【連載小説】風は何処より(4/27)
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城所は泣き疲れていた。
妻が、何の連絡もなく、家を出たきり戻ってこない。
それがもう一週間になる。
もちろん警察にも捜索願を出した。事故や事件に巻き込まれた、ということは無いようだが、事件性が無いので捜索のしようが無いと言われる始末だった。
英文タイプの仕事をしているという、妻の勤務先である通信社にも行ってみたが、「そのような人は在籍していない」と門前払いをされた。
妻の実家に連絡を入れてみたが、転居してしまったのか、電報も尋ね先不明だった。
友人らしき人も、ほぼいないことが分かった。
役所に行って、妻の戸籍を調べてみたが、辿れるのは両親までで、それ以上の事は不明だった。
戦後の混乱もあっただろうが、わからないことだらけだ。
一週間前まで夫婦だったのに「そんな人はいない」と言われるとは、どういうことなのだ。
毎日歩き回ったが、どこにも、まったく手がかりが無く、当ての無い旅をしているかのようだった。
失踪というよりも、神隠しに遭った感じだった。
結婚し、子供を授かったという幸せの絶頂から、どん底への大逆転。喪失感で、頭の中はいっぱいだった。
1歳になる長男を抱え、男は路頭に迷った。
昭和25(1950)年4月のことだった。
城所は教師だった。
学校の計らいで、なんとか2か月間は休職することが出来たが、それ以上だと代理が見つからないとの事で復職することになった。
近くに住む親戚が、子供の面倒を見てくれたので、なんとか仕事は続けることが出来た。
しかし、仕事など、手に就くはずがなかった。
人目を忍び、泣き続ける日々が続いた。
世間は戦後の復興期ではあったが、その年の6月に始まった朝鮮戦争のおかげで、好景気を迎えつつあった。しかし、市民生活が戦争により潤ったわけではなく、貧乏暮らしは相変わらずだった。
日本の産業界の工場生産においては、朝鮮戦争による特需は転換期であり、戦後の高度経済成長の礎となった。しかし当時のアメリカが、日本の復興を支援したのは親切心からではなく、有利子借款の返済や、駐留経費の負担が可能な経済力を身に付け、日本が「反共の砦」として独り立ちさせるためであった。
それでも、平和の時代と、好景気に沸いており、日本の一般市民はそのようなことは考えることは無かった。
妻の失踪から1年ほどだった、1951年9月。日本はアメリカと、サンフランシスコ講和条約を調印。
日本は独立国として再出発することになった。
喪失感は引き続いていたものの、城所は、ようやく持ち前の明るさを取り戻しつつあった。
学校の子供たちの成長と、自分の長男・信彦の成長が、今の城所の何よりの喜びであった。
さらに1954年12月からの神武景気で、日本は空前の高度経済成長となった。1956年の経済白書には「もはや戦後ではない」とまで記され、戦後復興の完了が宣言された。
また、好景気の影響により、三種の神器(冷蔵庫・洗濯機・白黒テレビ)を得ることが、ステータスという時代が到来した。
そんな「貧乏でも、明日への希望があった時代」において、城所は、ふと思った。
社会科の教師である自分は、いつも生徒に教えていた。
「一つのことだけ見ても、真実は見えてこない」と。
「あらゆる事象を多角的に調べ、すべての事象を疑い、みずから答えを導き出せ」と。
人生を賭して、妻を見つけ出したい、事件を解決したい。
その時、そう決意した。
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