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オーストラリアは美味しい(5)

ワイン産地の豪邸で過ごす一夜


冷涼地ワインの注目産地ヤラバレー

 メルボルンからヤラバレーへと向かった。
 ヤラバレー――メルボルン中心部を流れるヤラ川の上流地域の丘陵地帯。メルボルンから車で一時間ほどということもあって、日帰りで訪れる人が多い場所だ。動物病院を併設し、珍獣カモノハシの生態をわかりやすく見せてくれるショーが人気のヒールズビルサンクチュアリー、ユーカリの森林の中をポッポッーと汽笛をあげながら蒸気機関車が走る保存鉄道パッフィンビリーなど地域一帯には観光施設も多くあるが、ヤラバレー訪問の最大の目的はワイナリー巡りだ。
 メルボルンを州都とするビクトリア州最初のワイン生産地区で、1838年にシドニーからブドウの苗木が持ち込まれたことがワイン産地への始まりだった。1845年には最初のワインが造られ、現在では冷涼地ワイン産地としては世界有数の場所となっている。ワイナリーの数は一説によると90を超え、その多くでセラードアCellar Doorと呼ばれる訪問客への直売り(もちろんワインテイスティング付き)を行っている。少量しか造っていない銘柄などはセラードアでしか購入できない場合も多く、「珍しいお気に入りの一本」を探しに、ワイナリー巡りをするワイン愛好家は少なくない。

 ヤラバレーは何度か訪れたことがあった。初めて訪れた時、ヤラバレーを代表するドメーヌシャンドンへ立ち寄った。傾斜を生かした大地に整然とブドウの木が植えられた畑の様子を見た時に、声が出ないほどだった。
 僕がオーストラリアで訪れたワイナリーのブドウ畑の中で、その光景は間違いなく、もっとも精緻で、もっとも華やかに感じられたのだ。
 ドメーヌシャンドン自体、ドン・ペリニヨンで世界的に有名なモエ・エ・シャンドンがオーストラリアで設立したワイナリー。モエ・エ・シャンドンがアメリカのナパバレーに次いで、その冷涼な気候、土壌に着目して1986年に設立。シャンパーニュと同じ瓶内二次発酵で造るスパークリングワインは、世界各地のワインコンクールで多くの受賞歴を誇っている。僕にとってヤラバレーのワイナリーは、最初に見たドメーヌシャンドンのイメージなのだ。
 ワインをそれなりに飲むようになった今、ヤラバレーを代表するワインは、ドメーヌシャンドンのスパークリングワインばかりだというつもりは毛頭ない。この地は気候的にも、土壌的にも、シャルドネやピノノワールといったフランスのブルゴーニュ系のブドウ栽培に特に適しているとされている。他にもやや温暖な気候を好むボルドー系のカベルネソーヴィニヨンやカベルネフラン、ソーヴィニョンブランなどが多く栽培されている。ワイナリーごとに個性があり、いくつものワイナリーをはしごしながら、さまざまな種類のワインをテイスティングしてみる。有名じゃなくても、「おお!」といいたくなるようなワインに出会った時の感激はちょっと癖になってしまう。

ワイナリー巡りにドライブ?

 ヤラバレーに限らないことだが、ワイナリー巡りをする時には、よく自分で車を運転する。ワイナリーは広い地域に点在しており、とうてい歩いてまわることはできない。またワイナリー地域内では、町と町を結ぶバスはあっても、その周囲のワイナリーを巡るバスなどなく、公共交通機関を利用してのワイナリー巡りも現実的ではない。ツアーでワイナリー巡りをするという手もあるが、ツアーで訪れるのは大手の代表的ワイナリーが多く、何度か訪れているワイナリー地区だとおもしろみに欠けるというのもある。ということで、必然的に自分で車のハンドルを握ることになるわけだ。

 ワイナリー巡りでは、当然ワインテイスティングを行う。となるとお酒を口に含むことになるし、場合によっては少量は飲むことになる。ドライブとなると飲酒運転の危険を伴う。

 オーストラリアに限らないことだが、主に西洋圏では飲酒運転の基準となる血中アルコール濃度が日本よりもかなり高く設定されている。
 オーストラリアの交通ルールでは、バスやタクシーなどの商業ドライバーは仕事中に絶対にアルコールを口に含むことは禁止されているが、一般ドライバーについては血中アルコール濃度0.05%未満までが許容範囲。オーストラリアで販売されているアルコール飲料のラベルや缶には、スタンダードドリンク表記が義務づけられている。1スタンダードドリンクは10グラムのアルコールを含んでいることを示しており、一般的な目安として体重65キロの男性が1スタンダードドリンクを飲酒した場合の血中アルコール濃度は約0.02%。また体重65キロの男性は1時間あたり平均5~12グラムのアルコールを分解できるとされている。
 つまり1スタンダードドリンク表示の飲み物であれば、最初に一~二杯、その後1時間経てば一杯ぐらいは飲んでも血中アルコール濃度が0.05%を超えることはないという判断だ。なお一般的なビールだと375ミリリットル、ワインだと100ミリリットルがだいたい1スタンダードドリンクとなる。ただしこれはあくまで目安であって、個人差もあれば、体調(特に肝機能の調子)によって大きく左右される。だから飲酒運転は決してすすめられるものではない。

 しかし、お酒に少々抵抗力があり、健康状態がよければ、テイスティングしながらのドライブは罪に問われることがないのも事実だ。あくまで僕の場合はと最初に断っておくが、ワインテイスティング時に、グラスを回して香りを楽しみ、口に含み舌で味を確認して〈気になる〉と思った場合のみ少量飲むようにしている。気に入らない場合は、器が用意されているのでそこにワインを吐き出せばよい。そしてテイスティングをすべて終えたら、必ずお水をもらってグラス一杯飲む。ワイナリーを出る前に周辺のブドウ畑の景色を見ながらゆっくりする。こうすることで、できるだけ酔いを覚まして、次のワイナリーへと向かうことにしているのだ。まあ気休めなのかもしれないが……。

ワイナリーランチは美味

 ヤラバレーにやってきて、どこでランチを食べるか少々迷った。ワイナリーに併設されるレストランで行ってみたかった場所がいくつもあったからだ。眺めがよくモダンな雰囲気のオークリッジ、ヤラバレー最初のワイナリーでモダンオーストラリア料理が食べられるイエリングステーションも捨てがたかった。でも迷った末に決めたのは、僕の好みのワインを造っているデ・ボートリーだ。ヤラバレーの北側、ディクソンズクリークの少し高台になった場所にあるワイナリーで、1987年設立。イタリア系移民の家族経営で、今ではオーストラリア大手として知られている。

 煉瓦造りのワイナリーに入ると、セラードアの隣にレストラン、ロカールがあった。広くはないがテーブルにはクロスもかかっているランチのみオープンのファインダイニング。それでもかしこまった様子はなく、家族連れでも気軽に入れる雰囲気だ。イタリア系家族がやっているだけあって、メニューにはイタリア料理が並ぶ。ワイン一杯と軽い食事と考えていたので、カニ肉入りリゾットとピノノアール一杯をオーダー。魚介のうまみたっぷりのリゾットに舌鼓を打ちながら、比較的軽めの赤ワインを味わう。食事もワインも進むこの感じは、料理とワインのマリアージュがぴったりということなのだろう。まさに至福の昼休みだ。

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デ・ボートリーのロカールで食べたカニ肉入りリゾット

シャトーイエリングで過ごす優雅なディナータイム

 ヤラバレー最初のワイナリー、イエリングステーション隣には、ワイン造りが成功した後に建てられたマナーハウスがあり、20世紀初頭には「メルボルン近郊で最も美しいカントリーハウス」と称されていた。この建物を改装したホテルが、シャトーイエリング・ヒストリックハウスである。当時の豪邸の雰囲気を強く残すこのホテルに今回は滞在することにした。250エーカー(東京ドームが約21個入る広さだ)の敷地の大部分はブドウ畑と手入れの行き届いた庭園で、その中心にレストランやバー、談話室などがある歴史的な平屋の建物と、歴史的建物と調和するよう建てられた比較的新しい二階建ての宿泊棟がある。
 通された部屋は二階。大きなバルコニーをもつスイートタイプの客室だ。ローラアシュレイのデザインをさらにクラシックにしたようなインテリアで統一されており、天蓋付きのキングサイズベッドが、男ひとりにはちょっと気恥ずかしい感じがした。
「妻と一緒に来ればよかったなぁ」と思わずつぶやいてしまう。
 ベッドの上にはぬいぐるみの猫が置かれており、説明を読むと「Don't Disturb」の時は部屋のドアの前にこのぬいぐるみを置いておくようにということだった。とにかく部屋全体の様子が、女性やカップルなら、喜ぶだろうという感じなのだ。

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シャトーイエリング・ヒストリックハウスはヤラバレーを代表するマナーハウススタイルのホテル

 夕食はホテルのマネージャー、スーのおすすめという料理を、これまたクラシックな雰囲気のホテル内レストラン、エレノアズでいただくことにした。
 イエリングで造られるワインを世界的に知らしめ、1889年にパリのワイン博覧会で南半球のワインとして唯一グランプリに輝かせたのが、スイスからの移民ジェーン・フランチェス・ポール・デ・カステラ博士。彼の妻の名を取ったのがこのレストランだ。えんじ色を基調とした厳かな雰囲気のインテリア、天井まで届く大きな窓、背もたれが高いゆったりとしたイスなど、高級レストランの王道を行く雰囲気。もちろんオーストラリアのグルメ誌で毎年高評価を得ている。
 3コースのディナーだったのだが、食前とデザート前にアミューズが出てきたので、まるで5コース料理を堪能したような気分になった。前菜にはサーモンのタタキ風味、メインにはオーストラリア和牛の炭火焼きステーキが出てきた。ステーキの付け合わせにはシメジが使われているなど、モダンオーストラリアスタイルの料理に和の雰囲気が取り入れられている。肉の中心部にレアな部分が残るよう焼かれたステーキは、ジューシーで柔らかく、口の中では肉のうまみがいっぱいに広がる。この料理を食べるためだけにでも、このホテルに泊まる価値があるほどだ。

 メインのステーキに合わせたワインは、ヤラバレーのバードンAのシラーSyrah。
 通常オーストラリアでは、フランス・ローヌ地方発祥のシラー種はシラーズShirazとなっている。ところがこのワインはあくまでシラーという名前にこだわっている。ソムリエに聞くと、南オーストラリア州を中心として広がったオーストラリアならでの力強くベリー系の風味が強いシラーズよりも、より軽やかでエレガントに仕上がっているので(そういうところがフレンチスタイルらしい)、シラーという名前を付けているんだと教えてくれた。

 ひとりご飯なのに二時間近くかけてディナーを味わった。ワインも三杯飲んで、気分もよく部屋へと戻った。ベッドサイドには少し大ぶりのホテル特製トリュフチョコが置いてある。デザートも食べたというのに、ついつい手が出てしまう。今夜はどうやらおいしい夢が見られそうだ。

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エレノアズで食べた絶品の和牛ステーキ

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