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フリーランスになるきっかけ はじめてのデザイン

フリーランス・デザイナーの井上新八です。

今回は初めてデザインに触れた話です。
バブル崩壊後、就職氷河期の頃のショボい話です。

大学時代、バイト先で知り合った5つ年上の社会人エンボスくん。
彼と教材ビデオを作った話を前回書いた。

もう一つ彼と始めたことがあった。
「フリーペーパー」作りだった。

それはある日のバイト中に
エンボスくんの突発的な思いつきで始まった。

「よし!雑誌を作ろう!」
唐突な一声だった。

彼が言うには、誰でも気軽に参加できて発表ができる
「もの作りの場」を作りたいのだという。

いまであればSNSやブログなどで簡単にできることだけど、
その頃はまだインターネットが出始めの頃で、
個人でホームページを作るということもまだ広まっていなかった。

雑誌と言っても無料で配るフリーペーパー。
印刷代や活動費は広告を載せることでまかなう形にしたいということだった。

情報発信と発表の場としてのフリーペーパーを作りつつ、
定期的にイベントを開催して交流の輪を広げて行く。
これをセットにして展開していきたいというのが彼のビジョンだった。

よくわからないが「何かを始めよう」と彼が声を上げた。

とりあずテストとしてフリーペーパーの実験号を作ることになった。

どういうものを作るかコンセプトも何もなかったけど、
何でもいいから好きなことを何か書いてみようとなった。
ぼくはその頃、好き過ぎるがゆえにこじれまくっていた
「セーラームーン」への思いを書いた。

エンボスくんは興味を持っていた
「障害者プロレス」の主催者に取材に行き、
そのことを原稿を書いてきた。

記事はこの2つ。
さて、これをどうするのか?
「このままコピーすればいいじゃん」
それがエンボスくんの考えだった。

え?それだけ?それが、フリーペーパーってやつなの?
もう少し、表紙作ったり、ちゃんとした形にしないの?

「いいね〜!そうしよう!じゃ、よろしくね!!」

結局、ぼくがやらされることになった。

家には親が仕事用に買ったけど、
全く使わないで放置されていたMacがあった。

とりあえず起動してみた。
遊びで少し触ったことはあったけど、
Macにきちんと向きあうのは初めてだった。

ソフトの使い方も何もよくわからなかった。

レイアウトにはどのソフトを使うのか?
PageMaker(ページメーカー)というソフトがある。
“ページを作る”のだからこれだろうな。
とりあえず、立ち上げてみた。
箱を作ってテキストを入れるということは分かった。
縦書きにするのはどうするんだっけ…
あ、文章が途中で切れちゃった…
文章を二段にするにはどうするのか…
ひとつひとつ手探りで実験しながら、
紙の上で切り貼りしているのと同じくらいアナログな方法で作った。

A3の紙を2つ折りにしただけ計4ページの誌面。
たったこれだけのものなのに、すごく時間がかかった。
フォントの存在もよく知らなかった。
使ったのはMacに最初から入っている書体だけだった。
「Osaka」という名前の書体を最初に覚えたけど、
これは印刷には使えない書体だとあとで知った。
印刷の基本的なことも何も知らなかったから、
家のインクジェットプリンターで印刷したA3の紙を印刷所に持っていって、
それをそのまま印刷してもらった。
入稿というより、ただのコピーだ。

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これが完成した誌面。
フリーペーパーの名前も決まってないかったから適当に付けた。
確か思いついた言葉をから辞書を引いて決めたのだと思う。
笑いに酔ってる人という漢字で、
「笑酔人」(えようど)という名前にした。
それを発音記号のような形で入れてみた。

見ての通りシンプルだ。
できることが少なかったのでこうなったのだけど、
余計なことをしてないのが逆にいい気もする。
ほめられたようなものではないけど、
これがこのときの精一杯だった。

これがぼくにとっての初めての「デザイン」だった。
ただ、このときはこれを「デザイン」だと意識していなかった。
フリーペーパーを作るただの編集と制作の作業だと思っていた。

こうしてフリーペーパーの実験号ができた。
「障害者プロレス」と「セーラームーン」について書かれた
得体の知れないA3の紙きれ

最初に「雑誌を作ろう!」と聞いて想像していたものからすると
えらく貧相なものではあったけど、とにかく形にはなった。
じつはこの「形にする」ってことが大きかったのだけど、
そのことに気づくのはもう少しあとになってからだ。
なんだか恥ずかしい気持ちしか、このときはなかった。

だからフリーペーパーを配りはじめるとなっても、
ぼくはそんなに乗り気になれなかった。
こんなわけのわからないことに
興味を持ってくれる人がいるのか疑問だった。

しかしエンボスくんはのりのりで動き始めた。
彼は自分の気になってるバーやギャラリーを回って
フリーペーパーを置かせてもらったり、
イベントに行ってプレスとして入れてもらったり、
クラブやライブハウスで声をかけて人を集めてきたり、
お店の広告を取ってきたり、
イベント会場を提供してもらったり、
見事なフットワークと人たらし力を発揮して輪を広げていった。

これはぼくにはまったくない能力だった。
彼は作ることには無関心で完全に人任せだったけど、
営業して輪を広げることには長けていた。
つまり自然といい役割分担ができていたのだ。

彼にとっては最初に作るものは本当になんでもよかったのだ。
中身は続けながら少しずつ良くしていけばいい、
まずは「形にする」その行動力がこそが重要だということだ。

すごく大事なことを教わっていたのだなと思う。

1号目がでる頃には、印刷費分をまかなうくらいのスポンサーがつき、
文章を書いてくれる人も集まってきた。

フリーペーパー作りはぼくがそのまま続けることになった。
(結局、最終号まで一人で作っていた)
作り方自体は何も変わらなかったけど、ページ数が倍に増えた。
原稿を集めたり、手書き原稿のテキストを起こしたり、やることが増えた。
そしてレイアウトを工夫したり、誌面作りも試行錯誤し始めた。
相変わらず分からないことだらけで大変ではあったけど、
もしかしたらこれって楽しいかも…そう思い始めていた。

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そのうちぼくもフリーペーパーを持って
エンボスくんと一緒に回るようになった。

その中で行ったお店が、
ROCKWELLSというバーだった。

この店は、高橋歩という人が経営している店で、
彼は同年代でバーを何軒も経営していて、
バーを作るまでの自伝を出版するために自分の出版社まで作ったという。
サンクチュアリ出版という出版社だ。

歩くんはその日、店にいた。
ノリのいい、ノリとポジティブが服を着て歩いているような、
究極の陽キャ人間だった。

フリーペーパーの話は少しだけして、あとはひたすらお酒を飲んだ。

お酒を飲みながらフリーペーパーをどうやって作っているかのという話になった。
「ぼくの家にMacがあって、Mac知ってますか、すげーんですよ、Macは」
みたない話をしていたら、
いいデザインじゃん!Macがあるなら本のデザインとかもできないの?
うちの本のデザインもやってくれないかな?」
歩くんがそう返してきた。

ん?いいデザイン?
本のデザイン!!???

よくわからなかった。
けど、なんだか酔いがさめた。
そうか、ぼくはデザインができるのか!!?
そうかこれはデザインだったのか?!
とてつもない感情が腹の底からわき上がってくる感じがした。
初めて人から何かを認められた気がした。

「やります!」
やれるかどうかはわからないけど、そう答えていた。

いきなり外に飛び出して走り出したくなるような瞬間だった。

このときの気持ちの高まりを思い出すと思わず涙がでてくる。
映画を見ていても誰かに初めて作品を認められるシーンが出てくると
条件反射で泣いてしまう。

最近だと「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」の冒頭、
ジョーが新聞社に自分が書いた原稿を持っていくシーン。
原稿はずたずたにカットされるけど、初めて仕事として認められてお金をもらう、
その後、舞い上がるように町を走り抜けていく、
開始5分も経たないシーンだけど、もうそこで号泣していた

映画「バクマン。」でも、
主人公2人が初めての持ち込みでジャンプ編集部を訪れて、
編集者に原稿をみてもらって、名刺に連絡先を書いて渡されたあと、
飛び跳ねながら道を駆けていくシーン。
これも冒頭のシーンだけど、ここで思わず泣いてしまった。

ぼくの場合は、本気で認められたというよりは、
飲みの席の冗談のような話だったんだろうけど、
気持ちだけは最高潮に盛り上がっていた。

全くの未経験、知識もスキルもゼロで、
本のデザインを引き受けるということが、
どのくらい大変か、その時は知るよしもないのだけど、
とにかくやるしかないと思った。

飛び跳ねて走りながら、明け方、家に帰った。
そして新しい名刺を作った。

「デザイナー 井上新八」

よくわからないけど、ぼくはデザイナーになった。

<つづきのはなし>

<前回のはなし>


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