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最近の読書への向き合い方

相変わらず1日1冊、本を読んでいる。

もう3年続いたし、いつやめてもいいやって思いながら、4年目もずるずると読んでいる。

結局「今日は読んでおくか」という感じで読んでいる。
もう「1日1冊」を続けようとも思ってないけど、自動的に時間がくるとそのタイミングで読み始めている。

そんな感じでずるずる続いてる読書習慣なんだけど、最近もいろいろと習慣を工夫していて、最近どんな感じになってるか、ちょっと整理してみようかと思う。

まず、1日の最初に読むのがマンガだ。
1日1話読む。
これは朝、仕事を終えて、日記を書き終わったら、1話読む事に決めている。

最近読んだのはこのあたり

月に4、5冊しか読めないけど、毎日1話読むと確実に読める。
これは「読書」の冊数には加えない純粋な趣味。

たくさん読めるわけじゃないけど、この習慣をなくすと、恐らくまたマンガを読むのが月に0冊になる。
小さくても続けておくことは重要だと思う。
別にゼロで困ることもないけど…。

マンガを読んだ後は、短歌の歌集を少しだけ読む。

短歌の歌集を1日1ページ
最近は2日で1ページとかになってるかも。
1冊を何ヶ月もかけて読んでいる。
これは読み終わったら読書の1冊に加える。
1年ちょっとかけていま10冊目。

まず読んでいる歌集で気になった短歌を書き出す。
それからイメージして自分の短歌をつくる。

いま読んでいるのは「冒険者たち」というユキノ進という人の歌集。
例えば、先日の例。
歌集に
「九階のベランダ越しの三人の影がおおきく手を振っている」
という歌があって、この歌がいいなと思った。
これをメモに書きとって、自分なりの風景を考える。
わたしが思い出したのは夏休み祖父の住む団地に遊びに行った帰りに、祖父が窓から、見えなくなるまでずっと手を振って見送ってる姿だ。
これを自分なりに歌にしてみる。
「帰り道、団地の窓のじいちゃんがずっと手を振り見送る姿」
まず書いたのがこれ。
ここから言葉を入れ替えたり言葉を変えたりして表現を変える。
「手を振って見えなくなるまで手を振って団地の窓から見送る祖父が」
さらにもう少しディテールを変える。
「手を振って見送る祖父がいつまでも見える坂道、夏の終わりに」
けっこう対局になるような表現になる。
2つ目の「手を振って見えなくなるまで手を振って団地の窓から見送る祖父が」
字余りしているけどこちらの方が気持ちが見えていいような気がするな。

と、こうやって「毎日、読んで、つくる」をただ繰り返している。
とりあえず1年と3ヶ月くらいやってみて、少しずつ変わってきているのは、何を見せるのか、ただ説明するのではなく余白をどう活かすか、みたいなことを考えるようになってきたなということ。
ただ淡々と続けているだけだけど、それなりに変化はある。
うまくなるかどうかより、どう楽しむかだと思っている。
そして、やはり短歌はデザインに似ている。


ここから時間を空けてゲーム、筋トレ、掃除、ダンス、ジョギングをはさんで、昼前頃に読書の時間を作っている。

ここで1日1冊読む本を読む。
今日の1冊で1247冊目。
つまり1247日続いている。

どんなふうに読んでるかは、ここに書いたことからほんとんど変わってないので省略する。

今年になってから読んだ本のリストに、今年何冊目かと通算の冊数を記録し始めた。
何でいままでやってなかったんだろうと思うくらい簡単なことなんだけど、これでXに投稿するとき「何冊目」かを間違えないようになった。
去年まではけっこう間違えてた…。こうやって少しずつ改善している。

最近は、1日1冊読む本以外に、4冊くらい並行して読んでいる。

まず読んでいるのは365日で読む事が設定されている本。
1日1ページ休まずに読む。1年で読み終わる。
いま読んでいるのはこれ。

これオタクの教養なの?って内容ではあるけど、ちょっとマニアックな雑学が365個、1日1ページ読む想定で収録されていて、読書開始の1歩目に読むのにちょうどいい。
「七福神」って神様ユニバース的なもので、国とか宗教超えたアヴェンジャーズじゃん!って発見だったり、中国産のRPGゲームで冷蔵庫が語りかけてきた哲学的な問いが「砂山のパラドックス」と呼ばれているものだったとわかったり、意外な発見もあってとても楽しんでいる。


読むのに時間がかかりそうだな…と思う本は、以前は気合いで一気に1日で読んでたけど、最近は無理をするをやめた。
無理に一気に読もうとせずに、少しずつ読んでいくことにした。

例えばこれ。600ページ超えの本。
ゆっくりちょっとずつ毎日読んでいる。

小田和正の自物評伝。大巨編で600ページ超え。なかなか読み出せないでいたけど、1日5ページくらいのペースで読むことにして、だいたい毎日読んでいる。忙しい日は読まない日もあるけど、3ヶ月くらいかけて、現在半分くらいまで読んだ。
とにかくすごい取材量。本人へはもちろんだけど、周辺への徹底取材がすごく厚みがあって、なぜその歌が生まれたのか、時代にどう受け止められたか、どんな影響を与えたか、少しずつ読み進めている。出てくる曲をネットで探して、聴いたりしながら読んでいる。
こうやって読んでる本は、だいたいあと100ページくらいになったら、「今日の1冊」として読んでしまうことが多い。

そのほかにこれもゆっくり読んでる本。
これは気が向いたら開く本。

昨年亡くなったブックデザイナー鈴木一誌さんのエッセイをまとめたもの。
これも分厚いのでちょっとずつ読んでいる。これは毎日読むというより、気が向いたら開いて読んでいる。いつか読み終わるかな…終わらないかもな…くらいのペース。
なにげない短い文章の中にデザイナーとしての哲学が見え隠れするようなすごみがあって、刺激を受けると同時に自省したりしている。

それ以外に、がんばれば1日で読めそうだけど、もったいないからじっくり読む本もある。最近読んでいたのはこれ。
時間があるときにちょこちょこ読んでいた。

これは1日1冊読む本を早く読み終わって余力があるときとか、仕事の合間の息抜きとかに、ちょろちょろ読む。
趣味の本というか、癒やしのような本だと思っている。
先日読み終わったのでXにポストした。

「道楽もの雑記帖」を読み終わったので、次は楽しみにしてた小説でもこの枠で読もうかなと思っている。

「行動科学」を勉強しようと思って分厚い本を買っているので、それを小田和正の本を読み終わったら読んでみようとか、「古典を読む」というのもやってみたいなと思っていて、難解な本とか、手が出しにくい本に向き合う方法も考えたいと思っている。

4年くらい前まで、ほとんど本を読んでなかった人とは思えないほど、本を読む人になっている。

一気にこうなったわけじゃないけど、少しずつ習慣を作っていった結果こうなった。
「本を読む」ことを完全に「習慣」にした結果だ。

わたしの場合、「本が読みたい」の前に「習慣」を作る事があった。
「読みたい」と思って始めたわけではない。
もともと読書の習慣はなかったし、若い頃は読書は嫌いだった。
数年前に「全く本読んでねーなー」という、ちょっとした危機感から「週に1冊は読む」をはじめてみたけどなかなか定着しなくて、ならいちばんスパルタだけど、絶体に続く方法でいこうと思って、「1日1冊読む」を始めた。
「週に1冊」より「1日1冊」の方が確実に続く。
続けているうちに読書自体にも夢中になれたし、楽しんでるけど、「どうやったらもっと色んなジャンルの本を読めるか」を考えるようになるなんて4年前の自分では想像もできなかった。
とにかく4年経って、マンネリになることはなく、比較的楽しみにながら読書を続けられてると思う。

いや、読書って、本当にいいものですね。

似たようなこととか、違うこととかしゃべってる「続いてるラジオ」です。


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