詩と思想2020・3月号詩誌評

詩誌文化
                   白島 真

今月号より詩誌評を担当させて戴くことになりました。昨年12月初旬に100冊ほどの同人誌・個人誌が手元に届き、その全てに目を通しましたが、詩誌の世界は百花繚乱、まさに詩誌文化と呼ぶにふさわしい活況を呈しており、詩の世界もまだまだ未知の可能性を秘めているとの思いを強くしています。
 文体を変えますが詩誌は詩集と違って「あとがき」や「エッセイ」「評論」などにも力作があり、感性を豊かに刺激してくれる作品が少なくない。今後の方針としては、この分野も詩作品と同等に触れていきたい(紙面に限りがあり、長い引用はできないことお許し願いたい)
また、発行者や編集者が亡くなったり、高齢のために引退され世代交代を図っている詩誌も散見される。一見したところ執筆者に高齢者が多い印象である。(私もこれが読まれている時点で古希を迎えている)   
如何に若い方々の詩誌への参加を促すかが今後の大きな課題でもあるだろう。
後進を育成するという意味で重要な役割を果たしていると思われる2誌から。

★インカレポエトリ 創刊号「鹿」
朝吹亮二と伊藤比呂美が40年ぶりに会い、大学で学生に詩を書かせる授業を持っていることから話が発展した。両名と新井高子、川口晴美、小池昌代、瀬尾育生など8名の詩人が連携して、詩の授業を担当する大学(創刊号は6大学)の学生の詩を纏めた詩誌を年2回発行する運びとなった。各大学から86名の詩が掲載されているが、独自の言葉でしっかり作りこまれており、力作も多い。配列は50音順なので瀬尾が担当する愛知淑徳大学からだが、内堀みさきの巻頭詩は言葉の韻で遊びながらも、若い行き場のないエネルギーを感じさせる。
接触センサ
眼球と景色を剥離させたい/見様見真似でつくったプラスチックのカカシを立たせる/アカシックレコードの最後にある句点を想像して/この嵐の中の雷を操る特別な人間になりきる//私に埋め込まれている毛穴の全て一つずつ丁寧に爆弾を詰め込んで/いとこのみーちゃんが振り返るまでに爆発させたい//気の触れた人間を隔離させた10年後の世界/汗をかいたサイダーは生まれるその日を待っている//感情のない部屋に転がる宇宙/毎日配給されるブリキのおもちゃ/汚れたスニーカーを履いていた時 一番かっこいいと思えた//一か八かで浮上した雲はマヌケなタヌキをも魅了させて/バルーンの一族と火星を夢見てちりぢりになった//足を離すところからが先だ          (全行引用)

★樹林 657号大阪文学学校
  在校生作品特集号
大阪文学学校は小野十三郎らが発起人となって立ち上げた学校で通信制もある。詩、エッセイ、小説部門があり、それぞれ優れた講師が教えている。先般、逝去された長谷川龍生や現在、ドイツ文学者の細見和之が校長。在校生が審査員をやり、そこで選ばれた作品集である。優れた作品は「三田文学」や「文學界」にも掲載される。辛口の生徒審査員もいて面白い。編集後記の寺西正人の言では同人誌制作の苦労が偲ばれたが、この詩誌に限らず多くの詩誌が縁の下の力によって支えられている。若い人が育ってくれることを切に願う。
次に印象に残った詩誌を挙げてみる。

★みなみのかぜ 第七号
 編集長は清水らくは。熊本に縁のある詩人たちを集めた同人誌。ベテラン広瀬大志は詩篇「ダンジョン」で【判断がともなうだろう/その点々と染みでている鉄錆色の文様が/かつては生温かいぬめりであったのか】と比較的長い54行の詩を寄せているし、平川綾真智は「藤井システムの排卵」で将棋棋譜を模った斬新な詩を寄せている。巻頭は菊石朋の詩篇「海辺の植物園」で、神話的とも呼べる遠い海の歌を言葉で構築された音楽で聴かせようとしている。
    
★幻竜 第30号
編集人(館内尚子)も発行人(清水正吾)も90歳を超えたとあとがきにある。秋山公哉、宇佐美孝二、原田道子といった実力派の詩人たちを多く同人に持ち、現役で頑張っておられることに頭が下がる。清水は詩篇「消息」で、少年時代に痛めた尾骶骨を再び痛めたことで終戦のころを思い出し、【敗戦の焼土から/八月が よみがえる】と結語する。館内も詩篇「ある夏の日に」で【平和な穏和な日常/行き着くところ/ある夏の日に】と結語。どうしても書き留めておかねばならない詩の核が否応なしに存在し、詩を成立させている。

★詩遊 64号
大阪の冨上芳秀が主宰する同人誌。詩は2段組構成でどの頁も熱量があり読み応えがある。
私事になるが私は中日詩人会の授賞式に過去1回だけ足を運んだことがあった。その時に中日詩人賞を受賞したのが詩遊同人の林美佐子で、冨上も代表挨拶をされていた。
後半にある冨上の「詩についてのメモ15」は詩評、時評のあり方を論じていて大いに参考になると同時に耳が痛い。見開き8頁を費やしていて、【詩にしても、詩の批評にしても読んでおもしろいものでなければ、読む価値がない】と言い切る。   
辰巳友佳子の詩は田舎の夜から朝にかけた時間推移の中で、逞しい想像力と諧謔性に富んでいてまさに面白い。
    虻
田舎の冬は早く夜が来る/北風に吹かれ凍れた洗濯物を/暖炉のそばで畳んでいると/肌着から一匹の虫が飛んで/天井の丸いライトのまわりを/ぐるぐる狂い回る/―アブだ/と叫んだとたん/私の口にスポッと入った//田舎の冬は夜が恐ろしく静かだ/その夜、浅い夢を見た/名を呼ばれたので/―ハーイ/と返事をすると/壺のようなものの中へ吸い込まれた/その中は美味そうな匂いのお酒が入っていて/骨らしいものがゴロゴロ沈んでいる/なぜか私は虻になっていた/急にその壺が揺さぶられたものだから/その液体に落っこちた//田舎は早く朝になる/今朝は胃の痛みで目が覚めた/いつものように/朝餉の支度をして/黙っていただく/味噌汁とともに/消化不良の虻が/ゆっくり溶解していく

★ピウ 5号
その中日詩人会の表彰式に誘ってくれたのが岐阜市在住の故・大嶋文雄だった。野村喜和夫の講演もあり出かけた。大嶋とは1年ほどの付き合いだったが詩を見て欲しいとのことでその前後、喫茶店で3~4度会ったきりだったが、おおつぼ栄が代表のピウ誌上でその訃報を知った。ピウでは感心するほど進化した詩を発表しておりこれからという時期だった。5号は大嶋の追悼号であり、鮎川信夫と縁の深い石徹白(いとしろ)が彼の古里であり、鮎川を熱愛していたとある。石徹白というタイトルの詩も掲載されているが、絶筆となった詩を引用する。
    水馬(みずすまし)
私は村間ヶ池の/水底に横たわっている/青い空を見上げれば「小さなくぼみ」が/水面を走っていく//遠い昔/少年の私は村間ヶ池の水面を軽やかに走る/アメンボウを見ていた/水面に映る木々や草花の上に/どんな汚れも寄せつけない清廉さで/浮かんでいるアメンボウ/いつまでもいつまでも見ていた//悠久の時がそこにあるかのように/私は村間ヶ池の/水底に横たわっている/青い空を見上げれば過ぎ去った/「時のくぼみ」が水面を走っていく/つかもうとしても掴みようのない/景色をのせて走っていく//水底の私/は朽ちてゆく体の中に残る/すべてのうたを蘇らせるまでは/死にきれない/アメンボウの馥郁たる香り/のなかで

大嶋さん、悠久の時の中で詩を書き続けてください。           合掌

★時刻表 第六号
 たかとう匡子主宰の同人誌で年2回の発行。私も参加している。当初から10号で一旦打ち切る予定なので半分が経過したことになる。倉橋健一、司茜、中塚鞠子、松村信人など各詩誌で活躍し、詩集、同人誌を発行している関西の中核をなす詩人が多い。

★ERA 13号
 川中子義勝編集・発行の同人誌。受賞歴のある詩人や個性的な詩人が勢揃いで読み応えのある詩篇は多数。散文も充実しており、寄稿ではあるが神品芳夫の「リルケの正体」に注目した。特に後半、幼少だったバルテュスの母親バラディーヌ・クロソフスカと交際があり、その母子に対する面倒見の良さなど、リルケの生の人間としての面に焦点が当てられている。

★CROSS ROAD 14号
 北川朱実の個人誌。詩3篇とエッセイ2本で構成されており、エッセイでは大岡昇平を記した「路地漂流(十四)中原の詩が、戦場で最も苦しい時に」が印象に残った。【戦場で最も苦しい時に聴こえてきたのは、絶交したはずの中原の詩だった。「丘々は胸に手を当て/退けり。/落陽は、慈愛の色の/金のいろ」(「夕照」)熱帯の美しい夕暮れの中、勝手な節をつけて歌って心身をほどいたのだった。】 。

★神奈川大学評論 94号
 こちらは文化人類学再考の特集で中沢新一・小川さやか・松村圭一郎の座談会など。毎回、詩が1篇掲載されている。文芸誌や週刊誌で詩の掲載を見ることが少なくなった今日、異ジャンルでの詩作品の定期掲載は称賛したい。今号は北川朱実が詩篇「うまれなかった惑星に似た、」を寄稿している。全行引用する。
何か言い残したことがあるのか/九月の終わりに公園の桜が花をつけた//十一月に入って/ツクツクボウシが鳴き/木の下で私は 長い間立ち尽くした//初冬に鳴かねばならなくて/蝉は途方に暮れただろうか//蝉には見えて/私に見えなかったもの//碧く澄んだこの天体は/何かをこらえた水でいっぱいだ//一日をうまく終えられずに/背中になって入った映画館//映画の終わりに/こみあげた映像が/誰もいなくなった席へと流れ出すから/流れ出すから//やわらかな雨を連れて/遠い知らない土地を旅する//見たことのない風の色/陽炎となってゆれる大地//砂漠のナツメヤシ//うまれなかった惑星に似た/小さな実をつける木をさがして

★晨 第20号
 代表・中尾敏康。表紙デザインは同人の原島里枝でシンプルさが良い。原島は「自転する町」。丸い銀貨と銀河を対比していてスケールが大きい。高橋次夫の「お久しゅう らかんさま」は21年ぶりに五百羅漢と再会し、21年前に書いた羅漢の自作詩フレーズを随所に引用。終行【もしかすると わたしが顔を隠しているのでしょう】に万感の思いが託されている。

★エウメニデスⅢ 58号
 当誌で投稿欄選者を担当していた小島きみ子が主宰。2020年第四期からは当初の個人誌に戻るということだが、次号では従来のメンバーだった小笠原鳥類・高塚謙太郎がゲスト寄稿するようだ。小島や広瀬大志の詩は朗読させてもらったことがあるが、朗読後に実に爽やかな感慨に浸れた。優れた詩はさまざまな音読のバリエーションを引き出す。今回は北原千代の詩篇「零れる音」が、生と死を歌う現代詩的な言葉遣いを駆使しながら、リアリティーに支えられ、深い叙情の翳りを見せている。

★冬至 第56号
 編集者であり、恐らく発行者でもある植村初子の詩が不思議な余韻を感じさせた。思索の果てに言葉がストンと大脳から鳩尾に陥るような爽快さがある。
    野原
もういいと/思うときがある/なにに関してだかわからない/わたしは分子だし/木や空とおなじ//ことばも/音符も/放りたくなる/くつをつま先から放るように//あるいは/ちいさい子のように/みじかい足と/あたまでっかちの/わたしになって/三輪車でお兄さんを/おっかけたくなる//きのう/野原をあるきたくなって/電車にのった/ほかの人たちが/ゆれる草に思えた//つるが崖から たくさんさがっている/場所で電車は止まった/安全確認のためだとアナウンスがあった/人たちは/草木のようなものだった/わたしは散歩に出かけているのだから/どこへいっても野原だった

★壁ノ画
 佐々木蒼馬とコンノダイチの二人誌で7号目にあたり、装丁・造本も凝っており、吉増剛造のフロッタージュを彷彿とさせる佐々木の装丁・画もよい。両名は26日生まれであって、26時という創作アカウントを持ち、ツィキャス(ツィッターに付属する音声、動画放送)を利用した朗読活動や近代詩などのなかなかユニークな読解活動をしており、今後、詩作とともに期待される。             
★ひやそのほかの 創刊号
菊池依々子の個人誌。2月23日の広島文フリにも参加する旨のフリーペーパーも同封されていた。詩とエッセイ、写真の構成だが、小型サイズながらよく纏まっている。個人誌タイトル名は、ダンテ『神曲』(山川丙三郎 訳)の最後の一節「日やそのほかのすべての星を動かす愛に。」から取ったとのこと。エッセイ『「産む」を作品にするとき』が秀逸で、瀬戸内国際芸術祭の会場の一つである伊吹島の出部屋について記している。出産の穢れを忌むことの民俗学的考察となっている。

★物見遊山 2号
よしおかさくらの個人誌で、菊池のものよりさらに小型だが、タイトル字は夫君によるもの。2008~2014年の『詩と思想』誌への投稿作をメインに収録。「白波」など武家ものの語り口に味がある。

*文中の敬称は省略させてもらいました。


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