一人で入る喫茶店、二人で入る喫茶店
8年間気になっていた扉を遂に開けた。
そういう時、いつも思うこと。
「もっと早く開けておけばよかった」
店名と営業中の札のみ。
メニューなどの情報は外には一切ない。
どんな人がやっているかはさっぱりわからない。
旅で見つけたのなら即座に扉を開けただろう。
しかし、近所でしかも同業であるからには、今後の関係性を考えると躊躇してしまうのだ。
そうして8年の時が過ぎた。
行きつけの喫茶店があるので他に行く必要がなかったのもあり、尚更機会がなかったけれど、そちらが休業して喫茶難民になってしまった事で今回のきっかけが生まれた。
この町に根っこを下ろし、町に後輩たちが入ってくるようになったこの頃。
新参者ではなくなり、町の大先輩たちに過剰に気を使う事もなくなってきたというタイミングもまた良かった。
ようやく時が満ちた所に神様のいたずら。
そうそう、旅先でなければ初めての喫茶店にはひとりで入るのが私の喫茶道。
ある日目にしたこの投稿がとても分かりやすい。この言葉がとても気に入っている。
さて、扉を開けるまでにずいぶんと寄り道をしてしまった。
扉の感じなど作り込まれた雰囲気で、凝り性な年配の男性がやっていると思っていたが、年配の女性だった。(元々は旦那さんが貸す予定でこだわって創り上げ、こだわり過ぎてなんだか貸すのが惜しくなり、彼女が店を営むことになったとの事)
窓際の席に着く。メニューは置いていない。
お冷やを運んできたがメニューを持ってきていない。これはメニューがない店っぽいなと察し、喫茶店で珈琲がないわけはないのでホット珈琲を注文する。(内心一杯1000円だったらどうしようとハラハラしている)
はじめてのお店に行っても、注文を決めるのに時間はかからない。とりあえずホット。そう、「ホットね」おじさんになりたいのだ。
結局メニューは見ていない。あるのだろうか。(調べてみたらどうやらなさそうだ。)
この日は風の強い一日。またもや神様のいたずら。
「風が強いねぇ」
その一言から会話が生まれた。
接客マニュアル本の類でよく目にしてきたが、天気の話は本当に役に立つらしい。
お店は40年以上で、店主は87歳だそう。いつまで続けられるかは分からないとのこと。
やっぱりもっと早く扉を開けておけばよかった。
外からはあんなに謎めいているのに、中からは外がはっきりと見える。
お会計を済ませ、「あまりにも美しいので」と窓の写真を一枚撮らせて頂く。もちろん外観は出てから一枚撮らせて頂きたいと断りを入れた。
外からはほとんど見えないが、中からは丸見えだから。
帰宅してから妻に「あの店に遂に入ったんだけど、どうしても行ってもらいたい」と言って車で店の前に降ろし、一人で扉を開けてもらった。
二人ではだめなのだ。あの世界を味わう為には。
迎えにいくと案の定「最高だった」の声が聞けた。
ちなみにお会計は耳を疑った。「300円。店を始めた時からずっと同じ」
お店の歴史の最後の章しか見られないけれど、変わらないままのこれからを、まだ少し見ていける幸運。神さまの計らい。
今度はあの人と一緒にこよう。
確実にその店の良さを理解してくれるであろう厳選を重ねた人と行く事で、違う世界を味わえる。
昨今のカフェ巡りブームに足りないのはきっと「今度はあの人と一緒にこよう」「あの人だけにこっそり教えよう」というひとりでニヤニヤする時間。あの幸福感に満たされる時間。
二人で巡っているだけでは味わえていない世界がある。
これを読んでいる方の中でも、カフェや喫茶店は二人(以上)で行くものという世界にいる方が少なくないでしょう。
もしそうでしたら、ひとりで入る喫茶店。その全然違う世界の扉、ぜひ開けてみてください。
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