〈第1回寄稿〉 質問があります

こんにちは、シン八田利也です。
編集者を務める I 氏より寄稿いただきました。
ありがとうございます。以下に掲載します。


● 質問① 空間設計との接点についてもっと聞きたかったです
 「土地のコンテクストに応答した建築ですねってよく言われるんですけど、 そのつもり全くないんです」という宮城島さんの言葉と、 設計のロジックはフィールドワークとまったく別の次元で立ち上がる、 (=フィールドワークがいくら素晴らしくてもいい設計ができるわけではない、 という問題提起だと理解したのですが)というお話が興味深かったです。 とはいえ「手段」であるフィールドワークが「目的」の設計にどういう影響をもたらしたのか、 たとえばサラブレッド牧場のプロジェクトでは、 フィールドワークを経て2棟目のパドックの家は「長さへの関心」で生まれた ともおっしゃっていて、それがどんな微調整を生んだのかは気になります。 「ロの字型プラン」には、敷地との“相性の良さ”はあっても“必然性”はないとして、 それでも、厩舎に面した開口部の視線の関係とか、配置の距離感とか、 あえて残した河畔林に対する開口部の取り方や、どんな見る/見られるの関係があるかとか・・・ 「長さへの関心」からどんなヒントを抽出して、超広域スケールからディテールの納まりまで、 土地や環境にどうアジャストさせたのか、もう少し詳しくお聞きしたいです。

 ●質問② フィールドワークをする/しないの判断基準は? 
そもそも塚本研ご出身で「場所」を知覚する力は十分鍛えられていて、 丹念なフィールドワークを省略したヒアリングや敷地のリサーチだけでも、 土地のコンテクストをおさえた良い設計ができてしまうのではとも感じました。

その意味では、 宮城島さんがあえてフィールドワークをする理由や、 逆にフィールドワークをしないのはどんな時なのかも気になりました。 たとえば「山裾の家」の作品解説で地形に呼応/対峙すると書かれてますが、 住宅地や都心の敷地でもフィールドワークは必ずされるのでしょうか。 あるいはリサーチにとどまるのでしょうか。また、やむをえずリサーチどまりの時でも必ず心がけてやっていることなどはありますか?

 ●質問③ 設計者としてフィールドワークに手ごたえを感じるのはどんな時ですか?
仁井田本家のプロジェクトをはじめ、紹介いただいたフィールドワークはすべて、 ものすごい労力と時間をかけて調査と纏めがなされていて圧倒されました。 それだけ力を入れて取り組むモチベーションというか、空間設計“以外の”手ごたえがあれば知りたいです。

お話を聞いて感じた可能性のひとつは、施主とのコミュニケーションツールとしての側面です。 設計者が提案する「あたらしい価値(=設計的な関心)」に施主が無理なく共感するためのプロセス(準備運動)というか、 たとえばサラブレッド牧場で、1棟目の住宅(丘の家)のロの字型のプランニングやコア部のトップライトは、 施主が土地に愛着を持てば持つほど、面白がってもらいやすい気がします。 あともうひとつ、 ロングスパンな建築観に施主を巻き込むツールとしても役立っているように思いました。 サラブレッド牧場のフィールドワークは、施主や子世代がむこう数十年、万が一にも “美瑛のヒルトップに家をつくってしまう移住者”になるのを避けたり、 (テンプレ建売のような)乱暴な環境の塗り替えを求められない布石としての側面、 あるいは、腰を据えて建築と付き合ってもらう(手入れ・メンテナンス・愛着醸成)心づもりのプロセスなど・・・ 設計者として、こういう役立て方に可能性を感じる、という場面があれば教えてください。 

●質問④ フィールドワークのゴール(目的)はどう設定しますか?
サラブレッド牧場 のプロジェクトとは反対に美瑛町景観計画のフィールドワークでは 「町民皆が価値を理解し合おうなんて無理、違いを知るほうがうまくいく」、 そのためのフィールドワークだと話されていたのも印象的でした。 美瑛町の景観計画とサラブレッド牧場のプロジェクト、 同じフィールドワークでも、理解しあう/ 違いを認めると、ゴール(目的)が真逆なのも面白いです。 こうしたゴールの違いは調査段階では意識しておらず、あくまで結果的なものですか? それとも、事前に見定められるものですか?またその場合はどの段階で設定するのですか? ゴールのバリエーションがほかにもあれば、教えてください。

会社員 I(編集者) 

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