんは、もうすぐこの仕事を辞めて、自分でレストランをはじめるとの事でした。
この店では、古株で、年齢の事もありほとんど指名が入る事もないらしく、
ひな壇の女の子達は、珍しく若い日本人の客が来たのに、売れ残りの一番の古株が指名された事にざわめいたのでした。本人が一番驚いた様子でした。
何度も周りから若い子でなくて本当にいいのか?と念押しされたのは、当時、日本人(=おっさん)は若い子が好き。というのが浸透していたみたいです。

当時、バンコクは本当に若い日本人が少なかったです。というか見かけませんでした。
「タイは若いうちに行け!」という、いしだ壱成のタイ国際航空のCMが流れ始めたのはその当時より少したってからの事です。

レイさんとの話しも盛り上がってきたところで、大人Aが言います。
「しんのすけ、明日は、工場に行くんやったな。」
しん「はい。Sさんにホテルに迎えに来てもらう事になってます。」
大人A「ほうか、ほんなら今夜は一旦これで、お開きや。」
そういって、お店を出ます。

なんだよ、盛り上がってきたのに!

何故か、大人ABについていた女の子もいつの間にか私服に着替えてそれぞれ腕を組んでます。

お前ら、しっかりお持ち帰りすんかい!

お店の外まで、レイさん含め、他の女の子達も出てくれて「アリガト ゴザイマシター」との声に促されて、ホテルへ帰ろうとした時。レイさんが私にどんな意味かは理解できませんでしたが、目配せをしました。

大人Aは、「しんのすけ、お前は朝早いからこの車でホテルに帰れ。ワシらは、もう一軒寄ってくし。ドライバーには、ホテルはどこか言ってあるから。」
しん「はぁ」
お店からホテルへは、5分も掛からないで到着。

今日、タイに着いたばかりなのに、ある程度予想してたとは言え流石に疲れがどっときて、シャワーを浴びたあと部屋でボーっとしてました。

しっかし、おっさん二人共元気だなぁ

たしかにおっさんにとっては、楽しいよな。
こんなにチヤホヤされるんだから、日本でももちろんそういうお店はたくさんあるけど、タイだから良いんだろうな。
こりゃ、おっさん達はハマるわけだわ…

そんな事を考えながら、明日の打合せで使うの資料を用意したりしてると、部屋の電話がなります。

つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?