次世代への継承とネット

 

                   白島 真

 今回はインターネット(以下ネット)における詩の世界に少し触れてみたい。
 ネットの普及は1995年のWindows95の発売から加速したと言われている。筆者が初めてパソコンを購入したのが2003年のことで、それ以前も以後も仕事で使うということは皆無であった。メールアカウントには53という数字が含まれているが、それは今から17年前の53歳の時に初購入したことを意味している。
 ネットの代表的なSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)としては、フェイスブック、ツィッター、ミクシィ、ライン、インスタグラムなどが上げられよう。それぞれの特色については各自で調べて欲しいが、私を含め詩人たちが詩や散文を発表したり、創作者同士でコミュニケーションがとれるツールとして利用が多いのはやはりフェイスブック(字数制限なし。訂正可能)とツィッター(140字以内。訂正不可)であろう。
 両方を利用している者もいれば、どちらか片方だけという場合もあるが、最近ではツィキャスという一種の無料放送機能が備わっていたり、詩のネット投稿サイト(これについてはまたの機会に譲りたい)と連動できるツィッターに参入する創作者が増えている気がする。
 ただ現在、明確に感じることは、毎月筆者のところに送られてくる120冊以上の詩誌の発行者や編集者のうちで、SNSを利用しているのはごく少数であることだ。同人誌間では詩誌の贈呈などでよく知られていても、例えば同人誌に参加していない若い詩人や創作者にとってはその詩誌の存在さえも知られておらず、勿論、知ったとしても入手経路が不明のため読まれない可能性が高い。長く歴史のある詩誌ほど同人が高齢化しており、同人誌間外への発信力が皮肉なことに弱体化している現象がおきている、それが現在の同人誌文化の影の部分であろう。
 今回は積極的にSNSで同人誌や個人誌発行の発信をし、注目を集めている詩誌をいくつか取り上げる。筆者はツィッター、フェイスブックともにアカウントを持っているが、メインはツィッターからの情報であることをお断りしておきたい。


★『月刊ココア共和国』8(仙台市・発行人・秋亜綺羅、編集人・佐々木貴子)
 投稿詩誌である。佐々木の編集後記によれば、全国のローティーンから70代(筆者註:最新2021年1月号では8歳から83歳とある)まで幅広い投稿があるようだ。紙媒体と電子書籍があり、冊子に32篇、電子書籍版には何と126篇の投稿作品が掲載されている。これだけの詩篇を編集し、毎月、冊子(投稿詩傑作集)と電子版(投稿詩佳作集)を発行していくことは並大抵の苦労でないはずだが、気軽に詩を楽しむというポリシーが浸透している。ツィッターでは旋風が巻き起こっており、入選や佳作入選報告のツィートが絶えない。
 この詩誌の特徴は編集、販売の戦略がしっかりしていることだ。冊子、電子書籍ともにAmazonで簡単に購入できるし(これについては賛否あるだろう)、女優で詩人の秋吉久美子や漫画家のいがらしみきお、映画・演劇のクマガイコウキ、詩人の齋藤貢らを招聘し、作品の冒頭に「いいね」とか「絶賛」「なんだかいいね」「こりゃいいね」のマークが付く。    
しかも年間で秋吉久美子賞、いがらしみきお賞、YS賞(20歳未満対象)が設定されており、各賞金も20万円と高額だ。秋が編集前記で述べている通り、投稿詩の選出を「上手」「完成度が高い」で選ばず、「この詩人なら編集者、出版社として絶対に売ってみたい、読者をびっくりさせる詩を書けそうだね」の基準で選ぶというのもユニークだ。佳作集の中にかなり完成度が高い作品があるのも頷ける。

★『聲℃ said』創刊号(川越市・黒崎晴臣)セイド。 
 メンバーは黒崎晴臣・黒崎水華・森羅万象・加勢健一・ひだり手枕・高橋加代子(今回は表紙と朔太郎の詩にインスパイアされた装画)・佐藤幹夫・広瀬大志。次号から原島里枝も参加予定。森羅が経営する埼玉の中華料理店に集うメンバーで結成。この詩誌も8月現在ツィッターを賑わせている。理由としては広瀬を中核として「強度」のある詩を目指していること。各人のページにあるQRコードを読み込むと、当人の朗読が聞けるというユニークな紙面造りがなされていることだ。QRコードを利用して自作ラップを発表する個人誌はあるが、朗読に飛ぶ詩誌は筆者は初めてであり、時代の変遷の端緒を見る気がしている。

★『高原の朗読会2020』(佐久市・小島きみ子)
 詩誌「エウメニデス」の別冊。7月に佐久平で実施予定だった朗読会がコロナウイルスの影響で中止になり、当初予定していた持ち時間8分で作品を依頼し制作された。目次順の寄稿者は、佐相憲一、海埜今日子、広瀬大志、松尾真由美、渡辺めぐみ、GOKU、生野毅、下川敬明、水嶋きょうこ、鳥見徒躬於、塩塚コナ、長牛いずみ、小島きみ子。力作揃いだが、巻頭、佐相の「革命の塩」が塩業を捨てた曾祖父への思いを綴り、スケールが大きい。一部引用する。

きみから始まる愛憎と別れの果てに/出現するどの親族からもはぐれたこの身/その血流にもきみを通じて革命の心を感じ/くらくざわめく内海の負の連鎖を断ち切って/きみから始まるすべてを祝福するこのぼくが/後ろに立っているのが見えないか

★『卵』1・2(埼玉県・よねたみつひろ)
 装丁は手間を惜しまず、手作り感が良い個人誌である。卵Ⅰの後記によれば、老人福祉法の「老人」に該当(筆者註・65歳)してから3年経過とあるから、筆者よりやや年少だがほぼ同期だ。ツィッター歴10年とあるので、これは大先輩。ⅠもⅡも日記と数篇の詩で構成されている。

いま すれちがったひとの/顔のうろこが すこし/はがれていたよね なまぐさく/だれしも さむいものを/海に はこぶ途中なんだ         (「木枯」 全行)

★『いちがつむいか』(静岡市・ゆずりはすみれ) 
 2020年にユリイカの新人賞を受賞したゆずりはの個人誌。年1回発行で創刊ゼロ号として位置付けている。詩誌内のQRコードを読み取るとnoteという無料のブログに飛び、ここでは詩的な散文や本の感想、タロット占いの案内などが読める。奥付によれば1987年生まれとあるから、まだ30代前半の女性。しかしながら詩も散文も生きることの中から真摯に言葉を掬い取ろうとしており、琴線に触れる作品が多い。表題は1月6日の誕生花が「ゆずりは」「すみれ」なので決めたとのこと。和紙の肌触りがよい。

ことばなく
降り積もる
夜を幾層も
散らして

寝返りを打つ この

裸足の足は幼く 懐かしい

やわらか かった
お母さんのからだ
おばあちゃんの匂い
踏み締めて
いつの間にか 最初に見た夢は
遠い
地面の底に 深く埋もれ

もういちど うまれかわるとしたら なにになりたい?
積み上げた 
木片を
何度も
崩してわらった 小鬼(おに)

もういちど うまれかわるとしたら

わたし で いい
拾い上げる
 手に
 ささくれだった 指しかなくとも

明け方の 一番暗い所で
赤く滲んだ 心臓を踏めば

千切れた緒から 
また
新しい足が伸びる
すらりと
跳ね上げて     (よあけ 全行引用)

★『glass』1(練馬区・峯澤典子) 
 精緻かつ先鋭的な論理性をもった上で書かれた峯澤の抒情詩は、いつも私自身の懐かしい風の匂いを伴ってくる。今回収録された32篇の詩のうち30篇は4月1日から30日まで、1日1篇ずつ、以前書かれた4行詩作品を再整理してツィッター上にUPしたものである。その作品群に比較的長編の「真珠」と「砂の城」をプラスし、はがき大の個人誌として製本された。いずれも完成度が高い作品である。
4行詩を二つ引用する。

明け方の夢のカーテン越しに 焚き火の気配
燃えているのは一度も投函されなかった記憶の束
どんな思いでもいつしか 通り雨に誘われ
未完の旅の地図のなかへとふたたび流れていくのだから     
                (NO.2 全行)

新しい地図にはもはや存在しない街の名の
内側ではいまも夏の雨が降りつづいている
水路や木々を濡らし海の果てへと流れる甘い雫にふれた
旅の唇だけが知るひとつの歌となって
                (NO.30 全行)

★『obscurity』4(東京・逸可実和子)
 Obscurityとは「曖昧」とか「不明瞭」を意味する。装丁は上条美来でセンスの良さを感じさせる。人生は曖昧さの連続だが、その曖昧さを切り取るためには明確な論理性が必要かも知れない。「深呼吸」ほか詩を5篇。ゲストは菊池依々子。 

★『ひやそのほかの』2(広島県・菊池依々子)
 その菊池の個人誌である。冊子の形状は逸可のものと同形(B6版)だが、頁数は10頁ほど厚い。巻頭に木舟やモーターボートの写真があり、そこに3連の文章が記載されている。目次では「文章」の扱いになっているが、私は素晴らしい散文詩と感じたがどうだろう。全文引用する。

わたしの名前は海から引きあげられた。穴があいて軽くなった名前ははるかな国を抱いて次の場所へと向かう。

海のはじまりには船が折重なっている。この街の薔薇がひらくとき船もまたほどけるという。未熟な指紋が薄くなるとき、川の真中でひとつの種をひろう。

種は接ぎ木を待っている。幾層もの待つ人が居場所を尋ね、百合鴎を大木で拵えたアパートに住まわせている。わたしはこのアパートの管理を任された。

★『フラジゃイル』9(旭川市・柴田望)
 詩誌にもし幼年期・青年期・老成期があるとすれば、まさに青年期をひたすら突き進んでいるような詩誌である。活字のポイントを自在に変え、写真もふんだんに取り入れた紙面造りからは詩が溢れ出ている。吉増剛造、宮尾節子、TOLTAの河野聡子、岡和田晃、山田亮太など、柴田の彗眼は常に詩の現在性に拓かれている。後述するが小樽在住の詩友、高橋秀明の北海道横超忌についての寄稿がある。また同人の小篠真琴も活躍が目立ち、若宮明彦の詩論集『波打ち際の詩想を歩く』の紹介をしている。静岡の詩誌★『くれっしぇんど』110(静岡・高橋絹代)にも同人休稿のピンチヒッターとして小篠が詩作品を寄せている。
(ネット利用の詩誌の記事はここまで)

★『北海道横超忌―村瀬学〈講演〉録』(事務局・高橋秀明、柴田望)
 厳密には詩誌と言えないかも知れないが、内容が秀逸なのでこの場を借りて紹介する。3月22日に札幌市で開催予定だった北海道横超忌。(東京で開催される横超忌とは別)。
 横超忌とは吉本隆明の命日を偲んでつけられた。かつて吉本の北海道講演を企画・実施した高橋秀明の尽力により、北海道横超忌の活動が継続されている。当日は村瀬学の講演が予定されていたが、コロナの影響で開催中止となり、村瀬の好意で資料として送られてきた講演レジュメを冊子にしたものである。タイトルは〈風をたずねるものはもういなくなったのかー吉本隆明の発想の根源にある「風」のイメージを探るー〉。A4サイズで56頁の分量の内容をここで簡単に纏めるのは難しいが、難解な吉本詩をまるで推理小説を解くように読解していく様は見事だ。
 特に初期詩篇「日時計篇」ではエロスと影に言及し、影が生きものたちの「初源のことば」の比喩になっていると喝破する。 
余談だが吉増剛造が手書きの詩に色を塗りたくるパフォーマンスがあったが、その詩こそ吉本の日時計篇だったはずだ。
この講演録は販売されているようなので、是非、入手しての一読をお勧めする。
★『衣』49(栃木県・山本十四尾)
 宮城のベテラン詩人、前原正治が詩篇総タイトル「花に鎮まる」の2篇を招待席に寄稿している。
体のすべてが/感覚を抜きとられ/ゆるやかに解きほぐされていく/瞳に/にぶい光を滲ませて/みるみる翳っていくいのち           (「いのちの際に」 前半)
 
★『真白い花』23(東京・村尾イミ子)
 村尾の「茶の香り」には安らぎがある。
有田の大きな湯飲み茶碗を/両の手で包んで/ゆっくりとお茶を噛みしめていた父/お茶の若芽を摘んだ柔らかい感触が/指先によみがえる (茶の香り 部分)

★『風鐸』10(大和郡山市・司茜)
 編集は夫君の大倉元。年1回の発行なので10年目だが、惜しくも終刊。毎回A5、150頁超の詩誌発行、お疲れ様でした。

*文中、敬称は省略させていただきました。
*『詩と思想』2020年10月号詩誌評のアーカイブです。
**11月号アーカイブUPは2021年1月10日ころとなります。

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