人が生きる意味
なるほど、生きる意味なんてないんだな、と気づかされたのはいつだったのでしょうか。
というよりも、なんとなく気づいてしまったのかもしれません。
例えば、どうしても叶えたい夢ができた時、その夢を叶えるために人は生きたいと思います。
例えば、守るべき家族があった時、愛するものの生活をかけて人は生きていくための努力をします。
しかし、あらゆる枝を取り除き、「生きる」ということだけに焦点を当てた時、これらの生きる意味は全て”無駄”になってしまいます。
生命の維持に必要なことは食事や排泄など、生物の行動として基礎のことだけです。
さて、それを続けることの意味を、あなたは正確に解答することができますか?
もちろんこの時、生命を維持させるためというのは答えにはなりません。
なぜあなたは生きているのですか?
そうです、生きる意味などないのです。
人という生物が全滅したとて、何も変わらず時は進み続けます。
私が思うに、私が生きる意味は私のためであり、あなたはあなたのために生きているのです。
そんな自分のために生きているなんて自己中心的なこと、と思われるかもしれませんが、これは事実です。
その証拠として、誰か一人がこの世からいなくなった瞬間、時間が止まったということはないでしょう。
その命はあなたのためだけに存在しているのです。
こう考えた上で、あなたの生きる意味を考えてみてください。
そうすると、次々と生きる意味が溢れかえるのではないでしょうか。
これが人の欲であり、人間たる所以ではないかと考えます。
あなたが今読んでいるこの文章も、生きていくことには不必要なものです。
創作というものは、本質的には無駄です。
しかし、私たちは生きる意味をそれぞれに見出し、それぞれのレンズを通して創作に触れることで創作に意味を作っています。
これが、創作が存在する意味です。
無駄をいかに楽しむかが人生であり、人生を豊かにするのが創作であると考えます。
人だからこそ楽しめるものです。
人と欲はいかなる時も離れることはできませんが、欲というのは一概に悪いことではなく、人という存在をユニークにしてくれているのです。
その欲を通じて、生きる意味を作り出すのが人間です。
私たちはそれぞれに生きる意味を作っています。
正確な意味などなくとも、気にしなくて良いのです。
あなたが今生きているということが何よりの証明であり、あなたが生きていること自体が誰かの生きる意味になっているのかもしれません。
だから、自分の気持ちが穏やかになることだけを選んで、好きなように生きていくことこそがあなたの生きる意味なのです。
ただ、誰かの生きる意味を邪魔しないことには気をつけましょう。
あなたが生きることには、確かに意味があるのです。