推しが結婚したときの“あの複雑な感情”を何と呼べばよいか問題
※便宜上、好きなアイドルや俳優を本文では『推し』と表現する。
「推しの結婚」といういつか来たる日を覚悟しながら、20年ほどの年月が流れた。うちの推しは、どうやらまだ結婚しないようだ。気配もない。しかし私ほどのミーハーになると、気になるイケメンの熱愛報道くらいでも充分に心がズンドコする。“あの複雑な感情”には、なぜ名前がないんだろう。ナントカ現象みたいに立派な名前があれば、それを理由に仕事を休んだりできるのに。我々にとってはそのくらい、大きな出来事なのに。
■いっそのこと既婚俳優に恋したかった
最近、友人がとある俳優に沼落ちした。つられて私も、ちょっと彼が気になっている。
相手は、まだ若いながら既婚者、子持ちである。
もとはジャニヲタ仲間である我々にとって「これから誰かのものになる不安がない人にハマる」というのは初めての経験で、実に新鮮だ。
そもそも、なぜ推しが結婚すると複雑な感情が芽生えるのだろう。というか、あの感情はなんなのだろう。
「結婚=誰かのものになる」というのはそもそも思い込みだし(だってもともとファンのものだったわけじゃないし)、推しの結婚にいっときはショックを受けたとしても、いつか時間が解決してくれることはもう分かっている。
それでも、第一報のあの“ガツン”とくるかんじ。驚きと落ち込みのあいだくらいのあれ。あれは本当、なんなんだろう。
「言葉にできない」というのは、ライターにとっては禁句である。しかしあの感情ばかりは、30数年生きてきて、何度体験しても、いまだ言葉にできない。
嫉妬?寂しさ?悲しさ?どれもあてはまるようで、どれも少しちがう。
■正直、仕事を休んでもいいレベルの現象だと思う
まさか自分が推しと結婚できると思っているわけではない。
むしろ自分に恋人がいようが配偶者がいようが関係なく、推しやイケメンが結婚するたびにあの感情が芽生える。
私などミーハーなものだから、一回一回しっかりと感情が揺さぶられて忙しい。祝福の気持ちももちろんある。けれどなぜか、もやもやとあの気持ちが生じてくる。
一度、有識者を集めてネーミング会議を開いてほしい。あの感情に名前さえついてくれれば「〇〇のため仕事休みます」とか言えるじゃないか。
近所のコンビニが「推しの結婚発表により〇〇なのでしばらく閉店します」って張り紙したところで、誰か責めるか?誰も責めないよ。「理由が理由」ってやつだよ。責めるどころか、心にそっとあったか毛布をかけてやりたいよ。
っていうか、そういう社会を作ろうよ。
■推しの幸せはいつだって祈っているよ
いい歳をしてウダウダこんなことを言っていると「じゃあ推しにさっさと結婚してもらえば?」と言う輩がいる。
全力で言おう。アホか。
もう一回言うわ、アホか。
そういうことではない。
「既婚の推しを好きになる」のと「推しが既婚者になる」というのは、まったく意味がちがう。
出会ったときから既婚者であるなら、それを承知で恋に落ちたこっちの問題だ。うらやましがろうが落ち込もうが、こっちの後出しじゃんけんだ。
(ていうかなんなら、推しの素敵ファミリーごと尊い瞬間あるわ)
推しの幸せは、いつだって祈っている。正直、自分の幸せよりも祈っている。それが「結婚」であるならば、もちろん祝福したい。
けれど、何年も何十年も、ずっと恋をしてきたんだから。
ずっとずーっと、なによりも見てきて、なによりも大事にしてきた宝物なんだから。
心にぽっかり穴があくのは仕方ない。そっか、あの感情。空虚っていうのかな、そういう感覚に似てる気がする。
今度からそうするわ。「イケメンが結婚してまことに空虚でありますゆえ仕事に行けません、行っても戦力になりません」って言うわ。
推しが結婚して、すぐに「おめでとう」って言える人を、私は本当にすごいなって思う。
でも「おめでとう」って言えないくらい推しを大事に想ってきた人のことも、同じくらいすごいなって思うよ。
心の準備の段階で落ち込むけど“あの感情”のイメトレはしておこうかなぁ。イメトレで落ち込むくらいなら、本番一回で落ち込むだけにしとこうかなぁ。
かつて郷ひろみが残した名言「原武裕美は結婚しても郷ひろみは結婚しない」のあの精神、うちの推しにもよろしくしたいなぁ(古いネタですみません)
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