〈第2回寄稿〉 地域研究における分析と統合、文学の技術の有用性

こんにちは、シン八田利也でございます。
栃木県益子町を拠点とする環境デザイナーの廣瀬俊介氏より、第2回「暮らしと風景からみたフィールドワークとデザイン」に関してご寄稿いただきました。廣瀬さま、ご寄稿ありがとうございます。
以下に掲載します。

1. “Negative Capability” と地域研究
 オンラインレクチャーシリーズ「フィールドワーク <で> デザインすること」第2回の冒頭で、本間智希氏が疫病下におけるフィールドワーカーに求められるものではないかと言い添えて引用した英国の詩人ジョン・キーツの言葉 “Negative Capability (容易に答えの出ない事態に耐えうる能力1) ) ” は、筆者が携わる地域研究とその結果に基づく環境デザインに平時からもよく当てはまると即座に感じられた。地域研究における分析については、先人によって知的資産が豊富に蓄積されている。しかし、ゲストの造園学者、惠谷浩子氏が探求されていて、同氏と聞き役によるトークセッション後のアフタートークで建築や民俗学、文化人類学などさまざまな分野から集まった (そしてさまざまな年代の…高校3年生の方も!…) 参加者による議論が活発に行われたように、分析結果を統合する方法は研究者それぞれに試行されているとはいえ、確立されているとはいえないのではなかろうか。少なくとも筆者はそう考えていて、ある程度まで確立できた地域研究→環境デザインの方法は持つものの、地域の状況・情況によってそれを組み換えるなどする必要が生じ、そのことで作業が地域的になり成果もまたそうなることが期待できるようになりもするが、地域の環境の成因を一つひとつ調べつつ成因間の関係を探る中で、その地域がどのような環境の成り立ちを持つどういった地域なのか言葉と図画に表せ、だからその地域の部分に対してどう環境デザインを行使すればよいか徐々に判然とし始めるまでは、まさに「容易に答えの出ない事態に耐えうる能力」の発露に頼っているように感じる。

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2. 探求される分析結果の統合方法
 惠谷氏は、既成の代表的な景観論である景観工学と歴史地理学的景観論にない要素をも文化的景観研究を通して包括しようとする姿勢を持ち、その実践とそこから導き出された「文化的景観という見方」について報告した。筆者は、その内容と共に、トークセッション時の質問への回答にあった「大学で造園を学んだ経験に基づく庭園の空間と植生の図化も介した理解」と、アフタートークでの質問への回答にあった諸分野の研究者の共同調査からの成果の作成において「異分野間の議論をしっかり行うために言葉の定義の一つひとつをはっきりさせて、地域の物語を集約する」ことに着目した。前者の回答は、地域の文化的景観の分析に必要な条件の一部と目せ、後者の回答は、分析結果を統合する方法の説明として、筆者には興味深く感じられた。 
 アフタートークでの上記の回答は、「 (諸分野の研究者が) 同じ現場に行って同じ時間を過ごしても見ているものが違う。それをどうすり合わせるのか? チームワーク的なことについて聞きたい」との質問に対するものであった。続けて、「皆では (統合は) できない。誰かがまとめなければならない。統合の経験が要り、建築家や造園家は普段それをしているので上手だ」という意見も出された。これに対して、他ならぬ建築家 (参加者) から「建築計画学による『統合』には、近代合理主義と切り離せない面があると考えていて、こうした統合には違和感を持つ」といった声が上がった。筆者は、いずれの質問や意見にも共感を覚えた。上記した通り、筆者も適当な答えが見つけられずにいるが、ここに活発な議論が起きているのにふれて、地域研究における分析結果の統合がいかに可能かという課題についても、まずさまざまな分野の研究者や学生、その分野に関心を持つ人びとが率直に疑問や意見を交わし合うことは肝要であると改めて気づかされた。

3. 環境設計による統合への接近、疑統合に堕すことへの注意
 地理学と景観生態学を基礎として地域研究を行い、その結果をもとに環境デザインを行う筆者は、研究者としてより技術者として活動する割合が高く、上に挙げられた建築家や造園家に比較的近い面を持つ。それゆえ、惠谷氏が造園教育を受けて身につけた空間、植栽の構成の図化による理解 (筆者は、環境の成因の質量と構造、生物の生理や人間によるそれらの育成技術等に関した経験・体得的理解と解釈する) や、それらに基づいて建築家や造園家が行う人間の生活環境の空間構成、構造形成等を包括した設計技術の修得をもとに、地域の調査・分析結果を統合して環境設計を行うことは、程度の高低は別として常々何らか為されているとは考えている。しかし、地域の環境の成因と成因間の関係の解明を重ねてゆく中で、ある期間内に依頼者の意向や事業予算等々をも折り合わせて環境を実体化するという目的を果たすために、緻密な論理構築がいつしか継続できなくなり、短絡な発想が入り混じって導かれた解が厳密には環境設計の質を下げてしまうことはある。設計者自身の個人的嗜好や地域研究の必要性の未理解などに囚われる例も、決して少なくないと見ている。ところが、ある段階まで論理的な説明ができていれば、そこから先は論理的思考から造形的思考への飛躍であって創造的行為に必要な過程なのであると、設計者本人も、設計者本人から説明を受ける他者もそれが適切であるかのように誤解してしまうということが起きているとも、筆者は見る。
 言語を介した論理的思考は、言語化し切れないものごとを掬い上げられない。それを補完するために非言語を用いた造形的思考は欠かせず、発想の短絡や不適切な飛躍を避けながら両思考が並行して用いられ、分析結果の余すところのない統合が目指されることが望ましいと、筆者は考える。これに加えて、分析結果の統合を担う者が個人である場合と複数人である場合とがあろうが、いずれとしても環境の成因それぞれと成因間の関係についての知識の総合的な修得に努め、環境の成因の質量と構造、生物の生理や人間によるそれらの育成技術等の経験・体得的理解の上に環境の空間構成、構造形成等を包括した環境設計技術を身につけようと志向することは、統合の方法を模索する一つの手段となるのではなかろうか。ただし、それだけではなく、地域の人間活動・人間関係の歴史と現在、民俗、信仰、個人と集団にとっての風土・生活世界の認識等々に関した理解が「統合」に求められることについては、惠谷氏の報告、トークセッション、アフタートークでの議論の中でふれられている通りである2) 。

4. 統合における文学の技術の有用性
 また、惠谷氏が述べた「言葉の定義の一つひとつをはっきりさせて、地域の物語を集約する」に通じるかもしれない、筆者があたためてきた考えを思い起こした。統合にとって、文学の技術が肝要なのではないかということである。たとえば、上記の論理的志向と造形的志向の間に、エミール・ゾラによる自然主義文学や正岡子規の写生論、それに学んで書かれた長塚節の小説『土』における風景描写や長塚の伝記的小説『白き瓶』の著者藤沢周平の小説群に見られる風景描写、俳人、国文学者宮坂静生による地貌論 (歳時記の季語が各地域に合わないことに対応した地貌季語の提唱と蒐集を中心におく) 等々に見られる文学の技術が位置づけられ、それらを有意義に用いることで地域研究における分析結果の統合から伝達表現までが合わせて行え (言語化し切れないものごとの図画による表現も有用であり、必要に応じて組み合わせるべきことを念のため書き添える) 、人びとの地域の共観を、事実との齟齬を可能な限り解消してゆきながら支えることができるのではなかろうか。私見を述べ続けるが、物理学者であり、それだけでなく随筆家、俳人として夏目漱石に師事もした寺田寅彦や、アフタートークでも話題に上った民俗学者宮本常一の研究成果の構築と表現は、彼らの文学の技術にも助けられてのものであり、その効果は大きかったのではあるまいか。

5. おわりに
 惠谷氏が、統合について「地域の物語の集約」と語ったことに、特に関心が湧いた。一般論として、「物語」という概念が広告3) から土木計画4) 等までにさまざまに扱われる日本の現状に対して注意を要すると筆者は考える。しかし、惠谷氏の報告で例示された福岡県八女市の文化的景観の説明に見られたような、「自然基盤という枠組み、暮らしの重なり方、取り巻く地域との関わり方」をもとにして確かめられる地域の環境の成因とそれら相互の関係に見当たる因果性を「物語」と見ることは、地域研究における分析結果の統合を諸分野の研究者そして文化的景観の形成主体たる生活者と試み、合意してゆくために肝要であると思われた。筆者の認識はまだ不鮮明であるが、統合における文学の技術が貢献する可能性に関した想像は、この点に通じているかもしれない。

追記
 会の最後に、100年以上続く宇治の茶生産農家で所有する店舗と工場が重要文化的景観に選定される山本甚太郎氏5)が、この日の仕事を終えて参加された。ひとしきり話を伺った後、本間氏は「困難な状況の中でも変わらない取り組みを続ける人々の話を聞きたいと、この企画を始めることを思い立った」と述べて、会を閉じた。
 それは、フィールドワークに臨む私たち研究者や技術者だけを指しているのではなかったと、筆者は後日、本間氏とのやりとりを通じて教えられた。まさに、筆者こそ短絡な思考に陥っていた。私たちが視線と意識を向ける先の地域と人びとと共に、 "Negative Capability" は発動されるべきなのであろう。

1) 帚木蓬生 (ははきぎ・ほうせい) (2017)『ネガティブ・ケイパビリティ—答えの出ない事態に耐える力—』朝日新聞出版、総255頁

2) 筆者が、自然科学に主に依拠した議論が多いと受け止めている日本景観生態学会の会誌へ、問題提起のために投稿した論考を紹介する。
廣瀬俊介 (2016) 「風土形成の一環となる環境デザインについて: 人文学における研究成果の参照による風土概念検討を通して」『景観生態学』21 (1) 、日本景観生態学会、15-21頁

3) 山﨑鎮親 (2004) 「物語と消費 (1)—学校知識論的問題への物語論的、消費社会的接近—」『<教育と社会>研究』14、一橋大学<教育と社会>研究会、45-53頁

4) 長谷川大貴・中野剛志・藤井聡 (2013)「プランニング組織における物語の役割」『人間環境学研究』11 (2) 、人間環境学研究会、75-82頁

5) 京都宇治茶房「山本甚次郎」ウェブサイト

廣瀬俊介 (Shunsuke Hirose)
環境デザイナー (風土形成事務所主宰) 。専門地域調査士 (認定機関: 日本地理学会) 。東京大学空間情報科学研究センター協力研究員。1967年、千葉県市川市生まれ。1989年、東京造形大学デザイン学科II類環境計画卒業。1989-1999年、GK設計勤務を経て独立、事務所設立。2003-2012年、東北芸術工科大学建築・環境デザイン学科准教授。2013年、同大学大学院デザイン工学専攻長。2010年、日本建築美術工芸協会芦原義信賞を「DNP創発の杜 箱根研修センター第2」で石原健也氏 (デネフェス計画研究所) 、田賀陽介氏 (田賀意匠事務所) と共同受賞。主著『風景資本論』(朗文堂、2011年) 。2001、2002年にドイツ、2008年に台湾、2016年に韓国で講演を行う。2019年より、栃木県益子町に活動拠点を置く。


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