〈第1回寄稿〉 初回参加後の寺田真理子と佐藤敬の会話

こんにちは、シン八田利也でございます。
横浜国立大学大学院Y-GSAで共に教える寺田真理子氏と佐藤敬氏より、「フィールドワークでデザインすること」というテーマに関して、ZOOMでのトークセッションを振り返りながら、議論いただいた内容を寄稿いただきました。ご寄稿ありがとうございます。
以下に掲載します。



佐藤:
企画に携わっている本間はぼくの大学時代の同期で、彼の建築史家としての初挑戦ということで何かしら応援してあげたいという思いがあり、寺田さんをお誘いした次第でした。ざっくばらんに、いかがでしたでしょうか。

寺田:
北海道など地域でのプロジェクトということもあるからか、「場」としての美しい風景や地域性みたいなものを感じながらつくっている酒蔵のプロジェクトから、宮城島さんの建築が少し分かったような気がします。さすが東工大塚本研らしい、建築ができるまでのアプローチとしてのリサーチがしっかりして、かつワークシートも美しいと思いました。

佐藤:
ぼくは、「コンセプトブック」と「建築」の関係性が気になりました。行政など運営する人が変わってしまうような状況でも、設計した建築をうまく使い倒してもらえるようなマニュアルみたいなものとしてコンセプトブックは有効なんだろうなと思いつつも、それを建築家としてやってしまうことで自身の生み出した建築を半ば信じていないような状況が起きていることを宮城島さんはどう思われているのか気になりました。気持ちはとてもわかるし、いいなとも思った自分に対して、ナルシシズムを打開した後に待ち受けてたシニシズムみたいなものを感じてしまいました。

寺田:
なるほど。そのあたり、宮城島さんと直接議論できると面白そうですね。今回、主催者のシン八田利也さんが提示していた「コロナ禍による建築への考え方が変わったか?」という問いに期待していたのですが、それに対してあまり議論がなかったのが残念でした。北海道を拠点にしているからか、仕事にもあまり影響がなく社会や都市、建築への考え方が変わるまでには至らない、ということなのでしょうか。あるいはまだ時期尚早ということなのでしょうか。都心を相手にしていないとあまり変わらないのかも知れませんね。 コロナ禍によって、社会のあり方が少しでも変わることを期待しているのですが、あっという間の緊急事態宣言解除で、結局は日常が戻り、社会や都市に対する皆の意識はまた元に戻り、結局は何も変わらないのではないか。これまでを見直し、新しい秩序や価値観というものが生まれることになればと思っていました。

佐藤:
人の価値観や社会が突然変わるようなことは、なかなか起こらないように思います。ぼくらつくり手が何かを生み出す際に、それは顕在化されるように思っています。今までの価値観では受け入れなかったようなものが、無意識のうちに受け入れられ、徐々に浸透していくようなそんなイメージをぼくは持っています。 ただ身の回りを見ても、閉じた内部空間への抵抗感、開けた外部への許容感みたいなものは人々の中に出てきているなとは感じています。なので、それらをぼくらが意識的に紡ぎ出しいくような心がけが大切だと思います。

寺田:
そうですね、2 ケ月では「少し休止」ぐらいにしかならないので、自分に関わる大きな問題にはなり得ないのかも知れませんね。ただ、これまでのようには動けない、特に海外とのつながりなども考えると、先日開催した横浜国大大学院での講義(*1)でキュレーターの長谷川祐子さんが触れられていたように、コロナ禍の自粛期間は「内省する時間」と捉え、自分と社会、日本と外の世界(海外)ともどう付き合うのか、を考えるきっかけになればと思います。 コロナ禍に対する各地域、海外の取り組みをみることで、自分と身の周りとを相対化できるかと。何か小さなことから気づくことを出発点に、日本の建築や社会を内省する内容であると感じられるレクチャー・シリーズになるといいなと、思いました。 大御所建築家によるレクチャーとは異なる視点で、若いからこそ発信して欲しいと強く願っています。

佐藤:
ぼくらKASAが関わっているヴェネツィア・ビエンナーレのロシア館はまさにそんな感じです。日本—ロシアーイタリア、各々の立場を理解し、互いをケアし合いながらプロジェクトを進めていて、その中で学びや発見があり、色々と新しい挑戦も生まれてきています。レクチャー・シリーズとしては、全体通しての一貫した軸が希薄な感じがあって、そのあたり今後心配だなと思いました。もし軸が「コロナ禍&フィールドワーク」なのであれば、そこに対しての議論が行われるべきかと思いましたが、意図的とも思えるほどにその話題はスルーだったので、以後どういう展開になるのか。

寺田:
私もどうなんだろうかと思いながら聴いていました。やはり企画側は、発表者に対してそもそも意図したテーマ・方向性を強く問いかけられないのでしょうか。最初に依頼する時に強く企画の意図を主張して、そこを議論したい、問いたい、としているのかどうか。

佐藤:
モデレータがただのインタビューア兼司会進行ぐらいに終わってしまっているのも残念に思いました。発表者の活動を俯瞰的な視座で批評するぐらいの気概を期待していました。

寺田:
はい、議論すべき視点や進め方がこれまでのレクチャーと変わらない、というのが大きなところですね。このままだと化学反応が起きないのかも。将来振り返ったときに価値のある、今だからこその問いや議論をしてほしいなと思いました。モデレータの一人の方は宮城島さんが先輩からか、遠慮がある感じが少し残念でしたね。

佐藤:
あと、八田利也を持ち出す程の意味が今のところ感じられませんでしたが、これに関してはどう思われましたか?あまり深追いしても仕方ない事かも知れないですが、何といっても建築史家のデビュー戦ですから、そこに意図があるとは思っています。 建築界へ、そして建築家への何かしらのメッセージがあるのではと。歴史家的な立場で大胆にも世界をデザインしようとしているのであれば、ぼくとしてはとても面白い挑戦だと見ています。

寺田:
私は、シン八田利也さんから発信されていた「コロナ禍&フィールドワーク」に対する問題提起、問題意識に興味をもったので、告知の際に彼のメッセージを送るならば、八田さんも登場するべきだったのではないでしょうか。 またモデレータの3 人が、この八田さんを心配する会とするならばこそ、そうすべきかな。でも「八田さんを心配する」のは、この場ではなく他の場所でやっていただくのが良さそう。

佐藤:
話題は飛びますが、金額に関してはどう感じましたか。ぼくとしては毎回2,000 円は高い印象でした。次回参加するとしても人を選ぶ。つまりは、発表者頼みになっている感を初回で感じさせてしまったのは痛かったのかな、と思いました。noteでの参加型の仕組みもセットでの企画かとは思いますが、逆に言うとそれをフォローしていく時間がかかるとなると、それも辛いところでもあるかと感じています。

寺田:
同感ですね。私もとても高いと思いました。オンラインであれば、開催場所としての場所代がない分、もっと安価にできるはずかと。 社会人とはいえ、気軽に聴けるものではない金額設定だなと。講師への謝金+京都の会場+スタッフへの謝礼等々に払われるのか、など。普段企画をする側に立つ私はそんなことも考えてしましました。 ただ金額設定することにより、参加者の意識の標準は上げられると思いますね。参加する側もある程度の覚悟はでてきますし、いい緊張感が生まれることは確かです。だからこそ、八田さんが問題提起としてのマニフェストをお話されることが重要だったかと。今後は、それをうまく利用した企画へと移行していけることを期待します。

*1: 2020年に横浜国立大学大学院都市イノベーション研究院の授業「横浜建築都市学」で行われたレクチャー「モバイルとステイ- - 人間/動物(モバイル)と植物(ステイ):内的作用(intra-action)的な建築のありかたとはなにか)」。 講師:長谷川祐子氏。モデレータ:妹島和世氏。

寺田真理子 (Mariko Terada)
1990年日本女子大学家政学部住居学科卒業。1990-99年鹿島出版会SD編集部。1990-2000年オランダ建築博物館にてアシスタント・キュレーターとして”Towards Totalscape”展(2000年開催)を担当。2001-2002年(株)インターオフィスにてキュレーターとして「ルイス・バラガン展—静かなる革命」展(東京都現代美術館にて開催)を企画担当。その後、フリーランスを経て2007年より横浜国立大学大学院Y-GSAにて特任教員、スタジオ・マネージャーとして教鞭を執る。2018年より横浜国立大学都市イノベーション研究院准教授、現在に至る。

佐藤 敬 (Kei Sato)
建築家。KOVALEVA AND SATO ARCHITECTS / KASA 共同主宰。 1987年、三重県生まれ。2012年早稲田大学大学院修了(石山修武研究室)後、2012-19年石上純也建築設計事務所を経て、2019年Aleksandra KovalevaとKASAを設立。2020年より横浜国立大学大学院Y-GSAにて設計助手。 主な受賞として「第38回SDレビュー2019鹿島賞」、「ヴェネツィア・ビエンナーレロシア館2020年展示計画および改修計画設計者選定プロポーザル最優秀賞」。

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