50、コックリさん⑤ 現れた本物の霊
僕の抱いていた嫌な予感は的中した。軽いノリで始めたコックリさんだったが、どうやら本物の霊が降臨したようだ。この周囲に充満している緊張した空気は、霊が出現する時になると僕が感じる空気そのものだった。この時の季節は7月、ほこり臭い倉庫を部室として使用していた為、窓を開け放っていても蒸し暑かったのだが、僕は冷たく張り詰めた空気に変化してしまったように感じていた。
「亘(わたり)、どうしよう!」
ナカムーが泣き出しそうな表情で叫んだ。
ナカムーが怯えるのも無理はない。僕たちはコックリさんの紙に置かれた十円玉に指を添えていたが、僕もナカムーも忍者も、そして僕達のボス――ユリカ様も、みんなその指を十円玉から離す事ができなくなっていたのだ。そしてその十円玉は、コックリさんの紙の上をぐるぐると円を描くように回っていたのだ。怯えたって無理はない。普段は強気なユリカ様も、その眼の奥に怯えた感情を宿しているように見えた。
「落ち着くんだ、みんな落ち着いて」
とりあえず僕はみんなの気持ちを落ち着けようとした。僕は霊能力を持っていたが、そんな僕でも十円玉から指を離す事ができない。僕は自分の気持ちを落ち着ける為にも、そう言うしかなかったのだ。
「十円玉が――」
突然、忍者が叫んだ。
「――十円玉が止まった!」
ぐるぐるとコックリさんの紙の上を回り続けていた十円玉が、紙の上に書かれた「鳥居」の上で止まったのだ。
「……帰ったのかな? コックリさん帰ったのかな?」
ナカムーは部室の天井を見渡しながら、恐る恐る呟いた。
「いや、まだみたいよ」
ユリカ様が抑えたような口調で首を振った。
「鳥居」の上でいったん落ち着いた十円玉が、またスルスルと動き始めたのだ。
「止まった、『と』だ、『と』!」
忍者が叫んだ。すると十円玉は次々と文字の上を辿っていった。
「り」
「つ」
「い」
「て」
「や」
「る」
「――取り憑いてやる。……取り憑いてやるって言っている」
忍者が唇をわなわなと震わせた。ナカムーは鼻をすすり上げて泣き出しそうになるのを堪えているように見えた。
「コックリさん、コックリさん――」
僕はコックリさんに語り掛けた。
「――お帰りください。僕達がふざけていた事が気に入らなかったのなら謝ります。あちらの世界にお帰りください」
僕はコックリさん――いや、何者かの霊を鎮めようと声を掛けた。
「うわぁ、亘(わたり)!」
ナカムーは叫び声を上げると、とうとう泣き出してしまった。――十円玉が凄い勢いで紙の上を回り始めたのだ。さっきまでのようなゆっくりとした動きではない。指だけではなく腕ごと持っていかれそうなくらいの速さだった。忍者もナカムーのように泣き出してしまった。
「泣かないの、アンタ達男でしょ!」
ユリカ様はナカムーと忍者を叱責した。しかしユリカ様も恐ろしかったのだろう、ブルブルと震えながら青ざめた表情で口を真一文字に結んでいた。
周囲の空気がさらに張り詰めた気がした。何者かの霊はどうやら僕達に悪意を持っているようだった。このままでは埒(らち)が明かないと僕は判断した。僕は決意した。コックリさんと――いや、この霊と対決しようと。僕に霊能力があるという事実が、ユリカ様やナカムー、忍者に知れてしまうかもしれない。しかし、このままでは良くない事が起こるに違いない。僕は「清掃部」の仲間達を危険な目に遭わせるわけにはいかなかった。
「お前は何者だ?」
僕はコックリさん用の定められた文句は無視し、僕達の前に現れた霊に尋ねた。……十円玉はピタリと動きを止めると、文字の上を素早く辿った。
「の」
「ろ」
「い」
「こ」
「ろ」
「し」
「て」
「や」
「る」
「――呪い殺してやる」
僕は文字を読み上げた。ナカムーと忍者は「イヤだ!」「助けて!」と泣き叫んだ。何者かの霊は正体を明かさず、質問とは関係のない返事をした。……この霊はとにかく僕達に対して悪意を持っているのだと改めて感じた。――上等だ、やってやろうじゃないか。僕の心の中に眠っていた戦闘的な部分が疼き始めた。
「ふざけないで、そんな事させないわ!」
ユリカ様が大きな眼をさらに大きくして十円玉に向かって叫んだ。怯えていたユリカ様も僕と同じような気持ちを抱いたらしい。ブルブルと震えたまま必死に霊に抗おうとしていた。
「僕の名前は、亘(わたり)礼一だ」
僕は霊に名乗りを上げた。
「さぁ、僕は一応の筋(すじ)は通したぞ。お前も、せめて自分が何者なのか? 何を望んでいるのかくらい話したらどうだ?」
僕は十円玉を睨みつけた。僕は相手の出方を待ち構えた。
「じ」
「さ」
「つ」
「し」
「た」
「――自殺した。……お前は自殺した霊なのだな?」
十円玉はスルスルと動き「はい」のところで動きを止めた。するとまたスルスルと動き始めた。
「じ」
「ょ」
「し」
「こ」
「う」
「――女子高? お前は女子高生なのか?」
すると十円玉は質問に答えようとはせず、再び凄い勢いでぐるぐると紙の上を回り始めた。
「亘(わたり)、こいつは女だ、高校生の女の霊なんだ!」
忍者はしゃくり上げながら、空いているほうの腕で僕の肩を掴んだ。僕は忍者の手をポンポンと叩くと、その手を自分の肩から離した。――僕もこの霊は、女子高生の霊なのだと断定した。それも、自殺した女子高生の霊なのだと。
――すると、十円玉が再び文字の上を滑り始めた。
「だ」
「れ」
「に」
「し」
「よ」
「う」
「か」
「な」
「――誰にしようかな」
僕は女子高生の霊の言葉を読み上げた。するとユリカ様が「フン」と鼻で笑った。
「……どうやら、このクソッたれ女は私たちの誰に取り憑いてやろうか選んでいるみたいよ」
ユリカ様が青ざめた表情で、忌々しそうに吐き捨てた。ナカムーと忍者は唖然とした表情で動きを止めた。二人とも口を開けたまま、身体の奥から呻き声のようなものを途切れ途切れに発していた。
「悪ふざけはやめろ!」
僕は十円玉にグッと力を込めて押さえつけるようにして叫んだ。
「そんな事はさせない、僕がそんな事をさせない!」
僕はさらに力を込めて十円玉を押さえつけた。――すると、十円玉は僕の力に抗うようにして動き出そうとした。僕は歯を食いしばりながら、指先が痙攣するほど力を込めた。
「アンタ達、このクソったれ十円玉を押さえつけるわよ! こいつに誰かを選ばせちゃダメ!」
ユリカ様はナカムーと忍者にそう叫ぶと、僕と同じように歯をくいしばって指先に力を込め始めた。ナカムーと忍者も顔を赤くして指先に力を込めた。
十円玉は凄い力で僕達の指先から逃げ出そうとした。机はガタガタと揺れ、そのうち部室全体がガタガタと揺れ始めた。天井の蛍光灯は明滅し、ガラス窓も今にも割れんばかりに揺れていた。
僕達はいつの間にか、「うおおおおおおおお!!」と大きな声を上げ、動き出そうとする十円玉――いや、女子高生の霊と戦っていた。
すると突然、「ドン」という大きな音とともに誰かが倒れた。――それはナカムーだった。
「ナカムー!」
忍者が叫んだ。ユリカ様も絹を裂くような叫び声を上げた。
……僕はさすがに焦りだした。どうやらコックリさん――いや、女の霊が取り憑く為に選んだのは……ナカムーのようだった。
➡51、コックリさん⑥ 危機を脱した僕達。ユリカ様の呟いた言葉
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